契約に真実な主 2014年10月19日(日曜 夕方の礼拝)

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契約に真実な主

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
出エジプト記 6章2節~9節

聖句のアイコン聖書の言葉

6:2 神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。
6:3 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。
6:4 わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。
6:5 わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。
6:6 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。
6:7 そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。
6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える。わたしは主である。」
6:9 モーセは、そのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。出エジプト記 6章2節~9節

原稿のアイコンメッセージ

 前回、私たちは、モーセとアロンがエジプトの王ファラオのもとを訪れて、最初の交渉をしたことを学びました。モーセとアロンは、ファラオに、イスラエルを去らせるように言うのですが、ファラオはそれを聞き入れず、彼らの労働をより厳しいものとしたのです。そのような事態を受けて、モーセは主にこう訴えたのであります。「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとはされません」。それに対して、主はモーセにこう言われました。「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる」。この主の御言葉に続いて、今夕の御言葉が記されているのです。

 神はモーセにこう仰せになりました。「わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える。わたしは主である」。

 神様は、「わたしは主である」と宣言なされます。ここでの「主」は神様の固有の御名前であるヤハウェであります。ヤハウェとは「わたしはある」という言葉に由来する御名前であります。神様は生きて働く、共におられる方として、御自身を表されるのです。そして、このお方は、かつて、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として御自身を表されたお方であるのです。神様は、族長であるアブラハム、イサク、ヤコブに、全能の神、エール・シャッダイとして御自身を表されましたが、主、ヤハウェという御自分の名前を知らせませんでした。しかし、神はモーセに、またモーセを通してイスラエルの人々に、御自身をヤハウェ、生きて働く、共におられる神として知らせるのです。モーセを通して、イスラエルの人々をエジプトの奴隷状態から導き出すことによって、御自分をヤハウェ、生きて働く、共におられる神として知らせるのです。モーセとイスラエルの人々は、神をそのようなお方として体験的に知ることになるのです。

 ここに記されていることは、すでにモーセに語られたことでありますが、主はそれを繰り返しておられます。なぜなら、この時、モーセは指導者としての召しを失いかけていたからです。そのことは、5章22節から23節に記されているモーセの言葉を読めば分かります。モーセはそこで、「わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとへ行ってから、彼はますますこの民を苦しめています」と主に訴えました。主の御名によって語った結果、イスラエルの人々を救うどころか、ますます苦しめることになってしまったのです。それゆえ、モーセは「わたしを遣わしたのは、一体なぜですか」と問うのです。そのような召命感を失いかけているモーセに、主は御自分が何者であるかを改めて告げられたのです。「わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたのと同じ神である」と言われるのです。そして、イスラエルの民をエジプトから導き出すこと、さらにはカナンの土地を与えることが、イスラエルの先祖たちとの契約に基づくことを告げるのであります。イスラエルの人々をエジプトからカナンの地へと導き上ることは、主が今思いついたことではなく、400年以上まえに、イスラエルの先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブに約束されていたことであったのです。創世記の17章1節から8節までをお読みします。旧約の21ページです。

 アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。わたしはあなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久に所有地として与える。わたしは彼らの神となる。」

 このように神様は、アブラハムとその子孫とに、カナンの土地を与えると約束されていたのです。その約束を果たすために、神様はモーセを指導者として召し、エジプトへと遣わされたのです。

 では、今夕の御言葉に戻ります。旧約の101ページです。

 族長たちに全能の神として現れた神様が、主という御名前をモーセに、またイスラエルの人々にお知らせになったのは、族長たちと、またその子孫と結ばれた契約を実行するためでありました。そして、それはエジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声に促されてのことであったのです。2章23節から25節にこう記されておりました。「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた」。このように神様は、イスラエルの人々のうめき、叫びを聞かれて、生きて働く、共におられる神、ヤハウェとして御自身を表されたのです。主は、イスラエルの人々の叫びを聞かれることにより、族長たちとの契約を思い起し、モーセを遣わすという仕方で、その契約を実行されるのです。

 そのようなお方として、主はモーセにイスラエルの民に語るべき言葉を授けます。すなわち、御自分が生きて働く、共におられる神であり、イスラエルの人々をエジプトの重労働の下から導き出し、奴隷の身分から救い出すことを。さらには、腕を伸ばし、大いなる審判によってイスラエルの人々を贖うことを。ここで「贖う」という言葉が出て来ますが、その基本的な意味は「正当な所有とする」ということです。神様はイスラエルをエジプトの奴隷状態から贖い、契約に基づく正当な御自分の民とされるのです。そのようにして、神は族長たちとの契約を果たし、イスラエルを御自分の民とし、彼らを約束の地カナンへと導き入れるのです。

 これは喜ぶべき良い知らせ、福音であります。しかし、イスラエルの人々は、厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしませんでした。これはかつての反応とは対照的であります。4章31節には、こう記されていました。「民は信じた。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏し礼拝した」。しかし、今夕の御言葉では、イスラエルの人々は、彼らの厳しい労働のゆえに、モーセの言うことを聞こうとはしなかったのです。エジプトの王ファラオは、5章9節で、「この者たちは、仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう」と言っておりましたが、重労働に苦しむイスラエルの人々はモーセの言葉に心を寄せることができなかったのです。しかし、それはモーセの語った言葉が「偽りの言葉」であったからではありません。今夕の御言葉から私たちが改めて教えられることは神様は御自分の契約に真実なお方であるということです。契約に対する真実、これこそ、全能の神が主、ヤハウェとして現れ、モーセを遣わし、イスラエルをエジプトからカナン地へと導き上る理由であるのです。神は御自分の契約に真実であられる。その契約への真実から、神は御子イエス・キリストをこの地上に遣わしてくださったのです。御自分の民である私たちを罪の奴隷状態から贖い、神の子としての自由を与えるために、神の御子が私たちと同じ人となってくださったのです。私たちの救い、私たちの信仰生活は、イエス・キリストにおいて示された神の契約の真実に基づいているのです。

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