ファラオとの交渉 2014年10月12日(日曜 夕方の礼拝)

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ファラオとの交渉

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
出エジプト記 5章1節~6章1節

聖句のアイコン聖書の言葉

5:1 その後、モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と。」
5:2 ファラオは、「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えた。
5:3 二人は言った。「ヘブライ人の神がわたしたちに出現されました。どうか、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしないと、神はきっと疫病か剣でわたしたちを滅ぼされるでしょう。」
5:4 エジプト王は彼らに命じた。「モーセとアロン、お前たちはなぜ彼らを仕事から引き離そうとするのだ。お前たちも自分の労働に戻るがよい。」
5:5 ファラオは更に、言った。「この国にいる者の数が増えているのに、お前たちは彼らに労働をやめさせようとするのか。」
5:6 ファラオはその日、民を追い使う者と下役の者に命じた。
5:7 「これからは、今までのように、彼らにれんがを作るためのわらを与えるな。わらは自分たちで集めさせよ。
5:8 しかも、今まで彼らが作ってきた同じれんがの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのだ。
5:9 この者たちは、仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう。」
5:10 民を追い使う者と下役の者は出て行き、民に向かって、「ファラオはこう言われる。『今後、お前たちにわらは一切与えない。
5:11 お前たちはどこにでも行って、自分でわらを見つけて取って来い。ただし、仕事の量は少しも減らさない』」と言ったので、
5:12 民はエジプト中に散ってわらの切り株まで集めた。
5:13 追い使う者たちは、「わらがあったときと同じように、その日の割り当てをその日のうちに仕上げろ」と言って、せきたてた。
5:14 ファラオに任命された追い使う者たちは、監督として置いたイスラエルの人々の下役の者らに、「どうして、今までと同じ決められた量のれんがをその日のうちに仕上げることができないのか」と言って、彼らを打ったので、
5:15 イスラエルの人々の下役の者らはファラオのもとに行って、訴えた。「どうしてあなたは僕たちにこのようにされるのですか。
5:16 僕らにはわらが与えられません。それでも、れんがを作れと言われて、僕らは打たれているのです。間違っているのはあなたの民の方です。」
5:17 彼は言った。「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ。だから、主に犠牲をささげに行かせてくださいなどと言うのだ。
5:18 すぐに行って働け。わらは与えない。しかし、割り当てられた量のれんがは必ず仕上げよ。」
5:19 イスラエルの人々の下役の者たちは、「れんがの一日の割り当ては減らすな」と命じられて、自分たちが苦境に立たされたことを悟った。
5:20 彼らがファラオのもとから退出して来ると、待ち受けていたモーセとアロンに会った。
5:21 彼らは、二人に抗議した。「どうか、主があなたたちに現れてお裁きになるように。あなたたちのお陰で、我々はファラオとその家来たちに嫌われてしまった。我々を殺す剣を彼らの手に渡したのと同じです。」
5:22 モーセは主のもとに帰って、訴えた。「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。
5:23 わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません。」
6:1 主はモーセに言われた。「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる。」出エジプト記 5章1節~6章1節

原稿のアイコンメッセージ

 前回、私たちは、モーセがアロンと共にエジプトに帰ったことを学びました。アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の面前でしるしを行ったので、民はモーセに主が現れたことを信じたのでありました。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝したのです。今夕の御言葉はその続きであります。

 その後、モーセとアロンはエジプトの王ファラオのもとに出かけて行き、こう言いました。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と」。ここで「主」と訳されているのは、「わたしはある」という言葉に由来するヤハウェという御名前であります。ここで、モーセは預言者として、イスラエルの神、ヤハウェの御言葉をファラオに伝えるのです。「わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい」。これは命令形で記されています。イスラエルの神、ヤハウェは、エジプトの王ファラオに、「わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい」と命じられるのです。それに対して、ファラオはこう答えました。「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」。このファラオの言葉はもっともな言葉であります。ファラオはエジプトの最高権力者であり、神の子と崇められる、絶対的な権力を持っていました。そのファラオが、主という聞いたこともない神の命令に従って、イスラエルを去らせる理由はないのです。ファラオははっきりと、「わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と言っております。これに対して、二人はこう言いました。「ヘブライ人の神がわたしたちに出現されました。どうか、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしないと、神はきっと疫病か剣でわたしたちを滅ぼされるでしょう」。ここで、二人は、かつて主から授けられた言葉をそのまま語っております。3章18節にこう記されておりました。「彼らはあなたの言葉に従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちを伴い、エジプト王のもとに行って彼に言いなさい。『ヘブライ人の神、主がわたしたちに出現されました。どうか、今、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください』」。二人は、この主から授けられた言葉をファラオに語ったのです。ただ、5章3節後半の「そうしないと、神はきっと疫病か剣でわたしたちを滅ぼされるでしょう」という言葉は、主から授かった言葉にはありませんでした。モーセは、そのように語ることによって、ファラオに、イスラエルの民を早く去らせるようにと迫るのです。しかし、エジプトの王は彼らにこう命じるのです。「モーセとアロン、お前たちはなぜ彼らを仕事から引き離そうとするのだ。お前たちも自分の労働に戻るがよい」。ファラオは更に、こう言いました。「この国にいる者の数が増えているのに、お前たちは彼らに労働をやめさせようとするのか」。私たちは、このファラオの言葉から、モーセがエジプトからミディアンの地へと逃れた40年前と状況は変わっていないことを教えられます。そもそも、イスラエルの民が重労働を課せられ、虐待されたのは、イスラエルの民の人口があまりにも数多く、強力になりすぎたからでありました。そのような状況は、モーセが40年ぶりにエジプトに帰って来た今も変わっていなかったのです。それゆえ、ファラオは、イスラエルの民に労働を止めさせるつもりなど全くないのです。

 ファラオはその日、民の追い使う者と下役の者に命じてこう言いました。「これからは、今までのように、彼らにれんがを作るためのわらを与えるな。わらは自分たちで集めさせよ。しかも、今まで彼らが作ってきた同じれんがの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのだ。この者たちは、仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう」。日干しれんがを作るためには、粘土の中にわらを入れる必要がありました。わらが粘土を固める働きをし、れんがの形が崩れるのを防いだのです。しかし、ファラオは、イスラエルの民にれんがを作るためのわらを与えるなと命じるのです。わらを自分で集めさせ、しかも、これまと同じ数量のれんがを作るようにと命じるのであります。このようにして、ファラオは、イスラエルの民に、わらを集めるというさらなる労働を課すのです。ファラオは、イスラエルの民に労働をやめさせるどころか、さらなる労働を課すのです。なぜなら、ファラオにとって、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれなどと叫ぶのは、彼らが怠け者であることの証拠であるからです。ファラオは仕事をきつくすることによって、そのようなことは不可能なことを彼らに思い知らせようとするのです。9節に「仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう」とありますが、この「偽りの言葉」とは、「ヘブライ人の神がわたしたちに出現されました」というモーセとアロンの言葉を指しています。イスラエルの民はそのことを信じたのですが、ファラオはそれを偽りの言葉と断定するのです。主がモーセに現れたことを信じないファラオにとって、自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれという言葉は、仕事を怠けるための口実に過ぎないと思われたのです。

 このファラオの命令を受けて、民を追い使う者と下役の者は出て行き、イスラエルの民に向かってこう言いました。「ファラオはこう言われる。『今後、お前たちにわらは一切与えない。お前たちはどこにでも行って、自分でわらを見つけて取って来い。ただし、仕事の量は少しも減らさない』」。そこで、イスラエルの民は、エジプト中に散って、わらの切り株までも集めたのでありました。そして、追い使う者たちは、「わらがあったときと同じように、その日の割り当てをその日のうちに仕上げろ」と言って、せき立てたのです。ファラオに任命された追い使う者たちは、監督として置いたイスラエルの人々の下役の者らに、「どうして、今までと同じ決められた量のれんがをその日のうちに仕上げることができないのか」と言って、彼らを打ちました。イスラエルの民は、いくつものグループに分けられていたと思われますが、その監督としてイスラエルの民の中から下役として立てられていたのです。ファラオは、エジプト人がイスラエルの人を監督するのではなくて、イスラエル人の下役にイスラエル人を監督させていたのです。そのようにして、イスラエルの民の敵意がエジプト人に向かないようにしていたのです。民を追い使う者は、この下役たちを打ったのでありますが、彼らは、ファラオのもとに行って、こう訴えました。「どうしてあなたは僕たちにこのようにされるのですか。僕らにわらが与えられません。それでも、れんがを作れと言われて、僕らは打たれているのです。間違っているのはあなたの民の方です」。ここで、下役たちは、ファラオの命令の不条理を訴えています。わらが与えられなければ、自分でわらを捜さねばならないのですから、作業する時間は減少します。しかし、それでも、以前と同じ量のれんがを作れという。そして、作れないと暴力を振るう。このようなエジプト人の振るまいは間違えていると、彼らは勇気を出して訴えたのでした。それに対して、ファラオはこう言いました。「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ。だから、主に犠牲をささげに行かせてくださいなどと言うのだ。すぐに行って働け。わらは与えない。しかし、割り当てられた量のれんがは必ず仕上げよ」。ここで、下役の者たちは、なぜ、ファラオが、イスラエルの民にわらを与えないと言い出したのかを知ることになります。「主に犠牲をささげに行かせてください」というモーセとアロンの訴えが、ファラオの怒りを買ったのです。イスラエルの下役の者たちは、ファラオから直接、「れんがの一日の割り当ては減らすな」と命じられて、自分たちが苦境に立たされたことを悟ったのです。

 彼らがファラオのもとから退出してくると、待ち受けていたモーセとアロンに会いました。そして、彼らはモーセとアロンにこう言って抗議したのです。「どうか、主があなたたちに現れてお裁きになるように。あなたたちのお陰で、我々はファラオとその家来たちに嫌われてしまった。我々を殺す剣を彼らの手に渡したのと同じです」。このようにして、ファラオの思惑どおり、イスラエル人同士が対立するようになるのです。しかし、モーセはこれに対して何も言いませんでした。モーセは、このことを主に訴えるのです。「わが主よ。あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとはされません」。これを受けて、主はモーセにこう言われます。「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる」。モーセは「あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません」と訴えるのですが、主は、「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう」と言われるのです。主は強い手によって、ファラオに御自分が何者であるのかを知らせることによって、ファラオ自身がイスラエルの民をエジプトから追い出すようになるのです。

 今夕の御言葉は、イスラエルの奴隷状態が過酷なものであったことを私たちに教えております。彼らは休むことなく強制的に働かされる、まさに奴隷でありました。自分たちの神を礼拝したいと願いでても、「怠け者」という烙印を押されて、赦してもらえないのです。ファラオにとっても、エジプト人にとっても、イスラエル人は欠かすことのできない労働力、生きた道具であったのです。エジプトの管理組織は、ファラオを頂点として、エジプト人の追い使う者、イスラエル人の下役、イスラエルの民とピラミッド型に整えられており、そこからは誰も逃れることはできないように思えます。「自分たちの神に犠牲をささげに行かせてくれ」と言うだけで、これまで以上に仕事をきつくされてしまうのです。このような奴隷状態からどのようにして、主はイスラエルを救い出すことができるのか。そのことを私たちはこれからご一緒に学んでいきたいと思います。

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