エジプトへ帰るモーセ 2014年9月28日(日曜 夕方の礼拝)
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エジプトへ帰るモーセ
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- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
出エジプト記 4章18節~31節
聖書の言葉
4:18 モーセがしゅうとのエトロのもとに帰って、「エジプトにいる親族のもとへ帰らせてください。まだ元気でいるかどうか見届けたいのです」と言うと、エトロは言った。「無事で行きなさい。」
4:19 主はミディアンでモーセに言われた。「さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった。」
4:20 モーセは、妻子をろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った。
4:21 主はモーセに言われた。「エジプトに帰ったら、わたしがあなたの手に授けたすべての奇跡を、心してファラオの前で行うがよい。しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう。
4:22 あなたはファラオに言うがよい。主はこう言われた。『イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。
4:23 わたしの子を去らせてわたしに仕えさせよと命じたのに、お前はそれを断った。それゆえ、わたしはお前の子、お前の長子を殺すであろう』と。」
4:24 途中、ある所に泊まったとき、主はモーセと出会い、彼を殺そうとされた。
4:25 ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付け、「わたしにとって、あなたは血の花婿です」と叫んだので、
4:26 主は彼を放された。彼女は、そのとき、割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。
4:27 主はアロンに向かって、「さあ、荒れ野へ行って、モーセに会いなさい」と命じられたので、彼は出かけて行き、神の山でモーセと会い、口づけした。
4:28 モーセは自分を遣わされた主の言葉と、命じられたしるしをすべてアロンに告げた。
4:29 モーセはアロンを伴って出かけ、イスラエルの人々の長老を全員集めた。
4:30 アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の面前でしるしを行ったので、
4:31 民は信じた。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみを御覧になったということを聞き、ひれ伏して礼拝した。出エジプト記 4章18節~31節
メッセージ
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前回、私たちは、主がモーセに向かって怒りを発したことを学びました。主は、モーセの心配を取り除くかたちで、忍耐強くモーセを説得して来たのですが、それでもエジプトに行くことを拒むモーセに対して、怒りを発してこう言われたのです。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。あなたはこの杖を手に取って、しるしを行う」。この主の言葉に対して、モーセが何と答えたかは記されていません。しかし、今夕の御言葉には、主の命令に従って、モーセがエジプトに帰ったことが記されています。モーセは、主の言葉に従ってエジプトへ帰るために、しゅうとのエトロにエジプトへ帰る許しを請うのです。
モーセはしゅうとのエトロのもとに帰ってこう言いました。「エジプトにいる親族のもとへ帰らせてください。まだ元気でいるかどうか見届けたいのです」。使徒言行録7章に記されているステファノの説教によれば、モーセがミディアンの地に来てから40年が経っておりました。モーセがしゅうとであるエトロに、エジプトへ帰る許しを請うたのは、当時は大家族であり、しゅうとが大きな権威を持っていたからです。創世記の30章に、ヤコブがしゅうとであるラバンのもとを離れて、故郷へ帰りたいと願い出たお話が記されておりましたが、それと同じように、モーセは、しゅうとであるエトロに、エジプトへ帰ることを願い出るのです。ある人は、このモーセの言葉について、モーセはこのとき、アロンが生きているかどうかを確かめたかったのではないか。そして、その背後には、主の言葉に対する疑いがあったのではないかと推測しています。主は、アロンが今、モーセに会おうとして、向かっていると言ったけれども、アロンはまだ生きているのだろうか。それを確かめたいという思いがこの言葉に表れていると言うのです。私はそこまで考えなくてもよいのではないかと思います。主が怒りを発した時点で、モーセは従うしかないわけですから、モーセはしゅうとのエトロがエジプトへ帰ることを許してくれそうなもっともなことを言ったわけです。そして、この言葉は、モーセの本心からのものであったと思います。ミディアンの地に来て、40年も経つわけですから、姉のミリアムは、また、兄のアロンは元気でいるかを見て確かめたいとモーセは願ったのです。このモーセの言葉を受けて、しゅうとのエトロは、「無事で行きなさい」と言いました。そのようにして、モーセとその妻と子供たちを送り出したのです。
主はミディアンでモーセに言われました。「さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった」。主がミディアンにいるモーセに現れたことは、主がホレブの山に住む神ではなく、どこにでもおられる神であることを教えています。主は「わたしはある」と言われたように、どこにでも御自分をあらしめられるお方であるのです。ここで、主はエジプトへ帰ることを決心したモーセの不安を取り除いてくださいました。そもそも、モーセがエジプトの地からミディアンの地へと逃れて来たのは、エジプトの王ファラオに命を狙われたためでありました(2:15参照)。しかし、主は、モーセに、「あなたの命を狙っていた者は皆、死んでしまった」と告げるのです。主がモーセに現れ、イスラエルの民をエジプトから導き出す指導者として召されたのは、モーセの命を狙っていた者が皆、死んでしまった、そのような時であったのです。
モーセは、ミディアンで現れた主の言葉に従い、妻と子供たちをろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行きました。私たちは、ここにモーセの信仰を見ることができるのです(創世12:4参照)。
主はモーセにこう言われました。「エジプトに帰ったら、わたしがあなたの手に授けたすべての奇跡を、心してファラオの前で行うがよい。しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、王は民を去らせないであろう。あなたはファラオに言うがよい。主はこう言われた。『イスラエルはわたしの子、わたしの長子である。わたしの子を去らせてわたしに仕えさせよと命じたのに、お前はそれを断った。それゆえ、わたしはお前の子、お前の長子を殺すであろう』と」。ここには、これから起こることが予告されています。ファラオは、モーセが行う様々な奇跡を見ても、イスラエルの民を去らせようとはしませんでした。そして、その背後には、神様がファラオの心をかたくなにされたことがあったのです。そして、ついに、エジプト中の初子、長子がすべて死ぬという災いが起こるのです。主はモーセにこれから起こることを伝えることによって、主がすべてをご存じであられること、これから起こることが主の御手の内にあることを知らせるのです。
ミディアンからエジプトへと向かう途中、ある所に泊まったとき、主はモーセと出会い、モーセを殺そうとしたことが24節から26節までに記されています。このところは大変解釈の難しいところです。なぜ、主はモーセを殺そうとされたのでしょうか?そのことを知る手がかりが、25節、26節に記されています。「ツィポラは、とっさに石刀を手にして息子の包皮を切り取り、それをモーセの両足に付け、『わたしにとって、あなたは血の花婿です』と叫んだので、主は彼を放された。彼女は、そのとき、割礼のゆえに『血の花婿』と言ったのである」。このところから推測しますと、モーセは割礼を受けていなかったようであります。創世記の17章に、神様がアブラハムに、契約のしるしとして、その子孫に割礼を授けるように命じられたことが記されていましたが、モーセも、その息子であるゲルショムも、割礼を受けていなかったようです。創世記の17章で、神様はアブラハムにこう命じておられました。旧約の21ページ、創世記の17章9節から14節をお読みします。
神はまた、アブラハムに言われた。「だからあなたも、わたしの契約を守りなさい、あなたも後に続く子孫も。あなたたち、およびあなたの後に続く子孫と、わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。包皮の部分を切り取りなさい。これが、わたしとあなたたちの間の契約のしるしとなる。いつの時代でも、あなたたちの男子はすべて、直系の子孫はもちろんのこと、家で生まれた奴隷も、外国人から買い取った奴隷であなたの子孫でない者も皆、生まれてから八日目に割礼を受けなければならない。あなたの家で生まれた奴隷も、買い取った奴隷も、必ず割礼を受けなければならない。それによって、わたしの契約はあなたの体に記されて永遠の契約となる。包皮の部分を切り取らない無割礼の男がいたなら、その人は民の間から断たれる。わたしの契約を破ったからである。」
このように割礼は、神の契約の民であることのしるしであったのです。そのしるしである割礼をモーセは受けていませんでした。それゆえ、主はモーセを殺そうとされたのであります。では、今夕の御言葉に戻ります。旧約の99ページです。
主は無割礼のモーセを殺そうとしたのでありますが、妻のツィポラはとっさに石刀で息子の包皮を切り取り、モーセの両足に付けました。「両足」とはモーセの陰部のことであります。それによって、モーセが割礼を受けたことの代わりとしたのです。ツィポラが叫んだ言葉、「わたしにとって、あなたは血の花婿です」という言葉は、ミディアンにおいて割礼が、結婚する前に行われたことを背景としています。そして、この言葉は、割礼を受けて血を流すことにより、神様との結婚関係に入ったことをも現しているのです。このことは、割礼に代わる洗礼を受けた私たちにおいても言えることであります。使徒パウロが、第二コリント書の10章2節で、「わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです」と言っているように、洗礼を受けて、罪から清められた私たちは、キリストの花嫁となったのです。そして、私たちの罪のために十字架の上で血をながされたイエス・キリストこそ、まさしく私たちの「血の花婿」なのであります。
主がモーセを殺そうとした出来事は、モーセがこれから果たすべき使命が、文字通り命がけであることを教えております。そして、モーセが契約のしるしである割礼を受けることは、その使命を果たすために、必要なことであったのです。
他方、主はアロンに向かって、「さあ、荒れ野へ行って、モーセに会いなさい」と命じられました。それで、アロンは出かけて行き、神の山でモーセに会い、口づけしました。エジプトからミディアンへと向かっていたアロンと、ミディアンからエジプトへと向かっていたモーセが、主の導きによって、神の山ホレブで再会することができたのです。モーセは自分を遣わされた主の言葉と、命じられたしるしをすべてアロンに告げました。そして、モーセはアロンを伴って出かけ、イスラエルの人々の長老を全員を集めました。アロンは主がモーセに語られた言葉をことごとく語り、民の前でしるしを行ったので、民は信じました。イスラエルの民は、先祖の神である主がモーセに現れたことを信じたのです。また、主が親しくイスラエルの人々を顧み、彼らの苦しみをご覧になったことを聞き、ひれ伏して主を礼拝したのです。主は、22節で、「イスラエルはわたしの子、わたしの長子である」と言われましたが、それほどまでに、主はイスラエルの人々を親しく顧みておられるのです。これは苦しんでいたイスラエルの民にとって、まさしく福音、良い知らせでありました。イスラエルの民は、先祖の神が、今や、親しく自分たちを顧み、共にいてくださるお方であることを知り、ひれ伏して礼拝したのです。