モーセを遣わす神 2014年8月31日(日曜 夕方の礼拝)
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モーセを遣わす神
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- 村田寿和 牧師
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出エジプト記 3章1節~12節
聖書の言葉
3:1 モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。
3:2 そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。
3:3 モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」
3:4 主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、
3:5 神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」
3:6 神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。
3:7 主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。
3:8 それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。
3:9 見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。
3:10 今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」
3:11 モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
3:12 神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」出エジプト記 3章1節~12節
メッセージ
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序.
今夕は、出エジプト記3章1節から12節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
1.炎の中に顕現される神
モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼う者となっておりました。私たちは、羊飼いと聞くと、すぐにダビデを思い起こすかも知れませんが、モーセも羊飼いであったのです。使徒言行録の7章に記されているステファノの説教によれば、モーセは40年間、ミディアンの地で羊の群れを飼う者であったのです。40歳で、エジプトからミディアンの地に逃れて来たモーセは、このとき、80歳でありました。そのようなモーセが、あるとき、羊の群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来たのでありました。「神の山ホレブ」とは、「シナイ山」の別名であります。そこで、モーセは不思議な光景を目にするのです。柴が燃えているのに、いつまで経っても、柴は燃え尽きないのです。モーセは、「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう」と言って、近づいて行きました。私たちは、2節の「そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた」という御言葉によって、炎の中に神様が現れてくださったことを知っているわけですが、モーセはそのことを知らないわけです。彼は、好奇心から、燃える柴に近づいて行ったのです。
主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になって、柴の間から、「モーセよ、モーセよ」と声を掛けられました。彼が「はい」と答えると神様はこう言われました。「ここに近づいてはならない。足から履き物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」。この場所そのものが聖なる土地であるわけではありません。神様が御臨在される場所であるゆえに、聖なる土地であるのです。続けて神様はこう言われました。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。2章24節に、「神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた」とありましたが、神様は「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と名乗られるのです。先祖が仕えてきた神様が、ホレブの山で、モーセに現れ、語りかけられたのです。モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆いました。なぜなら、古代において、神を見た者は死んでしまうと考えられていたからです(出エジプト33:20参照)。
2.モーセを遣わす神
主はモーセにこう言われました。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」
ここで、主は「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫びを聞き、その痛みを知った」と言われますが、痛みは本人にしか分からないものであります。しかし、イスラエルの苦しみをつぶさに見、彼の叫びを聞かれる神様は、イスラエルの痛みを御自分の痛みとしてくださる神様であられるのです。使徒パウロは、第二コリント書の11章29節で、「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまづくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」と記しておりますが、神様は、パウロ以上に、イスラエルの痛みを御自分の痛みとして知ってくださるお方であるのです。
それゆえ、神様は、「わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る」と言われるのです。ここで、言われていることは、神様がアブラハム、イサク、ヤコブに約束された土地を与えるという約束であります。神様は、アブラハム、イサク、ヤコブに約束を与えられましたが、その内容は大きく二つありました。一つは、子孫が天の星のように、海辺の砂のように増えること。このことは、すでに実現しておりました。イスラエルの人々は、エジプト人が危機意識を持つほど、おびただしく増え広がっていたのです。そして、二つ目は、カナンの土地を与えるという約束でありました。これは、まだ実現していませんでした。アブラハム、イサク、ヤコブが手にしていたのは、墓地として購入したマクペラの畑だけであったのです。しかし、神様は、エジプトからイスラエルの人々を救い出し、アブラハム、イサク、ヤコブに約束した広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地に導き上ると言われるのです。
主は、モーセに、エジプトの地において、今も同胞が苦しんでいることを思い起こさせようとしてこう言われます。「見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た」。ここで「イスラエルの人々」とありますが、元の言葉では、「イスラエルの息子たち」と記されています。イスラエルの人々は、神様が契約を結ばれたイスラエルの息子たちであるのです。神様は、そのイスラエルの息子たちの叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た」と言われるのです。このことは、モーセが忘れかけていたことではないでしょうか?なぜなら、モーセはエジプトから逃れて、ミディアンの地で羊飼いとして40年もの間生活してきたからです。ミディアンの地で、イスラエルの民に思いを向けることは少なくなっていたと思うのです。しかし、主は、モーセの兄弟であるイスラエルの民が、エジプト人によって圧迫され、叫び声を上げていると言われるのです。そして、モーセに、「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」と言われるのです。神様は、8節で、「わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出」すと言われましたが、それはモーセを通してであるのです。神様はモーセを通して、イスラエルの民をエジプト人の手から救い出されるのであります。
3.モーセと共にいる神
しかし、モーセは神様にこう言いました。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか」。このようにモーセは、神様の命令を断ろうとするのです。自分はそのような器ではない、と言うのです。そのようなモーセに、神様は、「わたしは必ずあなたと共にいる」と約束されました。神様は必ずモーセと共にいてくださり、モーセを通して、イスラエルの人々をエジプトから導き出されるのです。そして、これこそ、神様がモーセをイスラエルの民に遣わすしるしであるのです。
「わたしは必ずあなたと共にいる」。これと同じ言葉を、かつて主は、ハランへ旅立つヤコブに対してお語りになりました(創世28:15参照)。そして、同じ言葉を、主イエス・キリストは御自分の弟子たちに対してお語りになりました。マタイによる福音書の28章18節から20節までをお読みします。新約の60ページです。
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
イエス様は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言われました。それは、弟子である私たちを用いて、福音を宣べ伝え、多くの人を、闇から光に、サタンの支配から神の支配へと立ち帰らせるためであります。イエス様は、目には見えませんが、聖霊においていつも共にいてくださり、私たちを用いて、今も、福音を宣べ伝えておられるのです。私たちの耳には叫び声は聞こえなくとも、イエス様の耳には罪のゆえに苦しむ多くの人の叫び声が聞こえているのです。それゆえ、イエス様は、私たちにも「今、行きなさい。わたしは必ずあなたと共にいる」と言われるのです。