エジプトからの逃亡 2014年8月24日(日曜 夕方の礼拝)

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エジプトからの逃亡

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
出エジプト記 2章11節~14節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:11 モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。
2:12 モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。
2:13 翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、
2:14 「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」と言い返したので、モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。
2:15 ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろした。
2:16 さて、ミディアンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちがそこへ来て水をくみ、水ぶねを満たし、父の羊の群れに飲ませようとしたところへ、
2:17 羊飼いの男たちが来て、娘たちを追い払った。モーセは立ち上がって娘たちを救い、羊の群れに水を飲ませてやった。
2:18 娘たちが父レウエルのところに帰ると、父は、「どうして今日はこんなに早く帰れたのか」と尋ねた。
2:19 彼女たちは言った。「一人のエジプト人が羊飼いの男たちからわたしたちを助け出し、わたしたちのために水をくんで、羊に飲ませてくださいました。」
2:20 父は娘たちに言った。「どこにおられるのだ、その方は。どうして、お前たちはその方をほうっておくのだ。呼びに行って、食事を差し上げなさい。」
2:21 モーセがこの人のもとにとどまる決意をしたので、彼は自分の娘ツィポラをモーセと結婚させた。
2:22 彼女は男の子を産み、モーセは彼をゲルショムと名付けた。彼が、「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」と言ったからである。
2:23 それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。
2:24 神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。
2:25 神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。出エジプト記 2章11節~14節

原稿のアイコンメッセージ

 前回、私たちは、モーセが乳離れするまでヘブライ人である母親のもとで成長し、大きくなってからは、エジプトの王女の子となったことを学びました。モーセは幼いときにヘブライ人としての宗教教育を受け、大きくなってからは、エジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました(使徒7:22参照)。今夕の御言葉はその続きであります。

 モーセが成人したころのこと、彼は同胞の所へ出て行き、彼らが重労働を服しているのを見ました。モーセはエジプトの王女の子として成長したわけですが、自分がヘブライ人であることを忘れたわけではありませんでした。モーセにとって、エジプト人ではなく、ヘブライ人こそ同胞であったのです。そこで、モーセは、一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見ました。モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して砂に埋めました。モーセが辺りを見回し、だれもいないのを確かめたのは、自分がエジプトの王女の息子であったからだと思います。モーセはだれもいないことを確かめて、同胞のヘブライ人を助けようとするわけですが、力余って、打ち殺してしまうのです。そして、モーセは死体を砂に埋めて隠したのです。

 翌日、また、モーセが同胞の所へ出て行くと、今度はヘブライ人同士でけんかをしていました。モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、その人はこう言い返しました。「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」。それを聞いて、モーセは自分のしたことが人に見られていたことを知ったのでありました。使徒言行録7章に記されているステファノの説教によれば、モーセは、同胞であるイスラエル人を助けようと思い立ち、それで彼らの一人が虐待されているのを見て助け、相手のエジプト人を打ち殺し、ひどい目にあっていた人のあだを討ちました。しかし、同胞のイスラエル人は、そのようなモーセの思いを理解せず、「誰がお前を我々の指導者や裁判官にしたのか。昨日エジプト人を殺したように、わたしを殺そうとするのか」と言うのです。モーセは同胞意識から、また、彼自身の正義感から、エジプト人を打ち殺したのでありますが、ヘブライ人はエジプトの王女の子であるモーセを同胞とは認めていないのです。それは、モーセが自分の考えで、神が自分の手を通して兄弟たちを救おうとしておられるのではないかと考えたからでありました。モーセは神様に遣わされたのではなく、自分の考えで出て行き、自分の正義に従って行動したのでありました。しかし、そのような試みは挫折することになるのです。

 モーセがしたことは、エジプトの王ファラオの耳にも入りました。ファラオはモーセを殺そうと尋ね求めましたが、モーセはファラオの手を逃れ、ミディアンの地方にたどりつきました。「ミディアン地方」とは厳密には、アカバ湾の東の地域でありますが、ここではシナイ半島のどこかではないかと思います。と言いますのも、モーセは次週学ぶことになる3章において、ホレブの山で神からの召しを受けるからです。モーセがミディアン地方の、とある井戸の傍らに腰を下ろしておりますと、そこに、ミディアンの祭司の七人の娘がやって来ました。ミディアン人は、創世記25章2節によれば、ケトラによるアブラハムの子孫でありました。ですから、ミディアンの祭司とその娘たちは、天地の造り主、いと高き神、主を信じる者であったと思われます。ミディアンの祭司の娘たちは水をくみ、水ぶねを満たし、父の羊の群れに飲ませようとしましたが、そこへ羊飼いの男たちが来て、娘たちを追い払いました。彼らは、彼女たちが汲んだ水を、自分の家畜に飲ませようとしたのです。それを見た、モーセは立ち上がり娘たちを救い、羊の群れに水を飲ませてやりました。ここでも、モーセは正義感から、自分の危険を顧みず行動しております。今夕の御言葉には、神様から召される前のモーセの姿が記されておりますが、モーセという人は、自分の危険を顧みずに、弱い者を助ける人であったのです。

 娘たちが父レウエルの所へ帰ると、父は「どうして今日はこんなに早く帰れたのか」と尋ねました。すると、彼女たちはこう言いました。「一人のエジプト人が羊飼いの男たちから私たちを助け出し、わたしたちのために水をくんで、羊に飲ませてくださいました」。ここで娘たちは、モーセのことを「一人のエジプト人」と言っております。モーセはヘブライ人ですが、娘たちはモーセをエジプト人と言ったのです。それは、おそらくモーセが、エジプト人の衣服を身につけていたからではないかと思います。そして、ここに、ヘブライ人が、モーセを自分たちの同胞と認めなかった理由があるのです。モーセは、自分がヘブライ人であるとのアイデンティティーを持ちながら、服装はエジプト人のままであったのです。モーセは、同胞のヘブライ人を助けようと思い立ちながらも、なお、エジプトの王女の子という安全な立場に身を置いていたのです。

 娘たちの言葉を聞くと父はこう言いました。「どこにおられるのだ、その方は。どうして、お前たちはその方をほうっておくのだ。呼びに行って、食事を差し上げなさい」。モーセは、この人のもとにとどまる決意をしたので、彼は自分の娘ツィポラとモーセを結婚させました。彼女は男の子を産み、モーセは彼をゲルショムと名付けました。その名前の由来は、モーセが、「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」と言ったからであると記されています。モーセはエジプトの王女の子としての立場を捨てて、ミディアンの地に移り住むことによって、ようやく同胞のヘブライ人と同じ寄留者(ゲール)となることができたのです。そして、このことが、エジプトに寄留するイスラエルの民を救い出すために、必要なことであったのです。モーセは見知らぬ土地に住む寄留者となることによって、エジプトに寄留するイスラエルの民の同胞となることができたのです。そのことは、私たちの救い主、イエス・キリストのことを考えればお分かりいただけると思います。新約のヘブライ人への手紙2章14節から18節には次のように記されています。新約の403ページです。

 ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。確かに、イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。

 モーセはイスラエルを救うために、イスラエルと同じ寄留者の立場に身を置くことが必要であったのです。それゆえ、モーセがミディアンの地に寄留したことは、イスラエルの指導者となるための良き訓練の時であったと言えるのです。

 では、今夕の御言葉に戻ります。旧約の96ページです。

 それから長い年月がたち、モーセを殺そうと尋ね求めていた王は死にました。しかし、変わらず、イスラエルの人々には、重労働が課せられていました。イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫びました。そして、労働のゆえに助けを求める彼らの叫びは神様に届いたのです。神様はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされました。神様はイスラエルの人々を顧み、御自分を知らされるのです。神様は、イスラエル人が、「誰がお前を我々の指導者や裁判官にしたのか」と退けたモーセを用いて、イスラエルの人々をエジプトの圧政から救い出されるのです。

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