エジプトでのイスラエルの民 2014年7月06日(日曜 夕方の礼拝)

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エジプトでのイスラエルの民

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
出エジプト記 1章1節~14節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:1 ヤコブと共に一家を挙げてエジプトへ下ったイスラエルの子らの名前は次のとおりである。
1:2 ルベン、シメオン、レビ、ユダ、
1:3 イサカル、ゼブルン、ベニヤミン、
1:4 ダン、ナフタリ、ガド、アシェル。
1:5 ヤコブの腰から出た子、孫の数は全部で七十人であった。ヨセフは既にエジプトにいた。
1:6 ヨセフもその兄弟たちも、その世代の人々も皆、死んだが、
1:7 イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた。
1:8 そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配し、
1:9 国民に警告した。「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。
1:10 抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」
1:11 エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。イスラエルの人々はファラオの物資貯蔵の町、ピトムとラメセスを建設した。
1:12 しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がったので、エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、
1:13 イスラエルの人々を酷使し、
1:14 粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めた。出エジプト記 1章1節~14節

原稿のアイコンメッセージ

序.

 今夕から出エジプト記をご一緒に学んで行きたいと思います。今夕は、1章1節から14節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

1.エジプトでのイスラエルの民

 1節から7節までをお読みします。

 ヤコブと共に一家を挙げてエジプトへ下ったイスラエルの子らの名前は次のとおりである。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ベニヤミン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル。ヤコブの腰から出た子、孫の数は全部で七十人であった。ヨセフは既にエジプトにいた。ヨセフもその兄弟たちも、その世代の人々も皆、死んだが、イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた。

 ヤコブの一族がエジプトへ下ったことは、創世記の46章に記されておりましたが、ここでもそのことが繰り返されています。前回、私たちは、ヨセフの死について学んだのでありますが、今夕の御言葉は、それからずいぶん時が経っているようです。と言いますのも、「ヨセフもその兄弟たちも、その世代の人々も皆、死んだ」と記されているからです。そして、その時の経過と共に、イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れたのでありました。ヤコブの一族がエジプトに下ったときは、全部で七十人でありましたが、イスラエルの子孫たちは子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れたのです。神様は、人を男と女に創造され、彼らを祝福してこう言われました。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」(創世1:28参照)。このような神様の祝福がイスラエルの子孫たちのうえに実現していたのです。また、イスラエルの子孫がおびただしく数を増し、国中に溢れたのは、神様がアブラハム、イサク、ヤコブの族長たちに与えた約束の実現でもありました。例えば、神様は幻の中でヤコブに現れ、こう言われました。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする」(46:3)。神様は、その約束のとおり、エジプトにおいてイスラエルの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やしてくださったのです(創世22:17参照)。そして、このようにエジプトで、イスラエルの子孫がおびただしく増えることができたのは、ヨセフの庇護によるものであったのです。イスラエルの子孫はヨセフの支配の下にあって、ゴシェンの地域に住むことができ、奴隷になることなく、食糧を得ることができたのでありました(創世47:27、50:21参照)。しかし、年月が過ぎ去ることによって、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトを支配するようになったのです。

2.ヨセフのことを知らない新しい王

 8節から10節までをお読みします。

 そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配し、国民に警告した。「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」

 「そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配し」とありますが、これはこれまでとは別の新しい王朝がエジプトを支配するようになったことを表しています。一般的に、ヨセフが活躍していた時代の王朝は、イスラエル人と同じセム系のヒクソス王朝であったと言われています。セム系のヒクソス王朝であったゆえに、ヨセフは総理大臣にまでなることができたのです。しかし、新しいエジプトを支配するようになった王朝はエジプト人の王朝であったようです。しかも、ずいぶん時が経っておりますので、ヨセフが飢饉からエジプトを救ったことも知りませんでした。ヨセフのことを知らない新しい王の目には、イスラエル人は自分たちにとって危険な民にしか映らなかったのです。ここで、「イスラエル人という民は」と言われているように、イスラエルは民族とも言えるほどに、その数を増していたのであります。ここでエジプトの新しい王は、イスラエルの民の増加に危機感を覚えていますが、このことはよく分かることであります。イスラエルの民は、いわば寄留の民です。今で言えば移民であります。その移民であるイスラエルの民が数を増し、強くなることは、エジプト人にとって望ましいことではないわけです。それこそ、一度戦争が起これば、敵側について、この国を取ってしまうかもしれないのです。新共同訳聖書は、「この国を取るかもしれない」と翻訳していますが、この所は、「この地から出て行くといけないから」とも翻訳することができます(口語訳聖書、新改訳聖書参照)。そのように翻訳すると、ここでエジプトの王は、知らずに、イスラエルの民がエジプトから脱出することを預言していると言えるのです。

3.酷使されるイスラエルの民

 11節から14節までをお読みします。

 エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。イスラエルの人々はファラオの物資貯蔵の町、ピトムとラメセスを建設した。しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がったので、エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、イスラエルの人々を酷使し、粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めた。

 エジプトの王、ファラオは、イスラエルの民がこれ以上増えないように、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待しました。これまでイスラエルの民は、ヨセフのおかげで平和に暮らしておりましたが、ヨセフを知らない新しい王によって、重労働を課せられ、虐待されることになるのです。強制労働の監督の下に置かれたイスラエルの民は、ファラオの物資貯蔵の町、ピトムとラメセスを建設しました。しかし、イスラエルの民は虐待されればされるほど、増え広がりました。エジプト人は、イスラエルの民に重労働を課せば、これ以上増えなくなるのではないかと考えたのですが、イスラエルの民は苦しめば苦しむほど、増え広がったのです。それは、イスラエルを増え広がらせているのが、神様の祝福であるからです。エジプト人は、イスラエルの民がこれ以上増えないように、重労働を課し、虐待しましたが、このことは、神様の祝福、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」という祝福に逆らうことであるのです。それゆえ、イスラエルの人々を嫌悪することは、イスラエルの人々のうちに働く、神の祝福を嫌悪することであるのです。

 エジプト人はイスラエルの人々が虐待されればされるほど増え広がったので、ますます彼らをこき使い、粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かしました。彼らが従事した労働はいずれも過酷なものでありました。このように、イスラエルの民は、ヨセフを知らない新しい王によって、奴隷のような扱いを受けることになるのです。

結.神の祝福としての出産と労働

 エジプト人は、イスラエルの人々に、重労働を課し、彼らの生活を脅かしましたが、本来、労働も神様からの祝福でありました。神様は、増え広がることだけではなく、地を従わせること、海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物を支配することをも祝福として命じられたのです。しかし、ここでは、その労働が生活を脅かすものとなってしまっているのです。それはこの労働が強制労働であり、重労働であったからです。私たちはここに、神の祝福を台無しにしてしまう人間の罪の世界を見ることができます。祝福として与えられた労働がかえって生活を脅かしている。そのことは、現代の社会においても同じかも知れません。「過労死」という言葉があるように、現代の社会においても、重労働によって多くの人が生活を脅かされているのです。そのような社会にあって、私たちは、今一度、出産と労働が神様の祝福であるということを心に刻みたいと願います。

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