大バビロンが倒れた 2018年11月18日(日曜 夕方の礼拝)
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大バビロンが倒れた
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- 村田寿和 牧師
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ヨハネの黙示録 18章1節~8節
聖書の言葉
18:1 その後、わたしは、大きな権威を持っている別の天使が、天から降って来るのを見た。地上はその栄光によって輝いた。
18:2 天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、/あらゆる汚れた霊の巣窟、/あらゆる汚れた鳥の巣窟、/あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。
18:3 すべての国の民は、/怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、/地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、/地上の商人たちは、/彼女の豪勢なぜいたくによって/富を築いたからである。」
18:4 わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、/その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。
18:5 彼女の罪は積み重なって天にまで届き、/神はその不義を覚えておられるからである。
18:6 彼女がしたとおりに、/彼女に仕返しせよ、/彼女の仕業に応じ、倍にして返せ。彼女が注いだ杯に、/その倍も注いでやれ。
18:7 彼女がおごり高ぶって、/ぜいたくに暮らしていたのと、/同じだけの苦しみと悲しみを、/彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『わたしは、女王の座に着いており、/やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない。』
18:8 それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、/死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、/力ある主だからである。」ヨハネの黙示録 18章1節~8節
メッセージ
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序
前回学んだ17章には、十人の王と獣によって、大淫婦が滅ぼされる幻が記されていました。大淫婦と獣は、どちらもローマ帝国のことですから、この幻は、ローマ帝国が内乱によって滅びることを示しています。神様は、十人の王と獣に淫婦を憎む心を与え、彼らによって淫婦であるローマを焼き尽くすのです。今夕の御言葉は、その続きであります。
1 大バビロンが倒れた
1節から3節までをお読みします。
その後、わたしは、大きな権威を持っている別の天使が、天から降って来るのを見た。地上はその栄光によって輝いた。天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこには悪霊どもの住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。すべての国の民は、怒りを招く彼女のみだらな行いのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女とみだらなことをし、地上の証人たちは、彼女の豪勢なぜいたくによって/富を築いたからである。」
大きな権威を持っている別の天使は、「倒れた。大バビロンが倒れた」と力強い声で叫びました。「大バビロン」とは、ローマ帝国のことです。かつての世界帝国であったバビロン帝国にちなんで、当時(紀元1世紀)の世界帝国であったローマ帝国が大バビロンと呼ばれているのです。また、そのことを踏まえて、ヨハネは今夕の御言葉を記しています。旧約聖書には、バビロンについての御言葉がいくつも記されています。ヨハネは、かつて主がバビロンに対して語られた御言葉を用いて、今夕の御言葉を記しているのです。「倒れた。大バビロンが倒れた」。この御言葉の背景には、イザヤ書21章9節の御言葉があります。そこには、こう記されています。
「見よ、あそこにやって来た/二頭立ての戦車を駆る者が。」その人は叫んで、言った。「倒れた、倒れた、バビロンが。神々の像はすべて砕かれ、地に落ちた。」
かつて、二頭立ての戦車を駆る者が叫んだように、大きな権威を持っている別の天使は、「倒れた。大バビロンが倒れた」と力強い声で叫ぶのです。
「倒れた。大バビロンが倒れた」。この言葉は、過去形で記されています。実際には、ローマ帝国は滅んでいないのですが、天使は、そのことが神様の決定事項であるゆえに、必ず起こることとして過去形で語るのです。滅びた大バビロンには、もはや人が住むことなく、悪霊どもや汚れた鳥、忌まわしい獣が住むことになります。そのように大バビロンは荒廃するのです。この所も旧約聖書を背景にしています。イザヤ書13章19節から22節にこう記されています。
バビロンは国々の中で最も麗しく/カルデア人の誇りであり栄光であったが/神がソドムとゴモラを/覆されたときのようになる。もはや、だれもそこに宿ることはなく/代々にわたってだれも住むことはない。アラブ人さえ、そこには天幕を張らず/羊飼いも、群れを休ませない。かえって、ハイエナがそこに伏し、家々にはみみずくが群がり/駝鳥が住み、山羊の魔神が踊る。立ち並ぶ館の中で、山犬が/華やかだった宮殿で、ジャッカルがほえる。今や、都に終わりの時が迫る。その日が遅れることは決してない。
このようなバビロンに対する御言葉を用いて、大バビロンであるローマが荒廃した様を、ヨハネは記すのです。
なぜ、神様は大バビロンを倒し、荒廃させられたのでしょうか。その理由が、3節に記されています。ローマ帝国は、すべての国民に、神様の怒りを招く偶像崇拝を強制しました。ローマ皇帝は、自分を神として崇めることを、すべての民に強制したのです。また、ローマ皇帝は属州の王たちにも、自分を神として礼拝することを求めました。さらに、ローマ帝国は、略奪や搾取によって、豪勢な贅沢を楽しみました。このように見てきますと、ローマ帝国が神様によって滅ぼされた理由は、偶像崇拝と豪勢な贅沢の2点にあるようです。
2 わたしの民よ
4節、5節をお読みします。
わたしはまた、天から別の声がこう言うのを聞いた。「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神はその不義を覚えておられるからである。
ヨハネが聞いた、天からの別の声が誰の声なのかは記されていません。けれども、「わたしの民よ」と呼びかけていますから、イエス様の声だと思います。4節、5節には、私たちに対するイエス様の御言葉が記されているのです。「わたしの民よ、彼女から離れ去れ」。この御言葉も、旧約聖書を背景としています。エレミヤ書51章6節に、こう記されています。「お前たちはバビロンの中から逃げ/おのおの自分の命を救え。バビロンの悪のゆえに滅びるな。今こそ、主が復讐される時/主はバビロンに仇を返される」。「お前たちはバビロンの中から逃げよ」と言われた主は、「わたしの民よ、大バビロンから離れ去れ」と言われるのです。ローマから離れ去ること、それは地理的なことを言っているのではありません。なぜなら、ヨハネの黙示録は、小アジアにある教会に宛てて記された書物であるからです。では、「ローマから離れ去れ」とは、どのようなことを意味しているのでしょうか。それはローマの罪から離れさること。ローマの社会に蔓延している悪しきものから遠ざかることです。大バビロンの罪は積み重なって天にまで届きました。そして、その不義を神様が覚えられるとき、大バビロンは裁かれます。神様は正しいお方、義なるお方として、積み重なって天にまで届いた彼らの罪を放置されることはありません。その不義にふさわしい罰を必ず与えられるのです。
3 彼女を裁く力ある主
6節から8節までをお読みします。
彼女がしたとおりに、彼女に仕返しせよ、彼女の仕業に応じ、倍にして返せ。彼女が注いだ杯に/その倍も注いでやれ。彼女がおごり高ぶって、ぜいたくに暮らしていたのと、同じだけの苦しみと悲しみを、彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『わたしは、女王の座に着いており、やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない。』それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、力ある主だからである。」
6節から8節は、裁きを実行する天使に対して語られた主イエスの御言葉です。「彼女がしたとおりに、彼女に仕返しせよ」。このことは、バビロンについても言われていたことです(エレミヤ50:29)。ヨハネは、バビロンの滅亡によって実現した主の御言葉を用いることによって、大バビロンであるローマに対する主の裁きも必ず実現することを教えているのです。あるいは、このようにも言えます。バビロンに対する主の御言葉の射程は、大バビロンであるローマにも及んでいる。そして、大バビロンに対する主の御言葉の射程は、ローマ帝国を超えて、将来に現れる帝国にも及んでいるのです。
ヨハネの黙示録が記されたのは、紀元1世紀の小アジアであり、当時はローマ帝国が世界を支配していました。ローマ帝国は、皇帝を神として崇める偶像崇拝を強要し、略奪と搾取によって豪勢な贅沢を楽しんでいました。しかし、どうも、私たちには、遙か昔の遠い国のことで、分かりづらいのです。それで、ローマ帝国と同じような罪を犯した、かつての私たちの国、大日本帝国と読み替えると、よく分かるのではないかと思います。大日本帝国は、天皇を神として崇める神社参拝をすべての国民に強制しました。ちなみに、天皇は英語に訳すとエンペラーになります。天皇崇拝はエンペラー崇拝、皇帝崇拝でもあるのです。大日本帝国は、植民地とした朝鮮や東南アジアの人たちにも神社参拝と言う仕方で天皇崇拝を強制しました。3節に記されていたローマ帝国の姿は、そのまま大日本帝国に当てはまるのです。6節に、「彼女がしたとおりに、彼女に仕返しせよ」とありますが、大日本帝国は、中国の重慶(じゅうけい)を空爆しました。そして、それと同じように、アメリカ軍によって、東京を空爆されたのです。さらには、広島と長崎に原子力爆弾を落とされるという倍の報復を、徹底的な裁きを受けたのです。7節に記されている大バビロンの言葉も、そのまま大日本帝国の言葉として読むことができます。「日本は神の国だ。だから、決して負けることはない」。そのように大日本帝国は言い続けてきたのです。しかし、そのような大日本帝国を、さまざまの災いが、死と悲しみと飢えが襲ったのです。まさに、敗戦焦土の焼け野原となったわけです。そのようにして、力ある神様は、大日本帝国を、私たちの国を裁かれたのです。
大バビロンは、ローマ帝国で終わりではありません。すべての国民に神社参拝を強制した大日本帝国も大バビロンであったのです。その大バビロンの罪に教会も加わり、災いに巻き込まれたのです。その教会の罪について、私たちの教会の創立30周年宣言は、次のように記しています。
私たちは、宗教団体法下の教会合同に連なったものとして、同時代の教会が犯した罪とあやまちについて共同の責任を負うものであることをも告白いたします。戦時下に私たち日本の教会は、天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家神道儀礼を拒絶しきれなかった偶像崇拝、国家権力の干渉のもとに行われた教会合同、聖戦の名のもとに遂行された戦争の不当性とりわけ隣人諸国とその兄弟教会への不当な侵害に警告する見張りの務めを果たし得ず、かえって戦争に協力する罪を犯しました。
私たち、日本の教会は、大日本帝国の罪から離れ去ることができず、その罪に加わってしまったわけです。しかし、神様は、敗戦によって、私たちの国に信教の自由を与えてくださり、日本キリスト改革派教会を建ててくださったのです。それは大バビロンを裁かれる神様が、力ある主であると同時に、憐れみ深い主であるからです。