大淫婦と獣 2018年10月21日(日曜 夕方の礼拝)
問い合わせ
大淫婦と獣
- 日付
-
- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
ヨハネの黙示録 17章1節~6節
聖書の言葉
17:1 さて、七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、わたしに語りかけた。「ここへ来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。
17:2 地上の王たちは、この女とみだらなことをし、地上に住む人々は、この女のみだらな行いのぶどう酒に酔ってしまった。」
17:3 そして、この天使は“霊”に満たされたわたしを荒れ野に連れて行った。わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。この獣は、全身至るところ神を冒涜する数々の名で覆われており、七つの頭と十本の角があった。
17:4 女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。
17:5 その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。
17:6 わたしは、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれているのを見た。この女を見て、わたしは大いに驚いた。ヨハネの黙示録 17章1節~6節
メッセージ
関連する説教を探す
序
ヨハネの黙示録16章には、最後の七つの災いである「鉢の災い」が記されていました。16章17節から19節にはこう記されていました。
第七の天使が、その鉢の中身を空中に注ぐと、神殿の玉座から大声が聞こえ、「事は成就した」と言った。そして、稲妻、さまざまな音、雷が起こり、また、大きな地震が起きた。それは、人間が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの大地震であった。あの大きな都が三つに引き裂かれ、諸国の民の方々の町が倒れた。神は大バビロンを思い出して、御自分の激しい怒りのぶどう酒の杯をこれにお与えになった。
神様が大バビロンに与えられた激しい怒りのぶどう酒の杯が、今夕の17章1節から19章10節までに詳しく記されています。今夕は、その初めのところ、17章1節から6節までを御一緒に学びたいと思います。
1 大淫婦に対する裁き
1節をお読みします。
さて、七つの鉢を持つ天使の一人が来て、わたしに語りかけた。「ここへ来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。
この御言葉は、21章9節の御言葉と対になっています。21章9節にはこう記されています。
さて、最後の七つの災いの満ちた七つの鉢を持つ七人の天使がいたが、その中の一人が来て、わたしに語りかけてこう言った。「ここへ来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。」
天使は、小羊の妻である花嫁を見せるに先立って、大淫婦に対する裁きを見せるのです。ヨハネの黙示録は、小羊の妻である花嫁の到来に先立って、大淫婦に対する裁きを記すのです。
「大淫婦」とは「大いなる淫婦」のことで、「とても淫らな女」ということです。この「大淫婦」は、16章19節の「大バビロン」のことを指しています。そのことは、大淫婦が「多くの水の上に座っている」という記述からも分かります。エレミヤ書50章と51章に、バビロンに向かって、預言者エレミヤを通して語られた主の御言葉が記されています。そこには、バビロンは豊かな水の傍らに住んでいると記されています。実際に、開いて確認したいと思います。旧約の1276ページ。エレミヤ書51章13節をお読みします。
豊かな水の傍らに住み、財宝に富む者よ。お前の終わりが来た。命の糸は断たれる。
バビロンは、ユーフラテス川の傍らにある都でありました。バビロンには、多くの運河が張り巡らされていたのです。このバビロンになぞらえて、ヨハネは、大淫婦である大バビロンが「多くの水の上に座っている」と記すのです。
では、今夕の御言葉に戻ります。新約の471ページです。
天使は大バビロンであるローマのことを、大淫婦と呼んでいますが、そのように呼ぶ理由が2節に記されています。
地上の王たちは、この女とみだらなことをし、地上に住む人々は、この女のみだらな行いのぶどう酒に酔ってしまった。
ここでの「みだらなこと」は神でないものを神として崇める偶像崇拝を意味しています。地上の王や地上に住む人々は、ローマを女神ローマとして崇め、その富と快楽にあずかっていたわけです。女神ローマを崇拝するならば、地上に住む人々はパンとサーカスにあずかることができたわけです。女神ローマ、それは人々の目に、どれほど魅力的に映ったことでしょうか。しかし、神様の目には、人々にみだらな行いをさせる大淫婦でしかないのです。そして、神様の目に映る姿こそが、本当の姿であるのです。ヨハネは、神様の目に映るローマの本当の姿を見ることになるわけです。
2 大淫婦と獣
3節、4節をお読みします。
そして、この天使は、霊に満たされたわたしを荒れ野に連れて行った。わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。この獣は、全身至るところ神を冒涜する数々の名で覆われており、七つの頭と十本の角があった。女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。
天使は、聖霊に満たされたヨハネを荒れ野に連れて行きました。12章14節によれば、荒れ野は女が蛇から逃れた場所でありました。その荒れ野から、ヨハネは赤い獣にまたがっている一人の女を見たのです。誤解のないように申しますが、荒れ野に赤い獣にまたがっている一人の女がいたのではありません。女が神様によって保護されている場所である荒れ野から、ヨハネは赤い獣にまたがっている一人の女を見たのです。これは、「教会から」と言い換えてもよいと思います。教会から見るときに初めて、ローマが赤い獣にまたがっている一人の女であることが分かるのです。
「赤い獣」とありますが、12章3節に「火のように赤い大きな竜」と記されていました。獣は、大きな竜、悪魔とかサタンとか呼ばれるものと同じ色であるのです。
また、この獣は、全身に神を冒涜する名が記されており、七つの頭と十本の角がありました。これは、13章1節に記されていた獣と同じですね。竜である悪魔が、キリストの教会と戦うための助っ人として呼び出した獣にも、十本の角と七つの頭がありました。13章1節では、「頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた」とありましたが、今夕の御言葉では、全身に神を冒涜するさまざまな名が記されています。神を冒涜する度合いが増しているようです。皇帝だけが自分を神としているのではなくて、その国民も皇帝を神として崇めている。そのことを表しているようです。
4節には、女の姿が記されています。女は紫と赤の衣を着ておりました。当時、紫の布や赤い布は貴重品でありました。また、女は金と宝石と真珠で身を飾っていました。これらの衣服や装飾品は、女が持つ富と繁栄を象徴しています。また、女は金の杯を手に持っていました。これも女が裕福であることを示しているわけです。しかし、その中身は、「忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ち」ていたのです。黄金の杯、それはどれほど美しいことでしょうか。しかし、その中身は、忌まわしい偶像崇拝の汚れで満ちていたのです。女神ローマへの礼拝がどれほど立派な神殿で、きらびやかに行われようとも、それは唯一の生けるまことの神様にとって、忌まわしいものでしかないのです。
3 秘められた意味の名
5節、6節をお読みします。
その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。わたしは、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれているのを見た。この女を見て、わたしは大いに驚いた。
この女の額には、秘められた意味の名が記されていました。女神ローマの額には、私たちしか知ることのできない本当の名前が記されているのです。それは、「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名前です。ここでの「大バビロン」とは、当時(紀元1世紀)のローマ帝国のことです。ヨハネの黙示録は、90年頃、皇帝ドミティアヌスの時代に記されたと言われています。皇帝ドミティアヌスは、自らを神として、礼拝することを人々に強制しました。そして、それに従わないキリスト教会を迫害したのです。そのローマ皇帝に代表されるローマ帝国が「大バビロン」と呼ばれているのです。続いて、「みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」とあります。これは、ローマ皇帝が自分とその像を拝むことを国民に強制したことを指しているのだと思います。皇帝礼拝は、神でないものを神として崇める偶像崇拝であり、神様にとって忌まわしい汚れた行いです。その元凶こそが、大バビロンであるローマであるのです。
6節に、「わたしは、この女が聖なる者たちの血と、イエスの証人たちの血に酔いしれているのを見た」とあります。これはローマ帝国によって、イエス・キリストを信じる多くの者たちの血が流されたことを示しています。女は、自分の権力に酔いしれて、イエス・キリストを信じる多くの者たちを殺したのです。
ヨハネは、この女を見て、大いに驚きました。それはヨハネが神様の霊に満たされて、荒れ野から、ローマの本当の姿を見たからだと思います。このことは、私たちが聖霊に満たされて、教会から、今の日本の姿を見たら、どうであろうかと、考えたらよいと思います。そのとき、私たちは、日本国憲法を変えて、神社参拝を習俗や伝統の名のもとに、国民に強制しようとする今の日本の姿に、驚くのではないかと思います。