神の怒りを盛った七つの鉢 2018年9月16日(日曜 夕方の礼拝)

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神の怒りを盛った七つの鉢

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨハネの黙示録 16章1節~9節

聖句のアイコン聖書の言葉

16:1 また、わたしは大きな声が神殿から出て、七人の天使にこう言うのを聞いた。「行って、七つの鉢に盛られた神の怒りを地上に注ぎなさい。」
16:2 そこで、第一の天使が出て行って、その鉢の中身を地上に注ぐと、獣の刻印を押されている人間たち、また、獣の像を礼拝する者たちに悪性のはれ物ができた。
16:3 第二の天使が、その鉢の中身を海に注ぐと、海は死人の血のようになって、その中の生き物はすべて死んでしまった。
16:4 第三の天使が、その鉢の中身を川と水の源に注ぐと、水は血になった。
16:5 そのとき、わたしは水をつかさどる天使がこう言うのを聞いた。「今おられ、かつておられた聖なる方、/あなたは正しい方です。このような裁きをしてくださったからです。
16:6 この者どもは、聖なる者たちと/預言者たちとの血を流しましたが、/あなたは彼らに血をお飲ませになりました。それは当然なことです。」
16:7 わたしはまた、祭壇がこう言うのを聞いた。「然り、全能者である神、主よ、/あなたの裁きは真実で正しい。」
16:8 第四の天使が、その鉢の中身を太陽に注ぐと、太陽は人間を火で焼くことを許された。
16:9 人間は、激しい熱で焼かれ、この災いを支配する権威を持つ神の名を冒涜した。そして、悔い改めて神の栄光をたたえることをしなかった。ヨハネの黙示録 16章1節~9節

原稿のアイコンメッセージ

 ヨハネの黙示録の16章には、「神の怒りを盛った七つの鉢」の災いが記されています。15章1節にこう記されていました。「わたしはまた、天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た。七人の天使が最後の七つの災いを携えていた。これらの災いで、神の怒りがその極みに達するのである」。また、15章7節にはこう記されていました。「そして、四つの生き物の中の一つが、世々限りなく生きておられる神の怒りが盛られた七つの金の鉢を、この七人の天使に渡した」。この七人の天使が一人ずつ金の鉢に盛られた神の怒りを注ぐことによって災いがもたらされるのです。今夕は、第一の天使から第四の天使までを御一緒に学びたいと願います。

1 第一の天使

 1節、2節をお読みします。

 また、わたしは大きな声が神殿から出て、七人の天使にこう言うのを聞いた。「行って、七つの鉢に盛られた神の怒りを地上に注ぎなさい。」そこで第一の天使が出て行って、その鉢の中身を地上に注ぐと、獣の刻印を押されている人間たち、また、獣の像を礼拝する者たちに悪性のはれ物ができた。

 ヨハネが聞いた大きな声は「神殿から出て」とありますから、神様の御声であると思います。イザヤ書66章6節に、「神殿から声がする。敵に報いを返される主の声が聞こえる」とありますように、神様は、御自分に敵対する者たちに報いを与えるために、七人の天使たちを遣わされるのです。これから七人の天使たちによってもたらされる災いは、神様に敵対する者たちへの報い、すなわち、罰であるのです。

 第一の天使が出て行って、その鉢の中身である神の怒りを地上に注ぎました。すると、獣の刻印を押されている人間たち、また、獣の像を礼拝する者たちに悪性のはれ物ができたのです。このことは、神様の怒りの対象が、獣の刻印を押されている人間たち、獣の像を礼拝する者たちであることを教えています。「獣」とは、自らを神とするローマ皇帝のことです。神様の怒りは、ローマ皇帝の刻印を受けて、ローマ皇帝の像を礼拝する者たちを対象としているのです。それゆえ、彼らだけに悪性のはれ物ができたのです。小羊の刻印を受けて、小羊を礼拝する者たちは何の害も受けることはなかったのです。

2 第二の天使

 3節をお読みします。

 第二の天使が、その鉢の中身を海に注ぐと、海は死人の血のようになって、その中の生き物はすべて死んでしまった。

 第二の天使は、金の鉢に盛られた神の怒りを海に注ぎました。すると、海は死人の血のようになり、海の中の生き物はすべて死んでしまったのです。これと似たような災いが、ラッパの災いの中にもありました。8章8節、9節にこう記されていました。「第二の天使がラッパを吹いた。すると、火で燃えている大きな山のようなものが、海に投げ入れられた。海の三分の一が血に変わり、また、被造物で海に住む生き物の三分の一は死に、船という船の三分の一が壊された」。このように、ラッパの災いでは、海の三分の一が血に変わり、海に住む生き物の三分の一が死んだのでした。しかし、今夕の「鉢の災い」では、海全体が死人の血のようになって、その中の生き者はすべて死んでしまいました。裁きがより徹底的になっているわけです。なぜなら、鉢の災いにおいてこそ、神の怒りがその極みに達するからです(15:1参照)。

3 第三の天使

 4節から7節までをお読みします。

 第三の天使が、その鉢の中身を川と水の源に注ぐと、水は血になった。そのとき、わたしは水をつかさどる天使がこう言うのを聞いた。「今おられ、かつておられた聖なる方、あなたは正しい方です。このような裁きをしてくださったからです。この者どもは、聖なる者たちと/預言者たちとの血を流しましたが、あなたは彼らに血をお飲ませになりました。それは当然なことです。」

 わたしはまた、祭壇がこう言うのを聞いた。「然り、全能者である神、主よ、あなたの裁きは真実で正しい。」

 第三の天使は、金の鉢に盛られた神の怒りを川と水の源に注ぎました。これによって、飲み水が血になってしまったのです。この災いの意味を、水をつかさどる天使が教えてくれています。「水をつかさどる天使」とは、神様が世界を様々な天使によって支配しているという当時の考え方によるものです(14:18「火をつかさどる権威を持つ別の天使」参照)。水をつかさどる天使は、神様をほめたたえた後、「この者どもは、聖なる者たちと預言者たちとの血を流しましたが、あなたは彼らに血をお飲ませになりました」と言いました。「この者ども」とは、2節の「獣の刻印を押されている人間たち、また、獣の像を礼拝する者たち」のことです。彼らは、獣の刻印を受けない、また、獣の像を拝まないイエス・キリストを信じる者たちを殺しました。その彼らの飲み水が血に変わったことは、神様がその彼らに血を飲ませられることを教えているのです。そして、それは正しい、当然な裁きであると言うのです。この背後にある考え方は、「目には目を、歯には歯を」という同害報復法であります(出エジプト21:23参照)。聖なる者たちの血を流した彼らは、神様によって血を流されることになるのです。ですから、彼らが飲むことになる血とは、彼ら自身の血であるのです。イザヤ書49章26節に、こう記されています。「あなたを虐げる者に自らの肉を食わせ/新しい酒に酔うように自らの血に酔わせる。すべての肉なる者は知るようになる/わたしは主、あなたを救い、あなたを贖う/ヤコブの力ある者であることを」。

 水をつかさどる天使の言葉を受けて、祭壇がこう言います。「然り、全能者である神、主よ、あなたの裁きは正しい」。「祭壇」とは、祭壇の下にいる殉教者たちの魂のことでしょう。6章9節、10節にこう記されていました。「小羊が第五の封印を開いたとき、神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々の魂を、わたしは祭壇の下に見た。彼らは大声でこう叫んだ。『真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか」。神様は、この殉教者たちの叫びに応えて、獣を礼拝する者たちに、自分の血を飲ませられるのです。

4 第四の天使

 8節、9節をお読みします。

 第四の天使が、その鉢の中身を太陽に注ぐと、太陽は人間を火で焼くことを許された。人間は、激しい熱で焼かれ、この災いを支配する権威を持つ神の名を冒涜した。そして、悔い改めて神の栄光をたたえることをしなかった。

 第四の天使は、金の鉢に盛られた神の怒りを太陽に注ぎました。すると、太陽は人間を火で焼くことが許されました。ここでの人間は、「獣の刻印を受け、獣の像を礼拝する者たち」のことです。彼らは灼熱の太陽に焼かれ、この災いを支配する権威を持つ神の名を冒涜しました。彼らは、この災いが神様によるものであることを知っておりながら、神様の名を冒涜したのです。彼らは、自分たちを苦しめる神様を神様として認めなかったのです。自分たちに怒りをもって臨まれる神様を神様として認めなかったのです。彼らは、「自分たちは、このような災いを受けて当然な罪人である」とは言いませんでした(ルカ23:41参照)。彼らは悔い改めて神の栄光をたたえることをしなかったのです。

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