最後の七つの災い 2018年9月09日(日曜 夕方の礼拝)
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最後の七つの災い
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- 村田寿和 牧師
- 聖書
ヨハネの黙示録 15章1節~8節
聖書の言葉
15:1 わたしはまた、天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た。七人の天使が最後の七つの災いを携えていた。これらの災いで、神の怒りがその極みに達するのである。
15:2 わたしはまた、火が混じったガラスの海のようなものを見た。更に、獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たちを見た。彼らは神の竪琴を手にして、このガラスの海の岸に立っていた。
15:3 彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とをうたった。「全能者である神、主よ、/あなたの業は偉大で、/驚くべきもの。諸国の民の王よ、/あなたの道は正しく、また、真実なもの。
15:4 主よ、だれがあなたの名を畏れず、/たたえずにおられましょうか。聖なる方は、あなただけ。すべての国民が、来て、/あなたの前にひれ伏すでしょう。あなたの正しい裁きが、/明らかになったからです。」
15:5 この後、わたしが見ていると、天にある証しの幕屋の神殿が開かれた。
15:6 そして、この神殿から、七つの災いを携えた七人の天使が出て来た。天使たちは、輝く清い亜麻布の衣を着て、胸に金の帯を締めていた。
15:7 そして、四つの生き物の中の一つが、世々限りなく生きておられる神の怒りが盛られた七つの金の鉢を、この七人の天使に渡した。
15:8 この神殿は、神の栄光とその力とから立ち上る煙で満たされ、七人の天使の七つの災いが終わるまでは、だれも神殿の中に入ることができなかった。ヨハネの黙示録 15章1節~8節
メッセージ
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序
今夕は、ヨハネの黙示録15章1節から8節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っています。
1 最後の七つの災い
1節をお読みします。
わたしはまた、天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た。七人の天使が最後の七つの災いを携えていた。これらの災いで、神の怒りがその極みに達するのである。
ヨハネは、「天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た」と記しています。これは12章で見た幻を念頭に置いて記されています。12章1節に、こう記されていました。「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた」。また、12章3節にも、こう記されています。「また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた」。ヨハネは、12章の女の幻と竜の幻に続いて、15章で、天にもう一つの大きな驚くべきしるし(幻)を見たのです。その幻とは、「七人の天使が最後の七つの災いを携えていた」という幻であります。「最後の七つの災い」とありますが、これは、巻物の七つの封印が開かれたことによって災いがもたらされたことと、七つのラッパが吹かれることによって災いがもたらされたことを受けてのことです。巻物の七つの封印が開かれる。第七の封印が開かれて終わるのかと思えば、七つのラッパを持った七人の天使が現れる。第七の天使がラッパを吹いて終わるのかと思えば、七つの金の鉢を持った七人の天使が現れるのです。しかし、これで最後であります。これらの災いで、神様の怒りはその極みに達するのです。神様の聖なる怒りが満たされるには、七つの災いが三度も繰り返されねばならなかったのです。
2 神の僕モーセの歌と小羊の歌
2節から4節までをお読みします。
わたしはまた、火が混じったガラスの海のようなものを見た。更に、獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たちを見た。彼らは神の竪琴を手にして、このガラスの海の岸に立っていた。彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とをうたった。「全能者である神、主よ、あなたの業は偉大で、驚くべきもの。諸国の民の王よ、あなたの道は正しく、また、真実なもの。主よ、だれがあなたの名を畏れず、たたえずにおられましょうか。聖なる方は、あなただけ。すべての国民が、来て、あなたの前にひれ伏すでしょう。あなたの正しい裁きが、明らかになったからです。」
2節に、「わたしはまた、火が混じったガラスの海のようなものを見た」とあります。4章6節にも、天の「玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった」と記されていました。ただし、15章では、「火が混じった」と記されています。この「火」はおそらく裁きを象徴しているのだと思います。
更にヨハネは、「獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たち」を見ました。ヨハネは、ローマ皇帝を拝まず、ローマ皇帝の像を拝まず、ローマ皇帝の刻印を受けない者たちを見ました。獣を拝まないこと、それが獣に勝つということです。この者たちの中には、獣の像を拝まないことによって、無残に殺された者たちがいたかも知れません。また、獣の刻印を受けないことによって、苦しい生活を余儀なくされた者たちもいたからも知れません。そのような者たちは、地上の人々の目には、敗北者のように映ったことでありましょう。しかし、そうではありません。彼らは獣に勝った勝利者たちなのです。この者たちは、14章1節の14万4千人と同じ者たちであるようです(7:4も参照)。
彼らは神様から与えられた竪琴を手にして、ガラスの海の岸に立っておりました。そして、彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とをうたったのです。「神の僕モーセの歌と小羊の歌」とありますが、これはモーセによるエジプトの奴隷状態からの脱出と、イエス・キリストによる罪の奴隷状態からの脱出が重ねて考えられているからだと思います。
旧約聖書を読みますと、モーセの歌が二つ記されています。一つは、出エジプト記15章の、いわゆる「海の歌」です。紅海の岸に立って、モーセとイスラエルの民は、主を賛美する歌をうたいました。その11節にはこう記されています。「主よ、神々の中に/あなたのような方が誰かあるでしょうか。誰か、あなたのように聖において輝き/ほむべき御業によって畏れられ/くすしき御業を行う方があるでしょうか」。
二つ目は、申命記の32章に記されている「モーセの歌」です。その4節にはこう記されています。「主は岩、その御業は完全で/その道はことごとく正しい。真実の神で偽りなく/正しくまっすぐな方」。このようなモーセの歌の言葉を用いながら、3節、4節の「神の僕モーセと小羊の歌」とが記されているのです。この歌は、正しい裁き、真実な裁きをされる神様をほめたたえる歌です。この歌は、これからもたらされる七つの災いの意味を説き明かしています。七つの災いは、聖なる神様の正しい裁きであるのです。それゆえ、神の民は、神様をほめたたえるのです。彼らは、神様の真実な裁きが確実に行われることを信じて、七つの災いがもたらされる前に、神様をほめたたえるのです。
3 七つの金の鉢
5節から8節までをお読みします。
この後、わたしが見ていると、天にある証しの幕屋の神殿が開かれた。そして、この神殿から、七つの災いを携えた七人の天使が出て来た。天使たちは、輝く清い亜麻布の衣を着て、胸に金の帯を締めていた。そして、四つの生き物の中の一つが、世々限りなく生きておられる神の怒りが盛られた七つの金の鉢を、この七人の天使に渡した。この神殿は、神の栄光とその力とから立ち上る煙で満たされ、七人の天使の七つの災いが終わるまでは、だれも神殿の中に入ることができなかった。
ここには、1節で記されていた幻が、詳しく記されています。天にある神殿から七つの災いを携えた七人の天使が出て来たこと。また、四つの生き物の中の一つが、神の怒りが盛られた七つの金の鉢を、七人の天使に渡したことは、これからもたらされる災いが、神様によってもたらされることを示しています。ちなみに、鉢とは、「皿より深く、壺より浅い、口の開いた容器」のことです。
8節に、「この神殿は、神の栄光とその力とから立ち上る煙で満たされ、七人の天使の七つの災いが終わるまで、だれも神殿に入ることができなかった」とありますが、このことは、七つの災いが取り消されることなく、必ず行われることを示しています。神様は、正しく、真実なお方として、御自分に背く者たちを必ず裁かれるのです。
多くの人たちは、神様がおられることを、また、神様によって裁かれることを認めようとはしません。しかし、聖書は、神様が世の終わりに、御自分に背く者たちを裁かれると教えています。そのようにして、神様は、御自分に忠実な者たち、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける者たちを救ってくださるのです。イエス・キリストを信じる者たちにとって、世の裁きは滅びではなく、救いを意味するのです。それゆえ、私たちは、「モーセの歌と小羊の歌」を自分の歌として歌うことができるのです。