鎌が地に投げ入れられる 2018年8月26日(日曜 夕方の礼拝)
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鎌が地に投げ入れられる
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- 村田寿和 牧師
- 聖書
ヨハネの黙示録 14章14節~20節
聖書の言葉
14:14 また、わたしが見ていると、見よ、白い雲が現れて、人の子のような方がその雲の上に座っており、頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。
14:15 すると、別の天使が神殿から出て来て、雲の上に座っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。」
14:16 そこで、雲の上に座っておられる方が、地に鎌を投げると、地上では刈り入れが行われた。
14:17 また、別の天使が天にある神殿から出て来たが、この天使も手に鋭い鎌を持っていた。
14:18 すると、祭壇のところから、火をつかさどる権威を持つ別の天使が出て来て、鋭い鎌を持つ天使に大声でこう言った。「その鋭い鎌を入れて、地上のぶどうの房を取り入れよ。ぶどうの実は既に熟している。」
14:19 そこで、その天使は、地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた。
14:20 搾り桶は、都の外で踏まれた。すると、血が搾り桶から流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンにわたって広がった。ヨハネの黙示録 14章14節~20節
メッセージ
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序
今夕の御言葉には、穀物の刈り入れとぶどうの房の取り入れが記されています。これはどちらも、世の終わりの裁きを象徴しています。旧約のヨエル書4章13節に「鎌を入れよ、刈り入れの時は熟した。来て踏みつぶせ/酒(さか)ぶねは満ち、搾り場は溢れている。彼の悪は大きい」と記されていたように、作物の収穫は、世の終わりの裁きの象徴しているのです。前回学んだ14章7節に「神の裁きの時が来たからである」とありましたが、今夕の御言葉の収穫の幻も、同じことを教えているのです。
1 穀物の刈り入れ
14節から16節までをお読みします。
また、わたしが見ていると、見よ、白い雲が現れて、人の子のような方がその雲の上に座っており、頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。すると、別の天使が神殿から出て来て、雲の上に座っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。」そこで、雲のうえに座っておられる方が、地に鎌を投げると、地上では刈り入れが行われた。
ヨハネが見た、白い雲のうえに座っておられる人の子のような方は、栄光の主イエス・キリストであります(ダニエル7:13、マタイ26:64参照)。頭に金の冠をかぶっていることは、イエス様が王であることを示しています。また、手に鋭い鎌を持っておられることは、イエス様が裁き主であることを示しています。「別の天使が神殿から出て来」たとありますが、この天使は、神様からの御言葉を伝える者のようです。イエス様は、世の終わりについて、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである」と言われたことがあります(マタイ24:36)。その父だけが知っている時を告げるために、天使は神殿から出て来たのです。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています」。この天使の言葉を聞いて、雲の上に座っておられるイエス様が、地に鎌を投げ入れると、地上では刈り入れが行われました。イエス様は、世の終わりに、人の子は天使たちを遣わし、「天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」と言われました。そのことが、イエス様が地上に鎌を投げることによって、実現するのです(マタイ24:31)。このようにして刈り入れられた者たちが、14章1節から5節に記されていた、14万4千人の者たちであるのです。イエス様によって刈り入れられた穀物は、神と小羊とに献げられる神の民を指しているのです。つまり、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続けている私たちのことが、ここに記されているのです。
2 ぶどうの取り入れ
17節から20節までをお読みします。
また、別の天使が天にある神殿から出て来たが、この天使も手に鋭い鎌を持っていた。すると、祭壇のところから、火をつかさどる権威を持つ別の天使が出て来て、鋭い鎌を持つ天使に大声でこう言った。「その鋭い鎌を入れて、地上のぶどうの房を取り入れよ。ぶどうの実は既に熟している。」そこで、その天使は、地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた。搾り桶は、都の外で踏まれた。すると、血が搾り桶から流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンにわたって広がった。
イエス様によって刈り入れられた穀物が神の民であるのに対して、天使によって取り入れられるぶどうは、獣とその像を拝んだ者たちであるようです。
「祭壇のところから、火をつかさどる権威を持つ別の天使が出て来て」とありますが、祭壇の下には、神の言葉と自分たちのたてた証しのために殺された人々の魂がおりました。彼らは、「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか」と叫んでいたのです(黙6:10)。その祭壇のところから、火をつかさどる別の天使が出て来たのです。「火」は、滅びの象徴でもありますから、その天使が告げる取り入れは滅びを暗示しています。そして実際、取れ入れられたぶどうは、神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れられるのです。このところは、イザヤ書63章3節を背景にしているようです。そこには、次のように記されています。「わたしはただひとりで酒(さか)ぶねを踏んだ。諸国の民はだれひとりわたしに伴わなかった。わたしは怒りをもって彼らを踏みつけ/憤りをもって彼らを踏み砕いた。それゆえ、わたしの衣は血を浴び/わたしは着物を汚した」。このイザヤの預言が、獣とその像を拝む者たちの上に実現するのです。
20節に、「搾り桶は、都の外で踏まれた。すると、血が搾り桶から流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンにわたって広がった」とあります。この都は、小羊の命の書に名前が書いてある者だけが入れる「新しいエルサレム」であるようです。その都の外で踏まれる搾り桶からは、大量の血が流れ出ました。その血は、馬のくつわに届くほどの高さで、千六百スタディオンほど広がったというのですから、血の海という感じですね。1スタディオンは185メートルですから、1600スタディオンは296キロメートとなります。しかし、これは文字通りの距離ではなく、象徴的な意味を持つ数字であると思います。有力な説は、1600は、大地の四隅を示す4を二乗した16を100倍した数で、全世界の悪しき者たちが滅ぼされるという説です。ヨハネは、9節から11節で、獣とその像を拝む者が受ける滅びについて記しておりました。そのことが、ここでは、神様が怒りをもって搾り桶を踏まれるという荒々しいお姿によって描かれるのです
結 神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続けよ
今夕の御言葉は、来たるべき神の裁きが、イエス・キリストの刻印を受ける者には、救いを意味し、獣の刻印を受ける者には滅びを意味することを教えています。それは、私たちが、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続けるためであるのです。主に結ばれて死ぬ人の幸いが確かであることを、今夕の御言葉は、生き生きとした幻によって、はっきりと教えているのです。