主にあって死ぬ人は幸いである 2018年8月19日(日曜 夕方の礼拝)
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主にあって死ぬ人は幸いである
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- 村田寿和 牧師
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ヨハネの黙示録 14章6節~13節
聖書の言葉
14:6 わたしはまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携えて来て、
14:7 大声で言った。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」
14:8 また、別の第二の天使が続いて来て、こう言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。怒りを招くみだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませたこの都が。」
14:9 また、別の第三の天使も続いて来て、大声でこう言った。「だれでも、獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があれば、
14:10 その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことになり、また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられることになる。
14:11 その苦しみの煙は、世々限りなく立ち上り、獣とその像を拝む者たち、また、だれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も安らぐことはない。」
14:12 ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。
14:13 また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」“霊”も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」ヨハネの黙示録 14章6節~13節
メッセージ
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序
前回、私たちは、14章1節から5節までを学びました。そこにはシオンの山に立つ小羊と、その小羊と共にいる14万4千人の者たちが新しい歌を歌ったことが記されていました。いわば、天のエルサレムの先取りが記されていたのです。それに続く今夕の御言葉には、主の裁きの予告、その先取りが記されています。
1 第一の天使の言葉
6節、7節をお読みします。
わたしはまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携えて来て、大声で言った。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい」。
6節に、「地上に住む人々」とありますが、元の言葉を見ますと、「地に座っている人々」と記されています(岩波訳、新改訳の注を参照)。ヨハネの黙示録において、「地上に住む人々」とは、イエス・キリストを信じない人たちのことでありました。しかし、ここでは、「地に座っている人々」と記されていますので、この人たちは、必ずしもイエス・キリストを信じない人たちではないようです。イエス・キリストを信じている者にも、信じていない者にも、どの国の人であっても、どの民族であっても、すべての人に天使は「永遠の福音」を告げ知らせたのです。「永遠の福音」とは、「永遠なる神様からの良い知らせ」ということでしょう。その内容が、7節にこう記されています。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい」。ここで天使は、「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい」とすべての人を神礼拝へと招いています。「天と地、海と水の源を創造した方」とは、神様のことですが、なぜ、天使はこのような言い方をしたのでしょうか?その心は、「人間の手によって造られた獣の像を拝むのではなくて」ということです。「人間の手によって造られた獣の像を拝むのではなくて、天と地と海とを造られた神様を礼拝しなさい」と天使は告げているわけです。なぜなら、「神の裁きの時が来たから」です。神の裁きの時が来た。どうやらここに、福音のメッセージがあるようです。
2 第二の天使の言葉
8節をお読みします。
また、別の第二の天使が続いて来て、こう言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。怒りを招くみだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませた都が。」
第一の天使は、「神の裁きが来た」と告げましたが、第二の天使は、その神の裁きによって、「大バビロンが倒れた」と告げます。「大バビロン」とは、ローマ帝国のことです。ローマ帝国は、皇帝とその像を神として崇めることを諸国の民に命じました。そのことが、ここでは、「怒りを招くみだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませた」と言われています。この「怒り」は神様の怒りですね。また、「みだらな行い」とは「神でないものを神として拝む偶像崇拝」のことです。ローマ帝国は、神様の怒りを招く偶像崇拝を諸国の民にさせていたのです。
3 第三の天使の言葉
9節から12節までをお読みします。
また、別の第三の天使も続いて来て、大声でこう言った。「だれでも、獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があれば、その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことになり、また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられることになる。その苦しみの煙は、世々限りなく立ち上り、獣とその像を拝む者たち、また、だれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も安らぐことはない。」ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。
第二の天使は、獣である大バビロンの裁きについて告げましたが、第三の天使は、その獣の像を拝み、その刻印を受けた者への裁きを告げます。獣の像を拝み、獣の刻印を受けるということは、その獣の支配下にあることを表しています。ですから、その者たちは、獣と同じ裁きを受けることになるわけです。そのことが、「その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことになる」と言われているのです。旧約聖書を読むと、神の裁きを受けることが、「神からのぶどう酒を飲み干す」と言われています(詩75:9、イザヤ51:17など)。通常、ぶどう酒は水で薄められるのですが、ここでは「混ぜものなしに」とありますから、水で薄められない、濃いままの厳しい裁きのことが言われています。神様の激しい怒り、厳しい裁きを受けるのは、獣だけではなく、獣を拝み、その刻印を受けた者たちでもあるのです。また、彼らは「火と硫黄で苦しめられる」ことになります。創世記の19章を読みますと、神様がソドムとゴモラの町を天から火と硫黄を降らせて焼き滅ぼしたことが記されています。その火と硫黄で、獣と獣に属する者たちは苦しむことになるのです。しかも、「聖なる天使たちと小羊の前で」苦しめられることになるのです(ルカ16章「金持ちとラザロのたとえ」参照)。さらには、その苦しみは世々限りなく続き、彼らは、昼も夜も安らぐことはないのです。獣を拝んだ人たち、獣の刻印を受けた人たちは、殺されないために、経済的な不利益を避けるために、獣を拝み、刻印を受けただけかも知れません(黙示13:15、17参照)。しかし、神様は、彼らに、獣と同じ裁きをくだされるのです。そのような裁きを受けることがないように、ヨハネは、12節で、「ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である」と記しているのです。獣の像を拝んだ者たちに対する厳しい裁きが語られているのは、イエス・キリストを信じる私たちが忍耐するためであるのです。
4 天からの声
13節をお読みします。
また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」霊も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」
「天からの声」とありますから、神様の声、イエス様の声であるようです。「主に結ばれて死ぬ人」とは、12節の「神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たち」のことです。彼らは獣の像を拝まないことで、殺されてしまうかも知れません。また、獣の刻印を受けないことで、困難な生活をしなければならないかも知れません。しかし、天からの声は、「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである」と言うのです。ヨハネにそれを書き記すことを命じ、迫害を受けている聖なる者たちに伝えよと言うのです。「今から後」とありますが、これはどういう意味なのでしょうか?なぜ、「今から後」なのでしょうか?これはおそらく、14章1節から12節までに記されていることを念頭においているのだと思います。つまり、小羊の名の刻印を受けた者たちは新しいエルサレムで礼拝をささげ、獣の刻印を受けた者たちは、火と硫黄で苦しめられることになる。このような神の裁きがはっきりと示された今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである、こう天の声は告げているのです。この天の声の言葉を保証するかのように、聖霊も次のように言われます。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである」。獣の刻印を受ける者が昼も夜も安らぐことはないのに対して、主に結ばれて死ぬ人は、労苦を解かれ、安らぎを得ることができるのです。この労苦は、何よりも神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続けるための労苦のことでしょう。その労苦から解かれて、彼らは安らぎを得る。そして、神の裁きのときには、神が彼らの労苦に報いてくださるのです。ですから、「神の裁きが来た」という第一の天使の知らせは、イエス・キリストを信じる者たちにとって、永遠の福音であるのです。