十四万四千人の歌 2018年7月22日(日曜 夕方の礼拝)

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十四万四千人の歌

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨハネの黙示録 14章1節~5節

聖句のアイコン聖書の言葉

14:1 また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。
14:2 わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようであった。
14:3 彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。
14:4 彼らは、女に触れて身を汚したことのない者である。彼らは童貞だからである。この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、
14:5 その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである。ヨハネの黙示録 14章1節~5節

原稿のアイコンメッセージ

序 

 12章には、イエス様が天にあげられたことによって、悪魔である竜がその居場所を失い、地に投げ落とされたことが記されていました。また、13章では、竜が教会と戦うために、二匹の獣を助っ人として呼び出したことが記されていました。この二匹の獣とは、皇帝を神とするローマ帝国と、皇帝礼拝を広める偽預言者のことでありました。獣の像を拝もうとしない者は皆殺しにされ、その獣の刻印のある者でなければ、物を買うことも売ることもできないようにされたのです。その獣の名は666であり、その数字は「皇帝ネロ」を意味していると考えられています。しかし、大切なことは、その数字が完全数である777ではないということです。ヨハネは、不完全な数である6を三つ重ねることによって、獣の支配は不完全な一時的な支配であることを伝えているのです。今夕の御言葉は、この続きであります。

1 小羊がシオンの山に立つ

 1節をお読みします。

 また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。

 ここで、ヨハネは天の幻を、これから実現する勝利の幻を見ております。「見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たちが」いた。「シオンの山」とは、エルサレムにある丘のことです。また、シオンはエルサレムを意味しますので、「シオンの山」とは「エルサレムの山」とも言えます。旧約聖書は、このシオンの山、エルサレムの山に、主が立たれると預言していました。ゼカリヤ書14章4節に、こう記されています。「その日、主は御足をもって/エルサレムの東にある/オリーブ山の上に立たれる」。小羊であるイエス様は、ゼカリヤ書の預言を成就するお方として、シオンの山、エルサレムの山に立たれたのです。また、シオンの山は、残りの者が集められる逃れ場でありました。ヨエル書の3章4節、5節にこう記されています。「主の日、大いなる恐るべき日が来る前に/太陽は闇に、月は血に変わる。しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように/シオンの山、エルサレムには逃れ場があり/主が呼ばれる残りの者はそこにいる」。このように、小羊と共にいた14万4千人は、主が呼ばれる残りの者として、シオンの山にいたのです。この14万4千人については、7章に記されていました。そこには、天使たちによって、神の僕たちの額に神の刻印が押されたこと。そして、その数が14万4千人であったことが記されていました。この14万4千人の内訳は、イスラエルの12部族から1万2千人ずつと記されています。ですから、14万4千人は、文字通りの数ではなくて、神の民全体を表す象徴的な数です。その14万4千人の額には、小羊の名と、小羊の父の名とが記されていました。7章の「神の刻印」が、ここでは、より詳しく「小羊の名と、小羊の父の名」と記されています。これは、13章に記されていた獣の刻印との対比で記されているわけですね。14万4千人の額に、小羊の名とその父の名が記されていることは、その者たちが、小羊とその父の所有であり、その保護の下にあることを示しているのです。

2 十四万四千人の歌

 2節から5節までをお読みします。

 わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようであった。彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。彼らは、女に触れて身を汚したことのない者である。彼らは童貞だからである。この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである。

 ヨハネが聞いた、大水のとどろくような音、天から響く激しい雷のような音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているような音でもありました。この音は、十四万四千人の歌う歌声であったようです。彼らは、玉座の前、4つの生き物と長老たちの前で、新しい歌を歌いました。この歌は、地上から贖われた14万4千人のほかは覚えることができなかったとあります。それは、この新しい歌が、神様の新しい御業、イエス・キリストの十字架の贖いをほめたたえる歌であるからです。ですから、新しい歌を歌うことができるのは、キリストによって贖われた14万4千人に象徴される神の民だけであるのです。

 4節、5節には、14万4千人がどのような者であるかが記されています。彼らは、女に触れて身を汚したことのない者であり、童貞でありました。これは、文字通りの意味ではなく、象徴的な意味です。聖書は、神でないものを神として拝む偶像崇拝を、霊的な姦淫と言っています。彼らは、そのような霊的な姦淫によって、身を汚したことのない、純潔な者であったのです(二コリント10:2「あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです」参照)。つまり、彼らは、獣の像を拝んだことはなかったのです。「この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く」。それは、彼らが良い羊飼いであるキリストの声を聞き分ける、キリストの羊であるからです(ヨハネ10:3b、4「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く」参照)。「この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで」とありますが、ここで「初穂」と訳されている言葉は「供え物」とも訳すことができます。私は、「初穂」ではなく、「供え物」と訳した方がよいのではないかと思います。といいますのも、「初穂」と訳してしまいますと、14万4千人は、神の民の全体ではなくて、その最初の人たちということになるからです。ですから、「この者たちは、神と小羊に献げられた供え物として、人々から贖われた者たち」と理解したいと思います。「人々から贖われた者たち」の「人々」とは、地上の人々、神とキリストを信じない人々のことです(3節「地上から贖われた」参照)。そのような人々の中から、神と小羊への供え物として贖われたのが14万4千人であるのです。5節に、「その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである」とありますが、これも旧約聖書の預言の成就であります。ゼファニヤ書3章13節にこう記されています。「イスラエルの残りの者は/不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない」。そして、それは、彼らが、小羊であるイエス・キリストの血によって贖われた者たちであるからです(一ヨハネ1:7「御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」参照)。私たちは、神とキリストへの供え物として贖われたのですが、その私たちを贖ってくださったのは、神とキリストであるのです。ですから、私たちは、とがめられるところのない者たちとして、新しい歌を歌うことができるのです。神と小羊の玉座の前で、勝利の歌を大きな声で高らかに歌うことができるのです。

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