獣の刻印 2018年7月15日(日曜 夕方の礼拝)
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獣の刻印
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- 村田寿和 牧師
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ヨハネの黙示録 13章11節~18節
聖書の言葉
13:11 わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。
13:12 この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。
13:13 そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。
13:14 更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。
13:15 第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。
13:16 また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
13:17 そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
13:18 ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。ヨハネの黙示録 13章11節~18節
メッセージ
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序
12章に、イエス様が天にあげられることによって、戦いが起こり、竜である悪魔が地上に投げ落とされたこと。竜がキリストの教会を迫害しようと出て行き、海辺に立ったことが記されていました。竜は、教会を迫害するために、強力な助っ人を呼び出すのです。それが13章の小見出しに記されている「二匹の獣」であります。前回、私たちは、海の中から上って来た獣について学んだわけです。この獣は、自らを神とするローマ皇帝、さらにはローマ帝国を意味しています。獣は竜から権威を与えられて、神のごとくに人々から拝まれるのです。実は、この獣は、イエス・キリストのパロディーであります。そのことは、竜を神様に置き換えるとよく分かります。イエス様が神様から権威を与えられて、人々から拝まれるように、獣は竜から権威を与えられて人々から拝まれるのです。また、獣がイエス様のパロディーであることは、3節の「この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった」という言葉にも示されています。イエス様が死から復活されたように、この獣の頭の一つも死から復活するのです。この獣の頭の一つは、ローマ帝国においてキリスト教会を最初に迫害した皇帝ネロと考えられています。ネロは自殺したと言われていますが、民衆の間には、ネロが生き返るとのうわさが広まっていました。そのような民衆のうわさを背景にして、この所は記されているのです。ヨハネの黙示録が記された時代、教会は皇帝ドミティアヌスから迫害されていました。皇帝ドミティアヌスこそ、皇帝ネロの生き返りであると言われていたのです(マタイ14:1、2参照)。竜が神様のパロディーであり、海から上って来た獣がキリストのパロディーであるとすれば、地上から上って来る獣は聖霊のパロディーであることが分かります。なぜなら、地上から上って来る獣は、海から上って来た獣、ローマ皇帝を礼拝するようにさせるからです。結論から申しますと、二匹目の獣は、皇帝礼拝を推進する偽預言者たちであります。少し先の16章13節にこう記されています。「わたしはまた、竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た」。この「偽預言者」が地上から出て来た獣であるのです。竜と獣と偽預言者、この三者は教会を滅ぼそうとする悪の三位一体とも言えるのです。そのようなことを念頭に置いていただいて、今夕の御言葉を読み進めていきたいと思います。
1 地上から上って来た獣
11節から15節までをお読みします。
わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言った。この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。
もう一匹の獣は、地中から上って来るのですが、これは大地の裂け目から上って来たようです。この獣には、小羊の角に似た二本の角がありました。この「小羊」はイエス様のことではなくて、文字通りの小羊であります。このことは、この獣が偽預言者であることを暗示しています。イエス様は、弟子たちにこう言われました。「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である」(マタイ7:15)。もう一匹の獣に小羊に似た角があることは、この獣が羊の皮を被った偽預言者であることを暗示しているのです。また、この獣は竜のようにものを言いました。竜とは、「年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者」です(12:9)。それゆえ、竜のようにものを言うとは、惑わすことを語るということです。このように、第二の獣は、人々を惑わす偽預言者であるのです。また、この獣は、先の獣、ローマ皇帝を神として拝ませる祭司でもあります。そのために、彼らには大きなしるしを行う力が与えられました。13節には、「人々の前で天から地上へ火を降らせた」と記されています。旧約の預言者エリヤが、バアルの預言者と戦って、天から地上へ火を降らせたように、偽預言者も、天から地上へ火を降らせたのです。そのようなしるしによって、人々を惑わせ、獣を拝むようにさせたのです。そればかりか、人々に獣の像を造るように命じ、その像を拝むように強要したのです。これは、皇帝の像を造らせて、神殿に安置して拝ませた皇帝礼拝を背景にしています。15節を見ますと、「第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし」たとあります。実際は、像の中に人間が入っていたり、隣の部屋から話したり、腹話術を用いたりしたようです。当時の人々にとって、像がものを言うことは、拝むべき神であることの証拠でありました。このように、偽預言者たちによって多くの人々が惑わされるのです(マタイ24:11参照)。ここで一つ指摘しておきたいことは、「許された」という言葉が用いられていることです。14節「更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ」とあります。また、15節「第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし」とあります。ここで「許して」おられるのは誰でしょうか?それは究極的に言えば、神様であります。なぜなら、竜、悪魔は、神様の御許しのもとで活動しているからです。竜が第二の獣に権力を与えたとしても、それは究極的に言えば、神様の許しの中で行われているのです。では、なぜ、神様はそのようなことを許されるのでしょうか?その答えが、申命記の13章に記されています。旧約の302ページ。申命記13章2節から4節までをお読みします。
預言者や夢占いをする者があなたたちの中に現れ、しるしや奇跡を示して、そのしるしや奇跡が言ったとおり実現したとき、「あなたの知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか」と誘われても、この預言者や夢占いをする者の言葉に耳を貸してはならない。あなたたちの神、主はあなたたちを試し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたたちの神、主を愛するかどうかを知ろうとされるからである。
偽預言者が行うしるしや奇跡は、私たちにとって、全身全霊で神様を愛する者であるかを試される試練であるのです。その試練として、神様は偽預言者がしるしや奇跡を行うことを許されるのです。
では、今夕の御言葉に戻ります。新約の467ページです。
2 獣の刻印
16節から18節をお読みします。
また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。
すべてのものに獣の刻印が押される。これも、神の僕たちに神の刻印が押されることのパロディでありますね。7章に、四人の天使によって、神の僕たちの額に刻印が押されたことが記されていました。獣の刻印が押される。このことは、その人が獣に所有されていることを示しています。獣の支配の下にあることを示しているのです。この刻印は、ローマ帝国への忠誠の証しであります。そして、この刻印のある者でなければ、物を買うことも売ることもできないようにされたのです。つまり、獣の刻印を受けていないキリスト者たちは、経済活動を営むことができず、困窮を強いられたのです。ヨハネの黙示録の宛先である小アジアの教会は、そのような状況にありました。その教会に対して、「獣の刻印は、六百六十六である」とヨハネは語るのです。この666という数字が、だれを指すのかは諸説があります。有力な説は「皇帝ネロ」であります。しかし、当時のキリスト者たちにとって、この人物が誰であったかは分かりきったことであったと思います。むしろ、大切なことは、この人物を表す数字が777ではないということです。黙示録において、7は完全数です。よって、6は欠けていること、不完全であることを示します。666は、その不完全である6という数字を三つ重ねる。それは、完全な支配ではない。やがて終わる一時期の支配であることを示しているのです。そして、ここに、教会に対する慰め、励ましがあるのです。竜と獣と偽預言者の悪の三位一体の支配は、不完全な一時的な支配であるのです。666という数字は、そのことを私たちに教えているのです。