四つの封印が開かれる 2017年11月12日(日曜 夕方の礼拝)

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四つの封印が開かれる

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨハネの黙示録 6章1節~8節

聖句のアイコン聖書の言葉

6:1 また、わたしが見ていると、小羊が七つの封印の一つを開いた。すると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。
6:2 そして見ていると、見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った。
6:3 小羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。
6:4 すると、火のように赤い別の馬が現れた。その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた。
6:5 小羊が第三の封印を開いたとき、第三の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、黒い馬が現れ、乗っている者は、手に秤を持っていた。
6:6 わたしは、四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた。「小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな。」
6:7 小羊が第四の封印を開いたとき、「出て来い」と言う第四の生き物の声を、わたしは聞いた。
6:8 そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は「死」といい、これに陰府が従っていた。彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられた。ヨハネの黙示録 6章1節~8節

原稿のアイコンメッセージ

 前回、私たちは、造り主である神様と贖い主であるイエス・キリストだけが、宗教的礼拝を受けるのにふさわしいことを学びました。「玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように」と、私たちもこの地上で礼拝をささげているのです(5:13)。

 今夕の御言葉には、小羊であるイエス様によって、巻物の封印が一つずつ解かれていくことが記されています。封印が一つずつ解かれることによって、神様の救いの歴史が進展していくのです。そのようにして、今後起ころうとしていることがヨハネに、また、私たちに示されるのです。今夕は、第一から第四の封印が開かれる場面をご一緒に学びたいと願います。

 1節、2節をお読みします。

 また、わたしが見ていると、小羊が七つの封印の一つを開いた。すると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った。

 この「白い馬に乗っている者が誰であるのか」には、いくつかの解釈があります。ある人は、19章11節以下の記述から、「イエス・キリスト」であると解釈します。19章11節から16節までをお読みします。

 そして、わたしは天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁きまた戦われる。その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠があった。この方には、自分のほかはだれも知らない名が記されていた。また、血に染まった衣を身にまとっており、その名は「神の言葉」と呼ばれた。そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとってこの方に従っていた。この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。この方はぶどう酒の搾り桶を踏むが、これには全能者である神の激しい怒りが込められている。この方の衣と腿のあたりには、「王の王、主の主」という名が記されていた。

 19章において、白い馬に乗っている方は、イエス・キリストであります。しかし、6章の白い馬に乗っている方は、イエス・キリストではないと思います。と言いますのも、ここで封印を開いているのが、イエス・キリストであるからです。では、ここで白い馬に乗っているのは誰なのか?私は、イエス・キリストに忠実な弟子たちの群れ、教会であると思います(佐竹明の解釈)。第二、第三、第四の封印は、解かれるごとに、この地上に災いがもたらされます。しかし、第一の封印が解かれることによって、すなわち、白い馬に乗っている者が、地上に災いがもたらすとは記されておりません。白い馬に乗っている者は、イエス・キリストの弟子の群れ、教会である。この解釈は、使徒言行録2章に記されているペトロの説教からも支持されます。イエス・キリストの弟子たちが聖霊を与えられたことにより、教会は生まれました。そして、そのことは、ヨエルが預言していた主の日の到来を意味していたのです(使徒2:16参照)。白い馬に乗っている者が、キリストの弟子たちの群れ、教会であることが分かるとき、この封印を解くのにふさわしい御方がイエス・キリストであることも分かります。なぜなら、弟子たちに聖霊を与えることができるのは、十字架と復活の主であるイエス・キリストだけであるからです。イエス・キリストを信じる教会が、勝利の冠を与えられて、勝利の上にさらに勝利を得ようと世に出て行く。これこそ、世の終わりの第一のしるしであるのです。

 3節、4節をお読みします。

 小羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。すると、火のように赤い別の馬が現れた。その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた。

 赤い馬に乗っている者には、「地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた」とあります。よって、赤い馬に乗っている者は「戦争」です。この者に与えられた「大きな剣」はその象徴であります。これは、イエス様が教えられた世の終わりのしるしに通じるものであります。マタイによる福音書の24章で、イエス様は世の終わりのしるしについて、次のように教えられました。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみである」(マタイ24:4~8)。私は、このイエス様の教えを背景にして、今夕の御言葉を読むとよく分かると思います。イエス様が封印を開かれることにより、世の終わりのしるしが現れる。そのようにして、神様の救いの歴史は進展していくのです。

 5節、6節をお読みします。

 小羊が第三の封印を開いたとき、第三の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、黒い馬が現れ、乗っている者は、手に秤を持っていた。わたしは、四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた。「小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな」。

 黒い馬に乗っている者は、手に秤を持っていたとあります。秤を用いることは、食料が不足していることを意味しています(エゼキエル4:16参照)。よって、黒い馬に乗っている者は「飢饉」です。6節に、「小麦は一コイニクスで一デナリオン、大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな」と記されています。聖書巻末の「度量衡および通貨」によれば、コイニクスは容量を表す単位で、約1.1リットルとあります。大人一人の一日分の食料が一コイニクスと言われていました。一デナリオンは一日分の労働賃金ですから、一日働いて、大人一人分の小麦しか買うことができないのです。家族がいれば、小麦ではなくて、大麦を買わざるを得ない。それでも、十分に食べられなかったかも知れません。これは、不作のために穀物の値段が高騰しているということです。小麦や大麦といった穀物だけではなく、オリーブ油やぶどう酒も大切にしなさい、と言うのです。

 7節、8節をお読みします。

 小羊が第四の封印を開いたとき、「出て来い」と言う第四の生き物の声を、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は「死」といい、これに陰府が従っていた。彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられた。

 青白い馬に乗っている者は、「死」という名前でありました。これに陰府が従っていたとありますが、陰府は死者が行く領域のことです。死と陰府は一体的な関係にあるのです。

 「彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死を持って、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられた」とありますが、この「彼ら」とは、赤い馬に乗っている者、黒い馬に乗っている者、青白い馬に乗っている者のことであります。ですから、それに対応するように、「剣と飢饉と死をもって」と記されているわけです。「地上の野獣で人を滅ぼす権威」は、どの馬に乗っている者にも対応しておりません。これは、エゼキエル書14章21節に由来していると思われます。エゼキエル書14章21節から23節までをお読みします。旧約の1314ページです。

 まことに、主なる神はこう言われる。わたしがこの四つの厳しい裁き、すなわち、剣、飢饉、悪い獣、疫病をエルサレムに送り、そこから人も家畜も絶ち滅ぼすとき、そこにわずかの者が残されるであろう。息子、娘たちは逃れて救い出され、お前たちの所に出て来る。お前たちは彼らの歩みと行いを見るとき、わたしがエルサレムにくだした災い、わたしがそこに臨ませたすべてのことについて慰められる。お前たちは、彼らの歩みと行いとを見て、それによって慰められ、わたしがそこで行ったすべてのことは、理由なく行ったのではないことを知るようになる」と主なる神は言われる。

 ここで神様は、四つの厳しい裁きとして、「剣、飢饉、悪い獣、疫病」をエルサレムに送ると言われています。黙示録では、「剣、飢饉、死」更に「野獣」と記されておりました。このエゼキエル書の御言葉を背景にして、今夕の御言葉を読みますとき、封印が開かれることによってもたらされる剣、飢饉、死をもたらす疫病、更に野獣による死が、神様からの裁きであることが分かるのです。

 では、今夕の御言葉に戻ります。新約の459ページです。

 神様はイエス・キリストを信じないで、御自分に背き続ける世に対する裁きとして、戦争、飢饉、疫病、悪い獣を送られます。しかし、神様は、そこにある制限を設けております。神様が彼らに与えられたのは、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と疫病と野獣で人を滅ぼす権威でありました。戦争や飢饉や疫病も、野獣に出くわすことも、神様のおゆるしなくしては起こらない。すべては、神様の御手のうちにあるのです。

 今夕の御言葉を読みますと、私たちは、小羊であるイエス様によって、封印が開かれた時代に生きていることを思わずにはおれません。戦争や飢饉や疫病、これらは現代に生きる私たちにも無縁ではないからです。世界において、特に第三世界と呼ばれる国々において、戦争や飢饉や疫病によって命を失っている方が沢山おられるのです。しかし、そのような終わりの時代が、白い馬に乗っている者によって始まったことを、私たちは覚えたいと思います。イエス様によって第一の封印が開かれたとき、出て来たのは、イエス・キリストの弟子たちの群れ、教会であったのです。それは、戦争や飢餓や疫病から人々を救い出し、慰めるためであるのです。「勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った」。ここに、地の果てまで福音を宣べ伝える、私たち教会の姿があるのです。

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