ヨハネから七つの教会へ 2017年5月21日(日曜 夕方の礼拝)
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ヨハネから七つの教会へ
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- 村田寿和 牧師
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ヨハネの黙示録 1章4節~5節
聖書の言葉
1:4 -5ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。ヨハネの黙示録 1章4節~5節
メッセージ
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先週から、夕べの礼拝では、ヨハネの黙示録を学び始めました。前回は、ヨハネの黙示録が、紀元前3世紀から紀元2世紀に盛んであった黙示文書という文学類型で記されていることを確認いたしました。黙示文書の特徴の一つは、象徴的な数字を多く用いることですが、そのことは、今夕の御言葉においても,見られることであります。今夕は4節から5節前半までを御一緒に学びたいと思います。
4節から5節前半までをお読みします。
ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。
ヨハネの黙示録は黙示文書でありますが、手紙の形式で記されています。パウロの記した手紙が、差出人、受取人、挨拶の言葉で始まっているように、ヨハネの黙示録も、差出人、受取人、挨拶の言葉を記すのです。差出人は「ヨハネ」であります。ここには何の肩書きも記されておりませんが、教会の伝承によれば使徒ヨハネと考えられております。また、受取人は「アジア州にある七つの教会」であります。アジア州とはローマ帝国の政治区分で、今のトルコ共和国のある小アジアを指しております。11節を見ますと、アジア州にある七つの教会が「エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会」であったことが分かります。そして、2章から3章に渡って、それぞれの教会に宛てた手紙が記されているのです。受取人は「アジア州にある七つの教会」でありますが、七は完全数と考えられておりました。ですから、七つの教会が受取人とされていることは、ここで名前が挙げられている教会だけに限られない、すべての教会に宛てて記されていることを意味しているのです。次に挨拶の言葉ですが、パウロの手紙ですと、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和があるように」という挨拶が多いのですが、ヨハネは、神様と聖霊とイエス・キリストの三者から「恵みと平和があなたがたにあるように」と挨拶を記しています。3という数字も、黙示録ではよく用いられる数字であります。神様と聖霊とイエス・キリストの三者、これは三位一体の神を表していると理解することができます。一つずつ見ていきますと、神様は、「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」と言い表されています。これは出エジプト記の3章14節の御言葉、「わたしはある。わたしはあるという者だ」という主の御言葉を背景として記されています。今おられる神様は、かつておられ、やがて来られる方であるのです。ここで、「おられるであろう方」ではなく、「来られる方」と記されていることに着目したいと思います。神様がやがて来られる事は、旧約の預言者たちが預言していたことでありました(主の日の到来!)。私たちが今、礼拝している神様は、かつておられ、やがて来られる御方であるのです。次に聖霊ですが、聖霊は「玉座の前におられる七つの霊」と言い表されています。ここでも完全数である7が用いられています。これは神の霊が完全で満ち溢れていることを表すと理解したらよいと思います。最後に、イエス・キリストについてですが、イエス・キリストは「証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者」と言われています。新共同訳聖書は、「証人、誠実な方」と訳していますが、新改訳聖書、口語訳聖書を見ますと「忠実な証人」と訳されています。私は「忠実な証人」という翻訳を取りたいと思います。といいますのも、「忠実な証人」と翻訳しますと、キリストの称号が三つになるからです。ヨハネは、3、7、3という数字で、このところを記していると考えられるからであります。イエス・キリストは、「忠実な証人」、「死者の中から最初に復活した方」、「地上の王たちの支配者」と言われていますが、これらはいずれも詩編89編を背景としています。詩編の89編はダビデ契約の詩編でありますが、その38節に「雲の彼方の確かな証しである月のように、とこしえに立つであろう」と記されています。この所を新改訳聖書では、「それは月のようにとこしえに、堅く立てられる。雲の中の証人は真実である」と訳しています。「雲の中の証人は真実である」という詩編の言葉を背景にして、ヨハネはイエス様を「真実な証人」であると記しているのです。また、28節に、「わたしは彼を長子とし/地の諸王の中で最も高い位に就ける」と記されています。「最初に復活した方」は「長子」という言葉を、「地上の王たちの支配者」は、「地の諸王の中で最も高い位に就ける」という言葉を背景にしているのです。そして、この三つの称号は、それぞれ十字架の死と復活と昇天というキリストの御業を背景としているのであります。ヨハネの黙示録は、ローマ皇帝ドミティアヌスの時代、キリスト教会が迫害されていた紀元90年代に記されたと考えられています。証人と訳される言葉は殉教者を意味するようになっていたのです。自分の命をもってイエス・キリストを証しするゆえに、証人という言葉は殉教者という意味を持つようになったのです。ヨハネがイエス・キリストを「忠実な証人」と呼ぶとき、それはイエス・キリストが十字架の死をもって、御自分について証しされた忠実な証人であったということであります(ヨハネ14:6、18:37参照)。また、イエス・キリストは死者たちの中から最初に復活された長子であられます。イエス・キリストが死者の中から最初に生まれた長子と呼ばれるのは、イエス・キリストが私たちの初穂として、その保証として復活されたからであります。そして、神様は復活されたイエス・キリストを御自分の右の座にあげられ、天と地の一切の権能を授けられました。そのようにして、地上の王たちの支配者となされたのです。ここで、「地上の王たちの支配者」とありますが、これは、この手紙を朗読し、それを聞く者たちが、はっきりと信じるべきことであります。なぜなら、ローマの皇帝ドミティアヌスは、自分を主とし、神として礼拝することを求めたからです。この世の現実からすれば、ローマ皇帝ドミティアヌスこそ、「地上の王たちの支配者」であります。しかし、ヨハネは、十字架と復活の主であるイエス・キリストこそが、地上の王たちの支配者であると言うのです。
「恵みと平和があなたがたにあるように」。これは、ギリシア語の挨拶であるカイレイ(喜べ)とヘブライ語の挨拶であるシャローム(平和があるように)を合わせた挨拶であります。キリスト教会は異邦人とユダヤ人とからなっておりましたから、まことに相応しい挨拶であったと思います。パウロがこの挨拶を用いますとき、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストから」と記すことが常でありました。しかし、ここでヨハネは、神様と聖霊とイエス・キリストの三者から、三位一体の神のすべての位格から、恵みと平和があるようにと記しています。それは、黙示録の受け取り人である七つの教会に、それほどの恵みと平和が必要であったからであります。ヨハネは、神様を「今おられ、かつておられ、やがて来られる方」と呼びました。また、聖霊を「玉座の前におられる七つの霊」と呼びました。聖霊は、教会に与えられております弁護者、助け主であります。その聖霊がいつでも教会を助けることができるように、玉座の前に控えているのです。さらに、イエス・キリストを「忠実な証人」、「死者の中から最初に復活した方」、「地上の王たちの支配者」と呼びました。そして、この三者から、恵みと平和があなたがたにあるようにと記したのです。そのような三位一体の神様からの恵みと平和があなたがたに与えられていると記したのです。私たちが、苦難の中にあるとき、私たちは父なる神様だけではなく、イエス・キリストにも、聖霊にもお祈りをささげます。それでも、心細く思えるときは、神様がどのような御方であるか、イエス・キリストがどのような御方であるか、聖霊がどのような御方であるのかを告白して祈るのです。例えば、神様に癒しを祈り求めるとき、「あなたはすべてのものの癒し主でありますから、どうぞ、癒してください」と祈るのです。ここで、ヨハネがしていることも同じだと思います。ヨハネは黙示文書として、この書物を記していますから、そこには数に対するこだわりがあります。しかし、その根本には、苦難の中にあるアジア州にある七つの教会に、神様と聖霊とイエス・キリストからどれほど豊かな恵みと平和が与えられているかを伝えたいという思いがあるのです。そして、その恵みと平和は、私たちの教会にも与えられているのです。「七つの教会」とは、「すべての教会」を指すと申しましたように、私たちにも、神様と聖霊とイエス・キリストからの豊かな恵みと平和が与えられているのです。