コリント訪問の計画 2012年10月28日(日曜 朝の礼拝)

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聖句のアイコン聖書の言葉

16:5 わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます。マケドニア州を通りますから、
16:6 たぶんあなたがたのところに滞在し、場合によっては、冬を越すことになるかもしれません。そうなれば、次にどこに出かけるにしろ、あなたがたから送り出してもらえるでしょう。
16:7 わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています。
16:8 しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。
16:9 わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるからです。
16:10 テモテがそちらに着いたら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです。
16:11 だれも彼をないがしろにしてはならない。わたしのところに来るときには、安心して来られるように送り出してください。わたしは、彼が兄弟たちと一緒に来るのを、待っているのです。
16:12 兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くようにと、しきりに勧めたのですが、彼は今行く意志は全くありません。良い機会が来れば、行くことでしょう。コリントの信徒への手紙一 16章5節~12節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝はコリントの信徒への手紙一第16章5節から12節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

 前回、私たちは「エルサレム教会の信徒たちの募金」について学びましたが、パウロは、2節、3節で次のように記しておりました。「わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい。そちらに着いたら、あなたがたたから承認された人たちに手紙を持たせて、その贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう」。パウロは、自分がコリントに着くまで、聖なるものたちのための募金をするように記しているわけですが、それでは、パウロはいつコリントに来るつもりなのでしょうか?今朝の御言葉にはそのことが記されております。

 5節から9節までをお読みします。

 わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます。マケドニア州を通りますから、たぶんあなたがたのところに滞在し、場合によっては、冬を越すことになるかもしれません。そうなれば、次にどこに出かけるにしろ、あなたがたから送り出してもらえるでしょう。わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています。しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるからです。

 8節に、「しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します」とありますように、パウロは、今、アジア州のエフェソにおります。パウロはこの手紙をエフェソで執筆しているのです。パウロは、エフェソからマケドニア州にあるフィリピ教会やテサロニケ教会を訪問して、アカイア州のコリント教会に滞在したいと考えておりました。パウロは、コリント教会を訪問するだけではなく、しばらくの間、滞在したいと願っていたのです。「場合によっては、冬を越すことになるかもしれません」とありますが、冬の地中海は危険であり、航海は中止されておりました(使徒27:9~12参照)。パウロは、その冬の間、コリントに滞在し、次にどこに出かけるにしろ、コリントの信徒たちから送り出してもらいたいと願ったのです。「あなたがたから送り出してもらいたい」とは、ただ見送ってほしいということだけではなく、旅行に必要な物資を提供してもらいたいということであります。私たちは初めからコリントの信徒への手紙一を読んできましたけれども、パウロとコリント教会の関係は、必ずしも良好ではありませんでした(4:14~21参照)。コリントの教会には、パウロを批判する者たちがおり、そのため、パウロはコリントの教会から生活の資を受け取る権利を用いなかったのです(9:3、15参照)。そのパウロが、ここでは、「あなたがたから送り出してもらえるでしょう」と記しているのです。私たちはこのことから、パウロがこの手紙によって、またコリントに滞在することによって、コリントの信徒たちとの関係が改善されることを期待していたことを知ることができるのです(二コリント12:13、14参照)。

 聖書の巻末にある聖書地図の「8 パウロの宣教旅行2、3」を見ると分かりますように、エフェソとコリントは地中海を挟んで向かい合っております。行こうと思えば、船でエフェソからコリントの隣町であるケンクレアイに行くことができるのです。しかし、パウロは、「わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています」と記すのです。「主が許してくだされば」とありますように、パウロは、主の御心を求めつつ、旅行の計画を立てました(使徒18:21参照)。コリント教会に冬の間滞在し、送り出してもらえるまでに、パウロとコリントの信徒たちの関係が良くなるように、主が計らってくださることを、パウロは祈りつつ、このところを記しているのです。

 パウロは、マケドニア経由でコリントに行くとすでに記しましたが、「五旬祭までエフェソに滞在します」と記します。使徒言行録では、第18章にパウロがコリントで伝道したことが記されています。そして、第19章に、パウロがエフェソで伝道したことが記されています。そのエフェソ滞在の時に、コリントの信徒への手紙一が執筆されたわけです。ですから、私たちは使徒言行録の第19章の御言葉を通して、パウロのエフェソでの伝道の様子を知ることができるわけです。パウロは、五旬祭まで、エフェソに留まる理由として、「わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるからです」と記しています。「大きな門が開かれている」とは、「福音が宣べ伝えられ、イエス様を信じる人々が多く起こされている」様子を表しています。また、エフェソには反対者も多くおりました(一コリント15:32、二コリント1:8参照)。福音が宣べ伝えられ、イエス様を信じる人が起こされれば起こされるほど、それに反対する人々も出て来るわけです。使徒言行録の第19章を見ますと、デメトリオという銀細工師の扇動によって、人々が「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫び、騒動が起きたことが記されています。パウロは、大きな門が開かれているだけではなく、反対者がたくさんいることからも、五旬祭までエフェソに滞在することにしたのです。このようなコリント滞在の計画を記すことによって、パウロは自分がすぐにコリントに行かないのは、コリント教会のことを思っていないからではないことを伝えようとしているのです(4:18、19参照)。

 10節、11節をお読みします。

 テモテがそちらに着いたら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです。だれも彼をないがしろにしてはならない。わたしのところに来るときは、安心して来られるように送り出してください。わたしは、彼が兄弟たちと一緒に来るのを、待っているのです。

 テモテの派遣については、第4章に記されておりました。第4章16節、17節で、パウロは次のように記しておりました。「そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう」。パウロは、キリスト・イエスに結ばれた自分の生き方を思い起こさせるために、テモテをコリントの教会に遣わしました。この手紙は、それから執筆されたのですが、テモテより先にコリント教会に着くものとして記されています。それは、テモテが陸路でコリント教会に向かったのに対して、この手紙は海路、舟で、コリントの教会に届けられたからです。ですから、パウロは、「テモテがそちらに着いたら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください」と記すわけです。パウロは、「だれも彼をないがしろにしてはならない」と記しておりますが、それはテモテがパウロと同様に、主の仕事をしているからであります。テモテはパウロの使者でありまして、テモテをないがしろにすることは、パウロをないがしろにすることと同じであるのです。パウロは、「わたしのところに来るときには、安心して来られるように送り出してください。わたしは、彼が兄弟たちと一緒に来るのを、待っているのです」と記しておりますが、テモテがコリント信徒たちから、どのような扱いを受けるかということと、コリントの信徒たちがこの手紙をどのように受けとめたかということは、密接に結びついております。つまり、パウロの代理人であるテモテが歓迎され、重んじられることは、テモテより先に着く、この手紙の内容がコリントの信徒たちに受け入れられたことを表しているわけです。もっと言えば、テモテがパウロのもとに、コリントの信徒たちによって安心して送り出されることは、後にパウロ自身が、コリントの信徒たちから送り出してもらえることの徴となるわけです。ですから、パウロは、テモテがコリント教会の兄弟たちと一緒に、エフェソに来ることを待ち望んでいるわけです。

 12節をお読みします。

 兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたのところに行くようにと、しりきに勧めたのですが、彼は今行く意志は全くありません。良い機会が来れば、行くことでしょう。

 「兄弟アポロについては」の「何々については」という言い回しは、コリント教会からの質問状に答えるときの決まった言い回しであります。ですから、コリントの教会から「アポロ先生はコリントに来てくださらないのでしょうか」という問い合わせがあったのでしょう。アポロは、パウロの後に、コリントで伝道した人物でありますが、使徒言行録によれば、「アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しい雄弁家」でありました(使徒18:24参照)。アポロは、コリント教会において、「わたしはアポロにつく」とい分派が出来るほど、有力な人物であったわけです。コリントの信徒たちはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」と、分派争いしていたのですが、しかし、それはパウロとアポロが争っていたわけではないのです。第3章9節に記されていたように、パウロとアポロは、「神のために力を合わせて働く者」であるのです。パウロは、「兄弟アポロについては、兄弟たちと一緒にあなたがたのところへ行くようにとしきりに勧めた」と記しておりますが、これは、パウロが、アポロをコリントに行かせないわけではないことを暗示しています。実際パウロは、アポロに何度もコリントへ行くようにと勧めたのでありました。しかし、アポロ本人に、今は行く意志が全くなかったのです。分派争いが続いているコリントの教会に、自分が今行くべきではないと考えたわけです。パウロは、「良い機会が来れば行くでしょう」と記しておりますが、その「良い機会」とは、コリントの信徒たちがこの手紙の内容を受け入れて、分派争いを止めたときであるのです。そのような時が来れば、アポロもコリント教会へ行くでしょう。とパウロは記しているのです。

 私たちは今朝の御言葉からパウロのコリント訪問、滞在の計画を学んだわけでありますが、この計画はその通りゆくのでしょうか?実は、ここに記されている計画通りにはいかなかったのです。そのことは、コリントの信徒への手紙二を読むと分かります。コリントの教会に何らかの事件が起こり、パウロは急遽、コリントを訪問することになるのです。コリントの信徒への手紙二の第1章15節、16節には次のように記されています。「このような確信に支えられて、わたしは、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたのところへ行く計画を立てました。そして、そちらを経由してマケドニア州に赴き、マケドニア州から再びそちらに戻って、ユダヤへ送り出してもらおうと考えたのでした」。ここでは今朝の御言葉にある計画が変更されています。パウロは今朝の御言葉では、五旬祭までエフェソに滞在し、それからマケドニア経由で、コリントを訪問し、冬の間滞在したいとの計画を立てました。しかし、第二コリント書では、まずコリントを訪問し、それからマケドニア州に赴き、再びコリントに戻って、そこからユダヤへ送り出してもらいたいとの計画が記されているのです。それは、コリントの教会において、すぐにでも行かなくてはならない重大な事件が起こったからであります(二コリント2:5参照)。パウロは、その重大な事件を解決するために、コリント教会を急遽訪問するのです。しかし、その訪問は失敗に終わります(二コリント2:1参照)。物別れに終わるのです。それで、パウロはエフェソへと戻り、涙ながらに手紙を記します(二コリント2:4参照)。この涙の書簡によって、コリントの教会に悔い改めが起こります。そのことをテトスから聞いて、マケドニア州で記されたのが、コリントの信徒への手紙二であるのです(二コリント7:2~16参照)。このように、コリントの信徒への手紙二と合わせて読むとき、パウロの計画といえども、計画通りにゆかないのだなぁということをつくづく思わされます。しかし、パウロの計画通りにゆかなかったゆえに、コリントの信徒への手紙二が執筆されたことは、主の御心であり、主の導きであったと思います。計画通りに行きませんでしたが、「主が許してくだされば」と記していたように、パウロは主の導きに従って、柔軟に対応しました。パウロは、「主が、自分たちを最善へと導いてくださる」という信仰をもって、主の導きに委ねたのです。私たちも主イエス・キリストが、教会の歩みを導いておられることを信じて、柔らかな心をもって、主の業に励んでゆきたいと願います。

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