キリストの復活 2012年8月19日(日曜 朝の礼拝)

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聖句のアイコン聖書の言葉

15:6 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。
15:7 次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、
15:8 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。
15:9 わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。
15:10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。
15:11 とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。コリントの信徒への手紙一 15章6節~11節

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 先程は、1節から11節までを朗読していただきましたが、前々回に1節から5節よりお話しましたので、今朝は6節から11節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

 6節から8節までをお読みします。

 次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いでヤコブに現れ、そのご後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。

 このところは、ケファをはじめとする十二人、エルサレム教会とは別の伝承を用いて記されていると考えられています。パウロは3節から5節で、「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、そのご後十二人に現れたことです」と記しておりました。パウロはこの伝承をケファをはじめとする十二人、エルサレム教会から受けて、コリントの信徒たちに伝えたのでありました。6節から8節までは、このエルサレム教会から受けた伝承に、他の伝承を加え、さらにはパウロ自身の体験をも加えているのです。

 「次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました」。このことは福音書には記されておりませんが、このようなことがあったようです。復活したイエス・キリストが同時に、五百人以上もの兄弟たちに現れた。このことは何を意味しているのでしょうか?それは、キリストの復活は幻覚ではないということです。キリストの復活を否定する考え方に、幻覚説というものがあります。イエスの死を受け入れられない弟子たちが幻覚を見たのであって、イエスは復活していないとする説です。しかし、復活したキリストは、五百人以上もの兄弟に同時に、現れてくださいました。ここで「現れた」と訳されている言葉は、直訳すると「見られた」となります。五百人以上の兄弟たちが同時に同じ幻覚を見ることなどあるのでしょうか?あり得ないと思います。むしろ、五百人以上もの兄弟たちに同時にキリストが現れたことは、キリストの復活が歴史的な事実であったことを物語っているのです。ユダヤでは二人または三人の一致した証言は事実であると見なされておりました(申命19:15参照)。キリストの復活については五百人近い人の一致した証言があるのですから、キリストの復活は歴史的な事実であるのです。「そのうちの何人かは眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています」とありますように、キリストの復活を証言できる人は、まだたくさん生存しているわけです。キリストの十字架の出来事が紀元30年頃であり、パウロはこの手紙を記したのが紀元55年頃ですから、まだ25年ぐらいしか経っていないわけです。ですから、キリストの復活について確かめようと思えば、多くの証言を得ることができたのです。

 「次いでヤコブに現れ」とありますが、この「ヤコブ」は主の弟のヤコブ、後にエルサレム教会の指導者となったヤコブのことであると思われます。主イエスの弟ヤコブは、イエス様を信じる者ではありませんでした。マルコ福音書の第3章21節には、「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである」とありますし、ヨハネ福音書の第7章5節で「兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである」とはっきりと記されています。けれども、使徒言行録の第1章14節を見ますと、十二人と一緒に祈りの輪の中に、イエス母マリア、またイエスの兄弟たちもいるのです。それは、復活したイエスが、ヤコブにも現れてくださった。ヤコブも復活したイエスを見たからであると考えられるのです。また、復活したイエスが現れてくださったゆえに、ヤコブはエルサレム教会の指導者となることができたと考えられるのです。主イエスが、家族の救いに心を配られたことは、私たちにとっても大きな慰めではないでしょうか?パウロは、フィリピの牢獄の看守に、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と言いましたが、主イエスは、御自分の家族を救うために、弟ヤコブに現れたのです。そして、ヤコブはその主の恵みに応えて、エルサレム教会で主にお仕えしたのです。

 「そのご後すべての使徒に現れ」とありますが、ここでの使徒は、十二人以外の、もう少し広い意味での使徒、遣わされた者を指しています。例えば、使徒言行録の第13章ではバルナバも使徒と呼ばれていますし、ローマ書第16章では、アンドロニコとユニアスが使徒と呼ばれています。復活したキリストは、十二人以外の使徒たちにも現れてくださったのです。

 「そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」。パウロは、キリストの復活の証人の最後に自分のことを記します。「最後に」とありますように、パウロは最後の復活の証人であるのです。パウロは自分のことを「月足らずで生まれたようなわたし」と言っておりますが、これは他の者たちとは違って、パウロは復活前のイエスを知らなかったからであると思います。ケファ(ペトロ)も、十二人も、復活前のイエスから使徒としての訓練を受けておりました。彼らは復活の前のイエスを知っていたのです。しかし、パウロはそうではありませんでした。パウロは復活前のイエスと面識もなく、弟子としての訓練も受けていなかったのです。しかし、そのようなパウロに、復活された主イエスは現れてくださり、御自分の使徒とされたのです。パウロにとって、キリスト者となることは、同時に使徒となることでありました。そのような意味でパウロは早産の子、月足らずで生まれた子のようであったのです。

 9節から11節までをお読みします。

 わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。

 パウロは、自分は神の教会を迫害したゆえに、使徒たちの中でいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者であると記します。パウロが神の教会を迫害していたこと、そのパウロに復活の主イエスが現れてくださったことは、使徒言行録の第9章に記されています。使徒言行録の第9章1節から9節までをお読みします。

 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。

 このように、パウロは神の教会を迫害する者でありました。しかし、そのパウロに復活の主イエスが現れてくださり、パウロを福音を告げ知らせる使徒としてくださったのです(ガラテヤ1:11~24も参照)。

 今朝の御言葉に戻ります。

 パウロは自分が神の教会を迫害したことを、忘れることはありませんでした。神の教会を迫害した罪は、主イエスによって赦されたのですが、パウロはそのことを忘れなかったのです。そして、そのことは神の恵みを忘れないということでもありました。主イエスが「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言われたように、神の教会を迫害することは、主イエスを迫害すること、主イエスにこぶしを振る反逆罪であったのです。ですから、パウロは本来、滅ぼされても当然の身でありました。しかし、主イエスは、パウロを滅ぼすどころか、御自分の御名を伝えるための使徒とされたのです。そのようにして、主イエスは、パウロにあふれるほどの恵みをお与えになったのです。ですから、パウロは、「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」と感謝と喜びをもって記すことができたのです。この所を新改訳聖書は、「神の恵みによって、私は今の私になりました」と翻訳しています。「神の恵みによって、私は今の私になりました」。福音を滅ぼそうとしていた者が、福音を宣べ伝える者となった。この代わりようをどのようにして説明することができるでしょうか?それはパウロが記しているとおり、復活の主イエスがパウロにも現れてくださったからであるのです。

 キリストが三日目に復活したことが事実であることを示す有力な証拠に、復活の証人たちの変わりようを挙げることができます。前回学びましたように、ケファ、ペトロは、イエス様が逮捕された夜、わが身可愛さに、イエス様との関係を三度否定しました。また、十二人もイエス様を見捨てて逃げてしまいました。しかし、そのケファをはじめとする十二人は、大祭司の脅しにも屈せず、大胆にイエスが復活したことを宣べ伝える者となりました(使徒5:27~32参照)。また、イエスを信じていなかった主の弟ヤコブも、イエス様を信じ、エルサレム教会の指導者となりました。さらには神の教会を迫害していたパウロが、福音を宣べ伝える者となりました。ペトロも十二人も、ヤコブもパウロも、なぜ、このように変わったのでしょうか?それは、復活されたキリストが現れてくださったからであるのです。キリストの復活がなければ、キリスト教会は生まれませんでした。キリストの復活がなければ、彼らは以前の自分のままであったのです。しかし、事実、キリストは復活され、彼らに現れてくださり、彼らは今の自分となることができたのです。神の教会を滅ぼそうとしていたパウロが、神の教会に仕える者、イエス・キリストの福音を宣べ伝える使徒とされたのです。パウロは自分に与えられた神の恵みを無駄にすることなく、他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、パウロは自分の働きを誇っていると誤解されないために、次のように記しています。「しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです」。パウロは、神の恵みによって働くことができたのだと、栄光を神に帰すのであります。そして、このことは単なる謙遜ではなく、本当のことだと思うのです。なぜなら、自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れないからです。聖霊のお働きがあって、人は初めて霊のことを判断できるからです。聖霊のお働きがあって、人は初めて、イエスを主であると告白することができるのです。もちろん、パウロも疲労困憊するほど働きました(二コリント11章参照)。しかし、パウロはそこに自分に与えられた主の恵みの働きを見いださずにはおれなかったのです。

 「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」。このパウロの言葉は、キリストの復活を信じる私たちにも当てはまるのではないかと思います。私たちは復活したキリストを肉の目で見たことはありません。しかし、復活したキリストの聖霊を与えられた者として、聖書に書いてあるとおり、キリストが三日目に復活したことを信じているのです。そのようにして、私たちも「神の恵みによって、わたしは今のわたしになりました」と語りうる者とされたのです。私たちにも、神の恵みは豊かに与えられております。その神の恵みを無駄にしないように、私たちも復活したキリストを大胆に宣べ伝えていきたいと願います。

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