誇る機会を断ち切るために 2019年7月14日(日曜 朝の礼拝)

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聖句のアイコン聖書の言葉

11:5 あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。
11:6 たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない。そして、わたしたちはあらゆる点あらゆる面で、このことをあなたがたに示してきました。
11:7 それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。
11:8 わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。
11:9 あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。
11:10 わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません。
11:11 なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。神がご存じです。
11:12 わたしは今していることを今後も続けるつもりです。それは、わたしたちと同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです。
11:13 こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。
11:14 だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。
11:15 だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。コリントの信徒への手紙二 11章5節~15節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、コリントの信徒への手紙二の11章5節から15節までを読んでいただきました。このところは、偽使徒たちのパウロに対する二つの批判を背景にして記されています。二つの批判とは、パウロが雄弁ではないこととパウロがコリント教会から報酬を受け取っていなかったことです。偽使徒たちは、パウロが雄弁ではないこと、パウロがコリント教会から報酬を受け取っていないことを根拠に、パウロが使徒であることを否定していたのです。

1 話しぶりは素人でも

 5節と6節をお読みします。

 あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けはとらないと思う。たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない。そして、わたしたちはあらゆる点あらゆる面で、このことをあなたがたに示してきました。

 「大使徒たち」とは、パウロが使徒であることを否定する偽使徒たちのことです。パウロは自己推薦する偽使徒たちを、皮肉をもって「大使徒」と呼んでいるのです。パウロは、自分を大使徒たちと比べても、少しは引けはとらないと思うと記します。なぜなら、話し振りは素人でも、知識はそうではないからです。ここで、パウロは、話し振りは素人であること、雄弁術の点では素人であることを認めています。しかし、パウロは、「知識はそうではない」と記すのです。ギリシア・ローマの世界では、雄弁術を駆使して話すことが、高い教育を受けたことのしるしと考えられていました。しかし、パウロは、話し振りは素人でも、知識はそうではないと言うのです。ここでの「知識」は聖霊によって与えられた神の奥義としての知恵のことです。パウロは、そのような神の知恵を、コリントたちに語ってきたし、手紙でも伝えてきたのです。たとえば、第一コリント書の2章6節と7節でパウロはこう記していました。

 しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。

 このようにパウロは、この世の知恵ではなく、奥義としての神の知恵を、コリントの信徒たちに語ってきたのです。

2 神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって

 7節から9節前半までをお読みします。

 それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。

 偽使徒たちは、パウロがコリント教会から報酬を受け取らないのは、正式な使徒ではないからだと中傷していました。パウロは、そのことを知りつつ、「それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか」と記すのです。パウロが、コリント教会から報酬を受け取らなかったことは、第一コリント書の9章に記されていました。第一コリント書の9章14節と15節をお読みします。新約の310ページです。

 同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました。しかし、わたしはこの権利を何一つ利用したことがありません。こう書いたのは、自分もその権利を利用したいからではない。それくらいなら死んだ方がましです・・・。だれも、わたしのこの誇りを無意味なものにしてはならない。

 パウロは、主イエスが福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと指示されたことを知っていました(ルカ10:7「その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。」参照)。コリントの信徒たちに福音を宣べ伝えたパウロが、コリントの信徒たちから報酬を受けることは、権利とも言える当然のことであるのです。しかし、パウロは、その権利を一度も用いませんでした。それくらいなら、死んだ方がましですとさえ記すのです。なぜ、パウロは、福音宣教者として報酬を受ける権利を用いないのでしょうか。その理由が、12節に記されています。「他の人たちが、あなたがたに対するこの権利を持っているとすれば、わたしたちはなおさらそうではありませんか。しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます」。コリント教会のある者たちは、パウロが金銭目的で福音を告げ知らせているのだと中傷していたようです。それで、パウロは、キリストの福音を少しでも妨げてはならないと、報酬を受ける権利を用いなかったのです。

 では、今朝の御言葉に戻ります。新約の337ページです。

 コリント教会のある者は、パウロがお金目的で福音を宣べ伝えていると中傷していました。それで、パウロは、権利を用いないで、報酬を受け取りませんでした。ところが、偽使徒たちは、パウロが報酬を受け取らないということで、正式な使徒ではないと中傷するのです。この偽使徒たちの中傷の背景には、ギリシャ・ローマ世界の考え方があります。ギリシャ・ローマ世界では、正式な教師であれば、報酬を受け取るのが当然であると考えられていました。しかし、パウロは、コリント教会から一切報酬を受け取りませんでした。それで、偽使徒たちは、パウロが正式な教師、正式な使徒ではないからだと中傷していたのです。

 では、パウロは教会からの援助を一切を受け取らなかったかと言うと、そうではありません。8節にあるように、パウロは、他の教会からかすめ取るようにしてまでも、コリントの信徒たちに奉仕するための生活費を手に入れたのです。パウロは、コリントで生活に不自由したとき、コリントの信徒たちのだれにも負担をかけませんでした。それは、マケドニア州から来た兄弟たちが、パウロの必要を満たしてくれたからです。このことは、使徒言行録18章に記されています。新約の249ページです。使徒言行録の18章1節から5節までをお読みします。

 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。そこで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。

 パウロは、最初、働きながら、福音を宣べ伝えました。しかし、5節にあるように、シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念したのです。おそらく、シラスとテモテは、マケドニア州からの献金を携えてパウロのもとに来たのでしょう。その献金のおかげで、パウロは福音を語ることに専念することができたのです。

 マケドニア州にあるフィリピの教会が、パウロの宣教を献金をもって支えたことは、フィリピの信徒への手紙にも記されています。新約の366ページです。4章15節から17節までをお読みします。

 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。また、テサロニケにいたときも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。

 このように、フィリピの信徒たちは、マケドニア州を出た後のパウロの宣教を贈り物によって支えたのです。パウロは、自分が去った後の教会からの援助は喜んで受けたのです。

 今朝の御言葉に戻りましょう。新約の338ページです。

 9節後半から11節までをお読みします。

 そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません。なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。神がご存じです。

 使徒パウロの誇り、それはコリントの信徒たちに負担をかけずに、キリストの福音を宣べ伝えることでありました。なぜなら、パウロにとって福音を告げ知らせることは、強いられたことであり、ゆだねられた務めであるからです。使徒パウロにとって、福音を告げ知らせることは、選択の余地のない、主イエスからゆだねられた務めであったのです。それで、パウロは報酬を受け取る権利を用いずに、福音を告げ知らせたのです。そのことがパウロが使徒であることの誇り、拠り所であったのです(一コリント9:16~18参照)。

 偽使徒たちは、パウロがコリントの信徒たちから報酬を受け取らないのは、パウロがコリントの信徒たちを愛していないからだと中傷していたようです。そのような偽使徒たちの中傷を知りつつ、パウロは、「なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛してないからだろうか。神がご存じです」と記します。ここで、パウロは直接答えていません。パウロは神さまが知っていてくださることで満足しているのです。

3 誇る機会を断ち切るために

 12節から15節までをお読みします。

 わたしは今していることを今後も続けるつもりです。それは、わたしたちと同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです。こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。

 パウロは、今後も、コリント教会から献金を受け取るつもりはないと記します。それは、パウロたちと同じように誇れる機会を狙っている偽使徒たちから、その機会を断ち切るためです。偽使徒たちは、コリント教会から報酬を受け取っていました。その彼らにとって、パウロが報酬を受け取らないで福音を宣べ伝えていたことは堪えられないことであったのです。偽使徒たちは、パウロが報酬を受け取らないのは、正式の使徒ではないからだとか、コリントの信徒たちを愛していないからだと中傷していました。そのように中傷することによって、パウロにコリントの信徒たちからの報酬を受け取らせようとしたのです。そうすれば、偽使徒たちは、パウロと同じように誇ることができると考えたのです。しかし、パウロは、そのようなことを知っていましたから、今後もコリントの信徒たちから報酬を受け取ることはないと記すのです。パウロは偽使徒たちとの戦いの一環として、コリント信徒たちから報酬を受け取らないのです。

 パウロは、5節で、偽使徒たちを「大使徒たち」と呼んでいました。しかし、13節では、彼らの正体をズバリと記します。彼らは偽使徒であり、ずる賢い働き手であり、キリストの使徒を装っているのです。さらに、パウロは彼らを、「サタンに仕える者たち」と言います。パウロは、「サタンでさえ光の天使を装う」と記します。サタン、悪魔は、悪魔の顔をしてはやって来ません。光の天使を装ってやって来るのです。だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者、イエス・キリストの使徒を装うことなど大したことはないと言うのです。パウロが、このような厳しい言葉を語るのは、彼らが「異なったイエス」を宣べ伝えていたからです。11章4節にこう記されていました。「あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、自分たちが受け入れたこのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです」。偽使徒たちは、異なったイエスを宣べ伝えていました。パウロは、その偽使徒たちの背後に、違った霊、悪の諸霊の働きを見ているのです(一ヨハネ4:3参照)。それゆえ、パウロは、彼らを「サタンに仕える者」と言うのです。パウロはそのような霊的な視点をもって、偽使徒たちと戦っているのです。

 今朝の御言葉から教えられることは、パウロがサタンとの戦いという霊的な視点をもって偽使徒たちと戦っていたということです。このような霊的な視点をもって、私たちも福音宣教と教会形成に励んでいきたいと願います。

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