使徒からの手紙 2018年11月18日(日曜 朝の礼拝)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

聖句のアイコン聖書の言葉

1:1 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。
1:2 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。コリントの信徒への手紙二 1章1節~2節

原稿のアイコンメッセージ

序 

 2011年の6月から2012年の11月までのおよそ一年半に渡って、私たちはコリントの信徒への手紙一を学びました。今朝から、コリントの信徒への手紙二をご一緒に学びたいと思います。

1 四通の手紙

 聖書には、コリントの信徒への手紙一とコリントの信徒への手紙二の2通の手紙があります。しかし、パウロは、コリントの教会に少なくとも四通の手紙を書き送りました。コリントの信徒への手紙一は二通目の手紙であり、コリントの信徒への手紙二は四通目の手紙であるのです。パウロは、コリントの教会に四通の手紙を書き送った。このことを、今朝は先ず確認したいと思います。

 コリントの信徒への手紙一を書き送る前に、パウロがコリント教会に手紙を書き送っていたことは、コリントの信徒への手紙一の5章9節に記されています。新約の305ページをお開きください。第一コリント書の5章9節から11節までをお読みします。

 わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出ていかねばならないでしょう。わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。

 ここに、パウロが第一コリント書を記す以前に、コリント教会に手紙を書き送ったことが記されています。この手紙は、今はありませんので、「失われた手紙」と呼ばれています。私たちは、このところから、「失われた手紙」の内容を知ることができるのです。

 「失われた手紙」の後で、第一コリント書が記されました。そして、第一コリント書が記された後で、いわゆる「涙の手紙」が記されました。この「涙の手紙」については、第二コリント書の2章4節に記されています。新約の326ページをお開きください。第二コリント書の1章23節から2章4節までをお読みします。

 神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの思いやりからです。わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基いてしっかり立っているからです。そこでわたしは、そちらに行くことで再びあなたがたを悲しませるようなことはすまい、と決心しました。もしあなたがたを悲しませるとすれば、わたしが悲しませる人以外のいったいだれが、わたしを喜ばせてくれるでしょう。あのようなことを書いたのは、そちらに行って、喜ばせてもらえるはずの人たちから悲しい思いをさせられたくなかったからです。わたしの喜びはあなたがたすべての喜びでもあると、あなたがた一同について確信しているからです。わたしは、悩みと憂いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。

 4節に、「わたしは、悩みと憂いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました」とあります。ここから、三通目の手紙は、「涙の手紙」と呼ばれています。この「涙の手紙」の内容は、コリントの信徒たちに悔い改めを迫るものであったようです。

 四通目は、これからご一緒に学ぼうとしているコリントの信徒への手紙二です。

 このように、パウロは、「失われた手紙」、「コリント信徒への手紙一」、「涙の手紙」、「コリントの信徒への手紙二」と、四通の手紙を、コリントの教会に書き送ったのです。

2 三度の訪問

 次に、パウロが、コリントを訪問した回数についてお話したいと思います。使徒言行録によれば、パウロがコリントを訪問したのは、2回です。使徒言行録の18章に、パウロがコリントを訪れたこと、そこに1年6か月の間とどまって、福音を告げ知らせたことが記されています。このパウロの宣教によって、コリントにキリストの教会が生まれたのでした。これが、一回目の訪問です。二回目の訪問については、20章に記されています。20章の1節から3節前半に、こう記されています。「この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三ヶ月を過ごした」。「ギリシアに来て、そこで三ヶ月を過ごした」とありますが、この「ギリシア」の町がコリントであると考えられています。パウロは、コリントに三ヶ月滞在し、「ローマの信徒への手紙」を書き記したと考えられているのです。これが、二回目の訪問です。

 このように、使徒言行録は、パウロがコリントを訪問したのは二回であると記しています。しかし、第二コリント書によれば、パウロがコリントを訪問したのは三回であるのです。第二コリント書の12章14節にこう記されています。「わたしはそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません」。また、13章1節にもこう記されています。「わたしがあなたがたのところに行くのは、これで三度目です」。このように、第二コリント書によれば、パウロは三度、コリントの教会を訪れるのです。この三度目の訪問が、使徒言行録の第20章に記されている訪問であるならば、使徒言行録が記していない、いわゆる「中間の訪問」があったことになります。そして、この「中間の訪問」において、パウロはコリントの信徒たちのある者から侮辱とも言える仕打ちを受けたようです。そのような侮辱とも言える仕打ちを受けて、パウロが書き送ったのが、三通目の「涙の手紙」であるのです。

 パウロは、二通目の手紙である第一コリント書で、テモテを遣わすことを記していました。パウロは、アジア州のエフェソで第一コリント書を書き記したのですが、エフェソからテモテを遣わしたのです。第一コリント書の4章14節から21節までをお読みします。

 こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。わたしがもう一度あなたがたのところへ行くようなことはないと見て、高ぶっている者がいるそうです。しかし、主の御心であれば、すぐにでもあなたがたのところに行こう。そして、高ぶっている人たちの、言葉ではなく力を見せてもらおう。神の国は言葉ではなく力にあるのですから。あなたがたが望むのはどちらですか。わたしがあなたがたのところへ鞭を持って行くことですか、それとも、愛と柔和な心で行くことですか。

 このところを読んでも分かるように、コリントの信徒たちの中には、パウロを侮る者たちがいました。パウロが使徒であることを疑い、非難する者たちがいたのです(一コリント9章参照)。そのような者たちに、キリスト・イエスに結ばれたパウロの生き方を思い起こさせるために、テモテは遣わされたのです。テモテを遣わすことについては、第一コリント書の終わり、16章にも記されています。16章10節、11節をお読みします。

 テモテがそちらに着いたら、あなたがたのところで心配なく過ごせるようお世話ください。わたしと同様、彼は主の仕事をしているのです。だれも彼をないがしろにしてはならない。わたしのところに来るときには、安心して来られるように送り出してください。わたしは、彼が兄弟たちと一緒に来るのを、待っているのです。

 このようにパウロは、書き送ったわけですが、実際は、テモテはコリントの信徒たちのある者に、ないがしろにされたようです。テモテは侮辱されて、不安な思いで、パウロのもとに帰って来たのです。それで、パウロは急遽、コリントに訪れたのでした。これが使徒言行録に記されていない二回目の訪問、いわゆる「中間の訪問」です。しかし、テモテを侮辱した者は、パウロをも侮辱しました。また、パウロを侮辱した者を、コリント信徒たちはいさめることをしなかったようです。それで、パウロはコリントを去り、三通目の手紙「涙の手紙」を記しました。パウロはその手紙で、コリントの信徒たちに、自分たちを侮辱した者を罰することを求め、悔い改めを迫りました(2:5〜11参照)。しかし、パウロは、コリントの信徒たちが「涙の手紙」を読んで、どのような反応を示すのか不安であったようです。それでパウロは、今度はテトスを遣わしました。テトスを遣わして、コリントの信徒たちがどのような状態であるのかを知ろうとしたのです。このことについては、第二コリント書の2章12節、13節にこう記されています。「わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました」。飛んで、7章5節から16節までをお読みします。新約の332ページです。

 マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。テトスが来てくれたことによってではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからはなんの害も受けずに済みました。神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。ですから、あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱意を、神の御前であなたがたに明らかにするためでした。このいうわけでわたしたちは慰められたのです。

 この慰めに加えて、テトスが喜ぶさまを見て、わたしたちはいっそう喜びました。彼の心があなたがた一同のお陰で元気づけられたからです。わたしはあなたがたのことをテトスに少し誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。それどころか、わたしたちはあなたがたにすべて真実を語ったように、テトスの前で誇ったことも真実となったのです。テトスは、あなたがた一同が従順で、どんなに恐れおののいて歓迎してくれたかを思い起こして、ますますあなたがたに心を寄せています。わたしは、すべての点であなたがたを信頼できることを喜んでいます。

 ここでの「手紙」は、三通目の「涙の手紙」のことです。涙の手紙は、コリント信徒たちに御心に適った悲しみをもたらし、悔い改めを生じさせました。コリント信徒たちは、パウロを侮辱した者を懲らしめることによって、自分たちが潔白であることを証明しました。そして、パウロから遣わされたテトスを、従順に、恐れおののいて歓迎したのです。そのような知らせをテトスから聞いて、喜んで記したのが、四通目の「コリントの信徒への手紙二」であるのです。

 以上のことから、パウロは、コリントの信徒への手紙二を、第一コリント書が記されてから1年後の紀元56年頃に、マケドニア州で記したことが分かります。

3 使徒からの手紙

 では、今朝の御言葉に戻って、お話したいと思います。新約の325ページです。1節、2節をお読みします。

 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 ここでパウロは、当時の手紙の形式に従って、差出人と受取人と挨拶の言葉を記しています。差出人は、「神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと、兄弟テモテ」です。この手紙は、友人に宛てて記された個人的な手紙ではなく、キリスト・イエスの使徒パウロが記した権威ある公の手紙です。使徒とは、復活の主イエス・キリストに出会い、権威を委ねられて遣わされた者のことです。パウロは、自分の意思で使徒になったのではなく、神の意思によって、キリスト・イエスの使徒とされました。使徒言行録の9章に記されているように、ダマスコ途上において、復活の主イエスは、パウロに現れ、パウロを使徒とされたのです。「キリスト・イエス」とありますが、「キリスト」とは「油を注がれた者」という意味で、王様のことです。イエス様は、天と地の一切の権能を授けられた王として、父なる神の右に座しておられます。その王であるイエス様から権威を委ねられた者として、パウロはこの手紙を書き送るのです。

 差出人に「兄弟テモテ」の名が記されています。テモテは、使徒言行録18章によれば、パウロと一緒に、コリントで福音を宣べ伝えました。そして、何より、パウロと同じように、コリントの信徒たちから侮辱を受けました。そのテモテの名前を共同の差出人として記すことにより、この手紙の内容が、テモテの同意を得ていることを示すのです。

 手紙の受取人は、ギリシャの大都市であったコリントにある神の教会です。ここで、「神の教会」と言われていることに注目したいと思います。教会と訳されている言葉は、「エクレーシア」で「呼び出された者の集い」を意味します。当時は、市民の議会も「エクレーシア」と呼ばれていました。ですから、パウロは、ここでわざわざ「神のエクレーシア」と記しているわけです。神様によって呼び出された者の集い、それが教会であるのです。神様に呼び出されて、イエス・キリストの名によって集い、礼拝をささげている私たち自身が神のエクレーシア、神の教会であるのです。

 また、受取人に、「アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ」とあります。コリントはアカイア州の首都でありました。パウロは、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちにも、この手紙が読まれることを期待しているわけです。「聖なる者たち」とは、聖なる神様の者たちということです。イエス・キリストの尊い血潮によって贖われて神の民とされた者たちということです。ですから、私たちも聖なる者たちであるのです。

 この手紙は、神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、コリントにある神の教会に宛てて記された手紙です。ここで、パウロとコリントの人々を繋いでいるのは、イエス・キリストにおいて御自分を示された神様です。そして、そのことは、私たちにも言えるわけです。私たちは、日本国の埼玉県の羽生市にある神の教会です。それゆえ、私たちは、神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロの言葉を、まさしく神の言葉として聞くことができるし、また聞くべきであるのです。私たちは、使徒パウロの言葉を、説教において、時間と空間を超越し、今、ここで語られる神の言葉として聞くことができるのです。

 2節には、挨拶の言葉が記されています。この挨拶は、パウロのオリジナルのものであろうと言われています。ユダヤ人は、「神様からの平和があるように」と挨拶しました。ユダヤ人は今でも「シャローム」と挨拶を交わします。そのことを念頭に置くと、パウロのオリジナリティーがよく分かると思います。パウロは、「神から」とは記さず、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストから」と記しました。神様は、主イエス・キリストにあって、私たちの父であるのです。ですから、パウロは、「わたしたちの父である神と主イエス・キリスト」を切り離すことなく、一体的に記すのです。私たちの父である神と主イエス・キリストからの「恵みと平和」とは、イエス・キリストにあってすべての罪を赦された恵みと、神の子としての交わりに生かされている平和のことです。私たちも、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和があるように」と挨拶を交わすことができます。私たちは、父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和に生かされている者として、そのように挨拶を交わすことができるのです。

関連する説教を探す関連する説教を探す