信仰によって 2018年7月15日(日曜 朝の礼拝)
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信仰によって
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ヘブライ人への手紙 11章4節~7節
聖書の言葉
11:4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。
11:5 信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。
11:6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。ヘブライ人への手紙 11章4節~7節
メッセージ
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序
2節に、「昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました」と記されています。この御言葉に導かれて、11章には、信仰のゆえに神に認められた昔の人たちのリストが記されています。今朝は4節から7節に記されているアベルとエノクとノアの三人について学びたいと思います。
1 アベル
4節をお読みします。
信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。
ヘブライ人への手紙は、信仰のゆえに神に認められた昔の人たちの最初の人物として、アベルの名前をあげます。アベルについては、創世記の4章に記されています。旧約の5ページです。
さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。主はカインに言われた。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
兄のカインが弟のアベルを殺してしまう。しかも、そのきっかけとなったのは、神様に献げ物をささげる礼拝であったのです。カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来ました。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来ました。主はアベルとその献げ物には目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかったのです。どうしてでしょうか?創世記は、その理由を記していません。しかし、ヘブライ人への手紙は、「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であることが証明されました」と記すのです。神様がアベルの献げ物を認められたのは、アベルが信仰によって献げ物をささげたからであると言うのです。このことを念頭において、創世記の御言葉を読むとき、「カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た」のに対して、「アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た」と記されています。アベルは、羊の群れの中の一番よいものを献げ物として持って来たのです。私たちは、ここにアベルの信仰の表れを見ることができます。そして、実際、神様が先ず見られたのは、礼拝する者の心でありました。神様が目を留められたのは、アベルとその献げ物であります。また、神様が目を留められなかったのは、カインとその献げ物であるのです。カインは、神様が自分とその献げ物に目を留められなかったので、激しく怒って顔を伏せました。そのカインに、神様はこう言われます。「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」。ここで神様は、カインに悔い改めを求めておられます。信仰をもって御自分を礼拝することを求めておられます。そして、罪に支配されないように、警告を与えておられます。罪に支配されてはならず、逆に罪を支配せねばならない。怒りから生じるアベルへの殺意を制御しなければならないと神様はカインに言われたのです。しかし、カインは、怒りから生じる殺意に支配されてアベルを殺してしまいます。神様は、「お前の弟アベルは、どこにいるのか」と問われますが、カインは、「知りません。わたしは弟の番人でしょうか」としらを切ります。そのカインに対して、神様はこう言われたのです。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる」。この主の御言葉を受けて、ヘブライ人への手紙は、「アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています」と記しているのです。カインに殺されたアベルの叫びとは、どのような叫びであったのでしょうか?それは、おそらく、カインに自分の血の復讐をしてくださいという叫びであったと思います。神様の裁きを求める叫びです。神様は、そのアベルの叫びに答えて、カインに「今、お前は呪われた者となった」と判決を下されるのです。そして。「お前は地上をさまよい、さすらう者となる」という刑罰を言い渡されるのです。暴力によって命を奪われてしまった信仰者たちの叫びは、今も神様のもとに届いています(黙示6:10「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか」参照)。そのようにして、信仰によってアベルは今も語っているのです。
今朝の御言葉に戻ります。新約の414ページです。
2 エノク
5節、6節をお読みします。
信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。
エノクについては、創世記の5章21節から24節に記されています。旧約の7ページです。
エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。エノクは三百六十五年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。
創世記の5章は、「アダムの系図」が記されています。そこには、千年近く生きた人たちのことが記されています。これは、古代の資料を用いて記したためであると考えられます。この年数をどのように解釈するかは諸説があります。しかし、ここで強調されていることは、たとえ何百年生きようと必ず死んだということです。しかし、その例外がエノクであるのですね。24節に、「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」とあります。これはヘブライ語聖書からの翻訳です。そのギリシャ語訳から翻訳すると次のようになります。「エノクは神を喜ばせた。そして見つからなかった。神が彼を移したのである」(秦剛平訳)。ヘブライ人への手紙は、ヘブライ語聖書のギリシャ語訳である七十人訳聖書を用いて、「エノクは神に喜ばれていたので、死を経験しないで天に移された」と記したのです。では、エノクはどのようにして神を喜ばせたのでしょうか?ヘブライ人への手紙は、それは信仰によってであると記します。なぜなら、信仰がなければ、神に喜ばれることはできないからです。よって、エノクは信仰によって神を喜ばせていたのです。
今朝の御言葉に戻ります。新約の414ページです。
6節の後半に、「神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」と記されています。これは、エノクの信仰の内実だけではなくて、私たちへの御言葉でもあります。神様を礼拝する者は、神様が存在しておられることだけではなくて、神様を求める自分に報いてくださる方をも信じていなければならないのです。神様がおられる。しかし、自分には何の報いもくださらない。そう思っているならば、神に近づく礼拝は成り立たない。神様は御自分を求める者たちに報いを与えてくださる。そのことを信じていなければ、礼拝は成り立たないというのです。私たちは、神様が報いてくださると信じて礼拝をささげているのです。神様は、イエス・キリストを信じる私たちに恵みをもって報いてくださいます(ローマ6:23「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」参照)。それゆえ、私たちにとって神がおられること、神が御自分を求める者に報いてくださることは信ずべき福音、良き知らせであるのです。
3 ノア
7節をお読みします。
信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。
ノアについては、創世記の6章から9章に渡って記されています。ここでは、6章9節から7章1節までをお読みします。旧約の8ページです。
これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。ノアには三人の息子、セム、ハム、ヤフェトが生まれた。この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なるものはこの地で堕落の道を歩んでいた。神はノアに言われた。「すべての肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。次のようにしてそれを造りなさい。箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし、箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべての肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。それぞれの鳥、それぞれの家畜、それぞれの地を這うものが、二つずつあなたのところへ来て、生き延びるようにしなさい。更に、食べられる物はすべてあなたのところに集め、あなたと彼らの食糧としなさい。」ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。主はノアに言われた。「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている。」
ノアは神様から、「わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべての肉なるものを天の下から滅ぼす」という御言葉を聞きました。そのようにノアは、まだ見ていない事柄についてお告げを受けたのです。そして、ノアは信仰によって、まだ見ていない事実を確認して、神様が命じられるとおりに箱舟を造ったのです。内陸において、箱舟を造ることは、人々から嘲られる愚かな行為でありました。しかし、ノアは、恐れかしこみながら、自分と家族を救うために箱舟を造りました。ノアは、洪水など起きないのではないか。箱舟を造らなくても助かるのではないかとは考えませんでした。ノアは信仰によって箱舟を造り、自分と家族を救ったのです。そのようにして、世界を罪に定め、信仰に基づく義を受け継ぐ者となったのです。ノアは神様が命じられたとおりに箱舟を造ることにより、神様から「この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている」という御言葉をいただいたのです。ここで「従う人」と訳されている言葉(ツァディーク)は「正しい人」と訳すことができます(口語訳7:1b「あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである」参照)。ノアが神様に正しい人と認められたのは、まだ見ていない事実を確認し、望んでいる事柄を確信する信仰によってであったのです。
ノアの洪水は、世の終わりの裁きの象徴であります。聖書は、神様が世の終わりに、すべての人類を裁かれることを教えています。その時には、生きている者だけではなく、すでに死んだ者も裁かれるのです。私たちは、信仰によって、そのまだ見ていない事実を確認することが求められているのです。また、聖書は、イエス・キリストを信じるならば、あなたも家族も救われますと教えています。箱舟はキリストの教会と重ねて解釈されてきました。私たちは、自分と家族を救うために、イエス・キリストを信じて箱舟に入るべきであるのです。望んでいる事柄を確信する信仰によって、イエス・キリストを信じて、教会の一員となるべきであるのです。そのとき、ノアの物語は私たち一人一人の物語となるのです。私たちも、信仰に基づく義を受け継ぐ者たちとなるのです。