ダビデに対する神の約束 2018年12月16日(日曜 朝の礼拝)

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ダビデに対する神の約束

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
サムエル記下 7章1節~17節

聖句のアイコン聖書の言葉

7:1 王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。
7:2 王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」
7:3 ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」
7:4 しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。
7:5 「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。
7:6 わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。
7:7 わたしはイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。
7:8 わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。
7:9 あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。
7:10 わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。
7:11 わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。
7:12 あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
7:13 この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。
7:14 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。
7:15 わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。
7:16 あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」
7:17 ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、この幻のとおりにダビデに告げた。サムエル記下 7章1節~17節

原稿のアイコンメッセージ

序 

 来週は、イエス・キリストの御降誕をお祝いするクリスマス記念礼拝です。その心備えとして、今朝は、旧約聖書のサムエル記下の第7章から御言葉の恵みにあずかりたいと願っています。

 

1 ダビデの考え

 1節から3節までをお読みします。

 王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」

 「王」とは、紀元前1000年頃に、イスラエルとユダの王となったダビデのことです。第5章の小見出しに、「ダビデ、イスラエルとユダの王となる」と記されています。5章4節、5節にこう記されています。「ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した」。ですから、このとき、ダビデは40歳ぐらいであったようです。また、5章11節にはこう記されています。「ティルスの王ヒラムはダビデのもとに使節を派遣し、レバノン杉、木工、石工を送って来た。彼らはダビデの王宮を建てた」。このレバノン杉の王宮にダビデは住んでいたのです。第5章17節以下の小見出しに、「ダビデ、ペリシテ人を破る」と記されています。また、第6章の小見出しに、「神の箱をエルサレムへ運び上げる」と記されています。6章17節以下には、主の箱が天幕の中に安置されたこと、ダビデが主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげたことが記されています。今朝の御言葉は、このような文脈の中で記されているのです。

 ダビデは王宮に住むようになり、主は周囲の敵であるペリシテ人をすべて退けて、彼に安らぎをお与えになりました。しかし、ダビデには一つ気になることがあったようです。ダビデは預言者ナタンにこう言います。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」。ダビデは、自分がレバノン杉の家に住んでいるのに、神様の臨在を表す神の箱が天幕(テント)の中にあることを心苦しく思ったようです。それで、ダビデは、神の箱を置くレバノン杉の家(神殿)を建てようと考えたのです。預言者ナタンは、「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます」とダビデの提案に賛成しました。しかし、主の御心は異なるものでした。

2 ダビデに対する神の約束

 4節から7節までをお読みします。

 しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。わたしはイスラエルの子らと常に歩んできたが、その間、わたしの民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか。」

 神様は、王であるダビデを「わたしの僕ダビデ」と呼ばれます。わたしの僕であるあなたが、主人であるわたしのために住むべき家を建てようというのか、と神様は言われるのです。イスラエルの民をエジプトから導き出し、カナンの土地へと導き入れた神様は、共におられる神、主、ヤハウェとして、天幕に住み、イスラエルの民と共に歩まれました。出エジプト記の第25章以下に記されているように、神様ご自身が幕屋の建設を指示されたのです。そして、これまで、神様は、どの部族の一つにでも、「なぜわたしのためにレバノン杉の家を建てないのか」と言われたことはなかったのです。このようにして、神様はダビデの考えに潜んでいる驕り高ぶりを牽制(けんせい)されるのです。

 8節から12節までをお読みします。

 「わたしの僕ダビデに告げよ。万軍の主はこう言われる。わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。わたしの民に士師を立てたころからの敵を退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。」

 神様は、王であるダビデを、再び、「わたしの僕ダビデ」と呼ばれます。そして、万軍の主である自分が、ダビデを羊飼いからイスラエルの指導者にしたことを思い起こさせるのです。ダビデの行く手の敵をことごとく断ち、ダビデを大いなる者としたのは、神様であるのです。神様は、イスラエルの民を約束の地、カナンに住み着かせ、昔からの敵を退け、ダビデに平安を与えられたのです。そのようなお方として、主は、ダビデの家を興すと言われるのです。ダビデが主の家(神殿)を建てるのではなくて、主がダビデの家(王朝)を興すと言われるのです。ダビデが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとすると主は言われるのです。

 13節から16節までをお読みします。

 「この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」

 神様は、ダビデの考え、神様の名のために家を建てることを退けはしませんでした。しかし、神様の名のために家を建てるのは、ダビデではなくて、ダビデの子孫で、跡を継ぐ者であるのです。そして、事実、ダビデの子で、跡を継いだソロモンが、神様の名のために神殿を建てたのでした。神様は、ダビデの子孫の王座をとこしえに堅く据えると言われます。「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」とさえ言われるのです。神様はダビデの子孫が過ちを犯すときは、父が子を懲らしめるように懲らしめられるのです。神様は、「わたしは慈しみを彼から取り去りはしない」と言われます。ここで「慈しみ」と訳されているヘブライ語(ヘセド)は「愛」とも訳されます。神様は、ダビデの子孫から慈しみ、愛を取り去りはしない。サウルとは違って、ダビデの家、ダビデの王国はあなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられると言うのです。これは神様の一方的な恵みであります。それゆえ、18節以下で、ダビデは、「主なる神よ、何故わたしを、わたしの家などを、ここまで導きくださったのですか」と感謝の祈りをささげるのです。主のために家を建てようと考えたダビデは、「主があなたのために家を興す。あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」という思ってもみなかった恵みをいただくのです。

3 とこしえに王座を堅く据えるダビデの子孫とは誰か

 サムエル記下の後に、列王記上と列王記下が記されています。そこには、ダビデの後継者としてソロモンが王となったこと。ソロモンによって、神の名のために神殿が建てられたことが記されています。さらには、ソロモンの死後、王国が北王国イスラエルと南王国ユダに分裂したことが記されています。南王国ユダは、ダビデの子孫が王として統治しており、神様の約束はその者たちに受け継がれて行くわけです。列王記下はバビロン帝国によってユダ王国の都エルサレムが陥落したことを記して終わります。神様がダビデに、「あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」と言われていたのに、ユダ王国はバビロン帝国によって滅ぼされてしまったのです。では、神様の言葉は空しく地に落ちてしまったのでしょうか。イスラエルの民はそのように考えませんでした。神様は、ダビデの子孫から王を興してくださると信じたのです(詩編89:50、ルカ1:69参照)。そして、新約聖書は、ダビデの子孫であるヨセフのいいなずけマリアから産まれたイエス様こそ、ダビデの王座をとこしえに堅く据える者であると証ししているのです(ルカ1:32参照)。

 では、ダビデの子孫として生まれたイエス様が、ダビデに対する神の約束を実現する者であると、なぜ言えるのでしょうか。それは、イエス様が死者の中から復活されたからです。そして、このことは、神様がダビデに前もって告げておられたことでありました。12節の中程に、「あなたの身から出る子孫に跡を継がせ」と記されています。この所を口語訳聖書は次のように翻訳しています。「わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて」。また、新改訳聖書は次のように翻訳しています。「わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし」。この「立てる」とか「起こす」と訳されているヘブライ語(クーム)は「復活させる」とも訳せます。つまり、神様は、ダビデに、「わたしはあなたの身から出る子孫を復活させる」と言われていたのです。ですから、ペンテコステの日、使徒ペトロは、ダビデの王座を堅く据えるお方こそ、復活されたイエス・キリストであると大胆に語ることができたのです(使徒2章参照)。また、使徒パウロはローマの信徒への手紙の1章3節、4節で、こう記しています。「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子であると定められたのです」(新改訳「公に神の御子として示された方」参照)。このように、復活は、イエス様が力ある神の子であることの印であるのです(申命18:15「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる」も参照)。復活されたイエス・キリストは、天へと上げられ、父なる神の右の座についておられます。イエス様は、神様の右に座す神の子として、全世界とそのあらゆる領域を支配しているのです。そのようにして、神様は、ダビデに対する約束を実現してくださったのです。私たちは、使徒信条において、イエス様がヨセフのいいなずけであるおとめマリアからお生まれになり、十字架の死から復活させられ、天に上り、父なる神の右に座しておられると告白しています。それは、ダビデに対する約束の実現でもあるのです。イエス様は、ダビデに対する神の約束を実現するお方として、全世界とそのあらゆる領域をとこしえに支配しておられるのです。

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