アダムの系図 2011年10月23日(日曜 夕方の礼拝)

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アダムの系図

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 5章1節~32節

聖句のアイコン聖書の言葉

5:1 これはアダムの系図の書である。神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、
5:2 男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた。
5:3 アダムは百三十歳になったとき、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけた。アダムはその子をセトと名付けた。
5:4 アダムは、セトが生まれた後八百年生きて、息子や娘をもうけた。
5:5 アダムは九百三十年生き、そして死んだ。
5:6 セトは百五歳になったとき、エノシュをもうけた。
5:7 セトは、エノシュが生まれた後八百七年生きて、息子や娘をもうけた。
5:8 セトは九百十二年生き、そして死んだ。
5:9 エノシュは九十歳になったとき、ケナンをもうけた。
5:10 エノシュは、ケナンが生まれた後八百十五年生きて、息子や娘をもうけた。
5:11 エノシュは九百五年生き、そして死んだ。
5:12 ケナンは七十歳になったとき、マハラルエルをもうけた。
5:13 ケナンは、マハラルエルが生まれた後八百四十年生きて、息子や娘をもうけた。
5:14 ケナンは九百十年生き、そして死んだ。
5:15 マハラルエルは六十五歳になったとき、イエレドをもうけた。
5:16 マハラルエルは、イエレドが生まれた後八百三十年生きて、息子や娘をもうけた。
5:17 マハラルエルは八百九十五年生き、そして死んだ。
5:18 イエレドは百六十二歳になったとき、エノクをもうけた。
5:19 イエレドは、エノクが生まれた後八百年生きて、息子や娘をもうけた。
5:20 イエレドは九百六十二年生き、そして死んだ。
5:21 エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。
5:22 エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。
5:23 エノクは三百六十五年生きた。
5:24 エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。
5:25 メトシェラは百八十七歳になったとき、レメクをもうけた。
5:26 メトシェラは、レメクが生まれた後七百八十二年生きて、息子や娘をもうけた。
5:27 メトシェラは九百六十九年生き、そして死んだ。
5:28 レメクは百八十二歳になったとき、男の子をもうけた。
5:29 彼は、「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」と言って、その子をノア(慰め)と名付けた。
5:30 レメクは、ノアが生まれた後五百九十五年生きて、息子や娘をもうけた。
5:31 レメクは七百七十七年生き、そして死んだ。
5:32 ノアは五百歳になったとき、セム、ハム、ヤフェトをもうけた。

創世記 5章1節~32節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は、創世記の第5章より御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 1節、2節をお読みします。

 これはアダムの系図の書である。

 神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた。

 「これはアダムの系図の書である」とありますように、第5章にはアダム、セト、エノシュ、ケナン、マハラルエル、イエレド、エノク、メトシェラ、レメク、ノアと10代に渡るアダムの系図が記されています。創世記の著者は「アダムの系図の書」という資料を用いて、このところを記しているのです。

 ここで「人」と訳されているヘブライ語はアダムであります。アダムは個人名であるだけでなく、「人」とも訳されるのです。それはアダムが神様によって造られた最初の人であったからです。人・アダムは、神から産まれたものではなく、神によって造られたものであります。それも神に似せて造られたものです。そして、人は男と女に造られたのです。このことは第1章26節、27節に記されていたことであります。

 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

 また、神様は創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられました。これは第1章28節に記されていたことであります。

 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」

  神様は人を祝福して、「産めよ、増えよ」と言われましたが、アダムの系図はこの神様の祝福が二人は一体と言われる夫婦によって実現していったことを示しているのです。

 3節から5節までをお読みします。

 アダムは百三十歳になったとき、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけた。アダムはその子をセトと名付けた。アダムは、セトが生まれた後八百年生きて、息子や娘をもうけた。アダムは九百三十年生き、そして死んだ。

  アダムは130歳になったとき、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけました。これは第1章26節の「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」という神様の言葉をなぞるものであります。神はアダムを御自分にかたどり、御自分に似せて造られたように、アダムは自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけたのです。このことはアダムの子孫であるセトも神のかたちに似せて造られたものであることを教えています。アダムの子孫である私たちも神のかたちに似せて造られたものたちであるのです。しかし、それはアダムの堕落によって歪んでしまった神のかたちでもあります。よって、生まれながらの人は「神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなっ」ているのです(ローマ1:21参照)。

 アダムは130歳になったときセトをもうけ、セトが生まれた後800年生きて、息子や娘をもうけました。アダムは930年生き、そして死んだのであります。こう聞きますと、130歳で子供が産めるのであろうか?930年も生きることができるのだろうか?と疑問に思います。しかし、わたしは聖書が伝えるところをそのまま受け入れて読むのがよいと思います。最初に申しましたように、アダムの系図は資料を用いて記されたものであり、ここでの高い数値はその資料によるものであります。一般的に古代の人の寿命は長かったと考えられていたようです。しかし創世記の記述を見ていくと、だんだんと寿命が短くなっていくことが分かります。ノアの洪水前の人の寿命は700年代から900年代、ノアの洪水後の人の寿命は500年代から200年代、アブラハム以降の族長になると人の寿命は100年代と短くなっていきます。モーセの詩と言われている詩編第90編は、「人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません」と歌っています。おそらく創世記の読者たちの人生の年月も70年程のものであったと思われます。今の私たちとだいたい同じでありますね。そのような者たちにとって、このアダムの系図は驚きであります。アダムは130歳でセトをもうけ、他にも多くの息子や娘をもうけて、930年生き、そして死んだのです。古代の人が長生きであった理由として、神様が人を創造されたばかりであり、命がみなぎっていたのではないかと推測する人もおります。また、「産めよ、増えよ」という祝福を実現するために、神様が特別に寿命を延ばされたと推測する人もいます。理由はよく分かりませんが、聖書の伝えるところによれば、アダムは930年生き、そして死んだのです。このように聞いて、私たちはどう思うでしょうか?長生きしてうらやましいと思うでしょうか?それとも大変だったろうなぁと思うでしょうか?わたしは大変だったろうなぁと思うのですね。第3章17節で、神様は罪を犯したアダムに向かってこう言われました。

 「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」

 アダムは食べ物を得ようと苦しみながら、顔に汗を流してパンを得ながら、930年生きたのです。アダムが930年生きたとすると、アダムは8代目のメトシェラの頃まで生きていたことになります。アダムは子であるセトと孫のエノシュだけではなく、ケナン、マハラルエル、イエレド、エノク、メトシェラをも見ることができたわけです。そして、アダムは子孫たちに、エデンの園のことを語って聞かせたと思います。エデンの園には、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木が生えていたこと。しかし、自分が神の掟に背いて罪を犯したゆえに、エデンの園から追放されたことをアダムは語り伝えたと思います。何より、「悪魔の頭を打ち砕く女の子孫が生まれる」という救いの約束を語り伝えたと思います。それゆえ、9代目のレメクは「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労をこの子は慰めてくれるであろう」と言って、自分の子をノア(慰め)と名付けたのです。このようにアダムの系図は血筋ばかりではなく、主の御名を呼び求める信仰の系図であると言えるのです(4:26参照)。

 聖書はアダムとその子孫がどんなに長生きしたとしても、最後には「そして死んだ」と記しています。第2章17節で、「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と神様が言われたように、アダムは必ず死んだのです。そして、そのアダムに似せて生まれてくる子孫たちはどんなに長生きしても必ず死ぬのであります。しかし、一人例外がおりました。それが7代目のエノクであります。

 21節から24節までをお読みします。

 エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。エノクは、メトシェラが生まれた後、三百年神と共に歩み、息子や娘をもうけた。エノクは三百六十五年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。

 エノクは死を経験せずに、天へと移されたことがここに記されています。列王記下の第2章に預言者エリヤが火の戦車に乗って、嵐の中を天に上って行ったことが記されていますが、エノクも死を経験せずに、天へと移されたのです。それはエノクが神と共に歩んだからであります。神は御自分と共に歩まれたエノクを取られました。そのようにして、御自分が死に打ち勝つお方であることを示されたのです。この神様の御力は、悪魔の頭を打ち砕く女の子孫であるイエス・キリストを死から三日目に栄光の体に復活させられることによって示されました。そして、神様はイエス・キリストを天へと上げられ、このお方が御自分と共に歩まれたことを証しされたのです。さらに神様はこの証しを信じるすべての者をも栄光の体へと復活させ、天へとあげてくださるのです。私たちもイエス・キリストにあって、神と共に歩む人生を送ることができます。死に支配されない神の命、復活の命に生きることができるのです。それゆえに、イエス・キリストこそが、私たちを本当に慰めてくださるお方であるのです。レメクの預言は、イエス・キリストにおいて完全に満たされたのであります。

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