見よ、わたしはすぐに来る 2019年10月13日(日曜 夕方の礼拝)

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見よ、わたしはすぐに来る

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨハネの黙示録 22章6節~15節

聖句のアイコン聖書の言葉

22:6 そして、天使はわたしにこう言った。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。
22:7 見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」
22:8 わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである。聞き、また見たとき、わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もうとした。
22:9 すると、天使はわたしに言った。「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。」
22:10 また、わたしにこう言った。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。
22:11 不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。
22:12 見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。
22:14 命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。
22:15 犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。ヨハネの黙示録 22章6節~15節

原稿のアイコンメッセージ

 私たちは、新しい天と地について、また、新しいエルサレムについて学びましたが、今夕の御言葉は、ヨハネの黙示録のエピローグ、結びの部分であります。

1 預言の言葉

 6節と7節をお読みします。

 そして、天使はわたしにこう言った。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである。見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は幸いである。」

 先程、私は、今夕の御言葉は、ヨハネの黙示録のエピローグ(結びの部分)であると申しました。そのことは、今夕の御言葉がヨハネの黙示録のプロローグ(序文)と対応していることから分かります。1章1節から3節までをお読みします。新約の452ページです。

 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためにキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。

 ヨハネは、このプロローグ(序文)の言葉に対応するかたちで、今夕の御言葉であるエピローグ(結びの部分)を記しているのです。

 今夕の御言葉に戻ります。新約の479ページです。

 6節に、「そして、天使はわたしにこう言った」とありますが、元の言葉では、「天使」とは記しておらず、「彼」と代名詞で記されています。新共同訳は文脈から「彼」を「天使」と翻訳しているのです。なぜ、このようなことをわざわざ言うのかと申しますと、今夕の御言葉で、誰が発言しているのかが大変分かりにくいからです。例えば、7節に、「見よ、わたしはすぐに来る」とあります。これは、天使の言葉ではなくて、天上におられる主イエスの御言葉です。しかし、ヨハネは、そのようなことをわざわざ記していません。そこで私たちは、自分で判断しなければならないわけです。そのことを踏まえた上で、新共同訳の解釈に従って、6節を天使の言葉として読みます。天使は、ヨハネにこう言いました。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたのである」。「これらの言葉」とは、ヨハネの黙示録全体を指しています。これまで記して来たことは、預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、御自分の僕たちに示されたゆえに、信頼でき、真実であるのです。「預言者たちの霊感の神、主」とありますが、この言い方は、聖書が霊感された神の言葉であるという信仰から来ています。使徒パウロは、第二テモテの3章16節でこう記しています。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」。預言者たちを霊感して聖書を記させた神さまが、天使を送って、ヨハネにこれらの言葉を記させたのです。それゆえ、これらの言葉は、神の言葉であり、信頼でき、真実であるのです。

 7節は、先程も申しましたように、天使の言葉というよりも主イエスの言葉であります。主イエスは、「見よ、わたしはすぐに来る」と言われます。19章11節以下に、「主イエスの再臨の幻」が記されていました。そこに記されているような御方として、主イエスはすぐに来られるのです。ヨハネは世の終わりの幻を見て来たわけですが、ここでは現実に戻っています。ヨハネの黙示録は、紀元90年代のローマ皇帝ドミティアヌスの時代に書かれた書物であります。ヨハネが見た幻では、獣はすでに裁かれ、火と硫黄の池に投げ込まれました。しかし、現実では、獣は力をもって教会を迫害しているわけです。そのような迫害の中にある御自分の僕たちに、「見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである」とイエスさまは言われるのです。イエスの僕である私たちが、迫害に負けることなく、イエスを信じることができるように、この書物の預言の言葉は与えられているのです。

2 時が迫っている

 8節から11節までをお読みします。

 わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである。聞き、また見たとき、わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もうとした。すると、天使はわたしに言った。「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。」また、わたしにこう言った。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである。不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。

 8節で、ヨハネは、「わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである」と改めて自分の名前を記します(1:9参照)。このヨハネがイエス・キリストの使徒ヨハネであるかどうかは議論のあるところですが、小アジアの教会において権威ある人物であったことは確かです。ヨハネは自分の名前を改めて記すことにより、これらの言葉が信頼でき、また真実であることを補強するのです。この所を読んで、私は、「説教者は匿名では説教できない」という言葉を思い起こしました。説教者は自分が誰であるかを隠して説教することはできない。それは、説教が説教者の存在と深く結び付いているからです。神さまは、ヨハネを霊感して、この書物を信頼でき、また真実である神の言葉として記しました。神さまは、ヨハネという存在を有機的に霊感して、ヨハネの聖書知識や考え方や経験などを用いて、この書物を記されたのです(ヨハネは旧約聖書にある預言の言葉を用いて、イエスさまから示された幻を記した)。

 ヨハネは、天使の足もとにひれ伏し、拝もうとしました。このことは、19章10節にも記されていました。ヨハネは、天使を通して示されたことがあまりにも素晴らしいので、天使を拝もうとしたのです。そのようなヨハネに天使はこう言いました。「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ」。私たちは、獣の像を拝まなかったヨハネが、二度も天使を拝もうとしたことを心に留めたいと思います。しかし、天使を拝むことも、禁じられているのです(コロサイ2:17参照)。なぜなら、天使も神さまに仕える者、神さまを礼拝する者であるからです。天使も神さまによって造られた被造物であり、礼拝の対象としてはならないのです。私たちが礼拝すべき御方は、造り主である神さまだけであるのです。

 また、天使は、ヨハネにこう言いました。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである」。これは、ダニエルが言われたことと反対の内容です。旧約聖書の黙示文書であるダニエル書12章1節から4節までをお読みします。旧約の1401ページです。

 その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く/国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう/お前の民、あの書に記された人々は。多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り/ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。目覚めた人々は大空の光のように輝き/多くの者の救いとなった人々は/とこしえに星と輝く。ダニエルよ、終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい。多くの者が動揺するであろう。そして、知識は増す。」

 ここで、ダニエルは、「終わりの時が来るまで、お前はこれらのことを秘め、この書を封じておきなさい」と命じられています。しかし、ヨハネは、「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない」と命じられるのです。それは、終わりの時が迫っているからですね。世の終わりをもたらす主イエス・キリストがすぐに来られるからです。それゆえ、私たちは、ヨハネの黙示録に記されている預言の言葉を大胆に宣べ伝えていかなければならないのです。世の終わりには裁きがあること。そして、その裁き主こそ、主イエス・キリストであることを大胆に宣べ伝えていかなければならないのです(使徒17:31参照)。

 今夕の御言葉に戻ります。新約の479ページです。

 11節には、世の終わりの人々の姿が記されています。世の終わりには、不正を行う者はますます不正を行う者となり、正しい者はますます正しい者となるのです。そのような二極化が起こるというのですね。このことは、使徒パウロも記しています。テモテへの手紙二の3章1節から5節までをお読みします。新約の393ページです。

 しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい。

 終わりの時は、悪い者はますます悪くなる、伝道の困難な時期でもあるのです。

 今夕の御言葉に戻ります。新約の479ページです。

 

3 見よ、わたしはすぐに来る

 12節から15節までをお読みします。

 見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。

 主イエスは、再び、「見よ、わたしはすぐに来る」と言われます。主イエスは、それぞれの行いの応じて報いる方として、報いを携えて来てくださるのです。そして、この方は、「初めであり、終わりである」神その方であられます。神さまは、主イエス・キリストにおいて、世界と歴史を裁かれるのです。主イエスが、御自分の僕である私たちに与えてくださる報いとは何でしょうか。それは、14節にありますように、命の木に象徴される、神さまとの永遠の命の交わりです。私たちは、始祖アダムにあって罪を犯し、命の木に対する権利を失ってしまいました。しかし、最後のアダムであるイエス・キリストにあって、命の木に対する権利を与えられ、新しいエルサレムに永遠に住むことができるのです。私たちは、イエス・キリストの恵みによって、新しいエルサレムに永遠に住むことができるのです。

 14節に、「命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである」とあります。「自分の衣を洗い清める」ことについては、7章13節と14節にこう記されていました。新約の461ページです。

 すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。

 この御言葉を念頭に置くならば、「自分の衣を洗い清める」とは、イエス・キリストの血による罪の赦しにあずかり続けることであることが分かります。私たちは、主の日の礼拝ごとに、罪を告白し、父と子と聖霊の御名によって罪の赦しをいただきます。そのようにして、私たちは、自分の衣を洗い清めているのです。そのような私たちを、イエスさまは、「幸いである」と言われるのです。

 今夕の御言葉に戻ります。新約の480ページです。

 15節は、都に入ることのできない不正な者、汚れた者のことが記されています。「犬のような者」とは、「まことの神を知らない者」の蔑称(軽蔑した言い方)です。神さまの掟に背いて、神の真実であるイエス・キリストを信じない者たちは、神の都の外にいることになるのです。

 「見よ、わたしはすぐに来る」と言われる主イエス・キリストは、そのような決定的な裁きをもたらす御方として来られるのです。

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