新しいエルサレム 2019年7月21日(日曜 夕方の礼拝)
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新しいエルサレム
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- 村田寿和 牧師
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ヨハネの黙示録 21章9節~21節
聖書の言葉
21:9 さて、最後の七つの災いの満ちた七つの鉢を持つ七人の天使がいたが、その中の一人が来て、わたしに語りかけてこう言った。「ここへ来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。」
21:10 この天使が、“霊”に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。
21:11 都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。
21:12 都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。
21:13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。
21:14 都の城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった。
21:15 わたしに語りかけた天使は、都とその門と城壁とを測るために、金の物差しを持っていた。
21:16 この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。
21:17 また、城壁を測ると、百四十四ペキスであった。これは人間の物差しによって測ったもので、天使が用いたものもこれである。
21:18 都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。
21:19 都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、
21:20 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
21:21 また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。ヨハネの黙示録 21章9節~21節
メッセージ
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序
前回学んだ21章2節にこう記されていました。「更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た」。今夕の御言葉には、「新しいエルサレム」を外から見た様子(外観)が記されています。天から下って来た新しいエルサレムがどのような都であるのかをご一緒に学びたいと思います。
1 小羊の妻である花嫁
9節と10節をお読みします。
さて、最後の七つの災いの満ちた七つの鉢を持つ七人の天使がいたが、その中の一人が来て、わたしに語りかけてこう言った。「ここへ来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。」この天使が、霊に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。
「七つの鉢を持つ七人の天使」については15章に記されていました。15章1節に、「わたしはまた、天にもう一つの驚くべきしるしを見た。七人の天使が最後の七つの災いを携えていた。これらの災いで、神の怒りがその極みに達するのである」と記されています。また、15章7節には、「そして、四つの生き物の中の一つが、世々限りなく生きておられる神の怒りが盛られた七つの金の鉢を、この七人の天使に渡した」と記されています。16章には、この七人の天使たちによって、鉢の中身が地上に注がれることにより災いがもたらされたことが記されています。さらに、17章1節にはこう記されています。「さて、七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、わたしに語りかけた。『ここへ来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう』」。今夕の御言葉、22章9節は、この17章1節と対応しています。かつてヨハネに大淫婦に対する裁きを見せた天使は、今夕の御言葉で、小羊の妻である花嫁をヨハネに見せるのです。「小羊の妻である花嫁」こそ、天上の教会であり、天から下って来る新しいエルサレムであるのです。
天使は、聖霊に満たされたヨハネを高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れ、天から下って来るのを見せました。この記述は、旧約のエゼキエル書40章を背景にしています。エゼキエル書の40章から48章までに、「新しい神殿の幻」について記されています。そのエゼキエルの預言を背景にして、ヨハネは新しいエルサレムについて記すのです。エゼキエル書の40章1節と2節をお読みします。旧約の1362ページです。
我々が捕囚になってから二十五年、都が破壊されてから十四年目、その年の初めの月の十日、まさにその日に、主の手がわたしに臨み、わたしをそこへ連れて言った。神の幻によって、わたしはイスラエルの地に伴われ、非常に高い山の上に下ろされた。その南側に都のような建設された物があった。
かつてエゼキエルが高い山に連れて行かれたように、ヨハネも高い山に連れて行かれるのです。そして、エゼキエルが見た幻の実現である聖なる都エルサレムを見るのです。
今夕の御言葉に戻ります。新約の478ページです。
2 神の栄光に輝く都
11節から14節までをお読みします。
都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。都の城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった。
「都は神の栄光に輝いていた」とありますが、この御言葉はイザヤ書の60章を背景にしています。イザヤ書の60章は「栄光と救いの到来」について預言していますが、その1節と2節にこう記されています。旧約の1159ページです。
起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り/主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い/暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で/主の栄光があなたの上に現れる。
このイザヤの預言も、聖なる都エルサレムにおいて完全に実現することになるのです。
今夕の御言葉に戻ります。新約の478ページです。
都は神の栄光に輝いていました。それは、その都が神さまが住んでおられる都であるからです。それゆえ、ヨハネは「その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった」と記すのです。かつてヨハネは、神さまを「碧玉や赤めのうのようであり」と記したことがあります(4:3)。それゆえ、神の都の栄光は、美しい碧玉のようであったのです。
ヨハネは、都には、高い大きな城壁と十二の門があったと記します。それらの門には十二人の天使がいました。この天使たちは門番であるようです。次回学ぶことになる、27節に、「しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者は誰一人、決して都に入れない」とあります。それは門番として天使がいるからです。十二の門には、イスラエルの子らの十二部族の名が刻みつけてありました。この所もエゼキエル書の預言を背景にして記されています。エゼキエル書の48章30節から34節までをお読みします。旧約の1378ページです。
都の出口は、次のとおりである。北側は長さ四千五百アンマである。都の門はイスラエルの部族の名にしたがって、北の方に三つの門がある。ルベンの門が一つ、ユダの門が一つ、レビの門が一つである。東側も長さ四千五百アンマである。そこには三つの門がある。ヨセフの門が一つ、ベニヤミンの門が一つ、ダンの門が一つである。南側も長さ四千五百アンマである。そこに三つの門がある。シメオンの門が一つ、イサカルの門が一つ、ゼブルンの門が一つである。西側も長さ四千五百アンマである。そこには三つの門がある。ガドの門が一つ、アシェルの門が一つ、ナフタリの門が一つである。
このように、エゼキエルが見た都には、イスラエルの十二部族の門がありました。それと同じように、ヨハネが見た都にも、十二の門があり、そこにはイスラエルの十二部族の名が刻まれていたのです。つまり、エゼキエルが見た都の成就こそ、ヨハネが見た新しいエルサレムであるのです。
今夕の御言葉に戻ります。新約の478ページです。
ヨハネが見た新しいエルサレムの城壁には十二の土台があって、それには小羊であるイエス・キリストの十二使徒の十二の名が刻みつけてありました。これは、エゼキエルの預言には記されていなかったことです。このことは何を意味するのでしょうか。ある人は、十二部族の名は旧約の民を、十二使徒の名は新約の民を指すと解釈します。新しいエルサレムの住民は、イエス・キリストを信じる旧約の民と新約の民であるのです(ヘブライ11章参照)。
3 完全な都
15節から17節までをお読みします。
わたしに語りかけた天使は、都とその門と城壁とを測るために、金の物差しを持っていた。この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。また、城壁を測ると、百四十四ペキスであった。これは人間の物差しによって測ったもので、天使が用いたものもこれである。
エゼキエル書に、天使が神殿の大きさを測ったことが記されていますが、ヨハネに語りかけた天使は都と城壁とを測ります。天使は金の物差しを持っていましたが、基準は人間の物差しと同じでありました。この都は正方形で長さと幅が同じでありました。古代の世界において正方形は完全さの象徴であると言われています。また、この都は長さも幅も高さも同じ立方体でもありました。立方体である都を思い描くことは難しいですが、ヨハネはこの都が完全であることを強調しているわけです。また、この立方体である都は、長さも幅も高さも12000スタディオンでありました。聖書巻末の度量衡によれば、1スタディオンは約185メールですから、およそ2200キロメートルになります。これは、北海道から沖縄までの距離ぐらいです。とてもつない大きな都であります。ただ、ヨハネの黙示録は、黙示文書でありますので、数字は象徴的な意味を持っています。12000という数字は、完全数である12に1000を掛けたものですから、ここでも都の完全さが言われているのでしょう。また、城壁は144ペキスでありました。1ペキスは約45センチメートルですから、144ペキスはおよそ65メートルになります。しかし、これも象徴的に理解すべきであると思います。144は完全数である12の二乗、12に12を掛けた数です。よって、ここでも都の完全さが強調されているのです。ヨハネは都の形が正方形であり立方体であることを記すことにより、また、その大きさを表す数字によって、新しいエルサレムが完全な都であることを強調しているのです。
4 至聖所である都
18節から21節までをお読みします。
都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。
ここには、新しいエルサレムの建築材料が記されています。「都の城壁は碧玉で築かれ」とあります。ヨハネが神さまを「碧玉のようであった」と記していたことを思い起こすならば、この都は神さまによって守られていると解釈することができます。また、城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていました。この土台石は、小羊の十二使徒の名が記されている土台石のことです。ここで、ヨハネは碧玉、サファイア、めのう、エメラルドと宝石の名をあげていきます。この背景には、出エジプト記28章に記されている祭司の胸当ての宝石があります。出エジプト記28章15節から21節までをお読みします。旧約の140ページです。
次に、金、青、紫、緋色の毛糸、および亜麻のより糸を使ってエフォドと同じように、意匠家の描いた模様の、裁きの胸当てを織りなさい。それは、縦横それぞれ一ゼレトの真四角なものとして、二重にする。それに宝石を四列に並べて付ける。
第一列 ルビー トパーズ エメラルド
第二列 ざくろ石、サファイア、ジャスパー
第三列 オパール めのう 紫水晶
第四列 藍玉 ラピス・ラズリ 碧玉
これらの並べたものを金で縁取りする。これらの宝石はイスラエルの子らの名を表して十二個あり、それぞれの宝石には、十二部族に従ってそれぞれの名が印章に彫るように彫りつけられている。
ヨハネは、この出エジプト記の記述を背景にして、十二使徒の名が刻まれていた土台があらゆる宝石で飾られていたと記すのです。そして、このことは、
小羊の十二使徒こそ、イスラエルの十二部族を引き継ぐものであることを教えているのです。十二使徒の名が刻まれた土台が、十二部族を表す宝石で飾られていることは、十二使徒と十二部族が一体的な関係にあることを教えているのです。
今夕の御言葉に戻ります。新約の478ページです。
18節の後半に、「都は透き通ったガラスのような純金であった」と記されていました。また、21節の後半にも「都の大通りは透き通ったガラスのような純金であった」と記されています。都全体が美しい純金でできているのです。また、先程も申しましたように、この都の形は立方体でありました。純金で覆われている立方体の空間。このように聞いて、皆さんはどこを思い浮かべるでしょうか。それは神さまが御臨在される聖所の中の聖所、至聖所です。列王記上の6章に、ソロモン王が神殿の建築に着手したことが記されています。その19節と20節にこう記されています。旧約の536ページです
神殿の奥に設けられた内陣は、主の契約の箱を安置するためのものであった。この内陣は奥行きが二十アンマ、間口が二十アンマ、高さが二十アンマであり、彼はこれと、その前のレバノン杉を純金で覆った。
ヨハネが見た新しいエルサレムの形は、立方体であり、美しい純金でできていました。そのことは、都全体が至聖所であることを教えているのです。ですから、新しいエルサレムに神殿はないわけです。それは都全体が神さまとイエス・キリストがおられる至聖所であるからなのです。