小羊の婚宴に招かれている幸い 2019年3月10日(日曜 夕方の礼拝)
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小羊の婚宴に招かれている幸い
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- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
ヨハネの黙示録 19章6節~10節
聖書の言葉
19:6 わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ、/全能者であり、/わたしたちの神である主が王となられた。
19:7 わたしたちは喜び、大いに喜び、/神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、/花嫁は用意を整えた。
19:8 花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、/聖なる者たちの正しい行いである。」
19:9 それから天使はわたしに、「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。
19:10 わたしは天使を拝もうとしてその足もとにひれ伏した。すると、天使はわたしにこう言った。「やめよ。わたしは、あなたやイエスの証しを守っているあなたの兄弟たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。イエスの証しは預言の霊なのだ。」ヨハネの黙示録 19章6節~10節
メッセージ
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序
ヨハネの黙示録17章、18章には、大淫婦であり、大バビロンであるローマ帝国の滅亡が預言されていました。その預言を受けて、19章では、天上の礼拝が描かれています。大淫婦であり、大バビロンであるローマ帝国の滅亡は、神様の真実で正しい裁きによるものであり、神様の勝利であるのです。そのことは、天上の御使いたちにとっても、また、地上の私たちにとっても、「ハレルヤ、主をほめたたえよ」と言うべき出来事であるのです。今夕の御言葉は、その続きであります。
1 小羊の婚礼の日
6節から8節までをお読みします。
わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた。わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いである。」
ヨハネは、大群衆のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものを聞きました。これは、いずれも、天上からの声を表しています(19:1、14:2参照)。19章1節から3節で、神様をほめたたえた天使たちが、再び、神様をほめたたえているのです。彼らは、「ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた」と言いました。ハレルヤとは、「主をほめたたえよ」という意味です。神様が大淫婦を永遠に裁かれたことは、主をほめたたえよと叫ぶべき出来事であるのです。そして、それは、「全能者であり、私たちの神である主が王となられた」と宣言することができる出来事であるのです。大淫婦の背後には、神の敵である悪魔がいます(12章、13章参照)。ですから、大淫婦の永遠の滅びは、悪魔の永遠の滅びでもあるのです。悪魔が永遠に滅ぼされることによって、神様の王的な御支配が完全に行われることになるのです。それゆえ、天使たちは、「わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう」と言うのです。ここでの「わたしたち」は、天上の御使いたちだけではないと思います。といいますのも、5節で、地上の神の僕たちも、「わたしたちの神をたたえよ」と呼びかけられているからです。大淫婦を永遠に滅ぼし、王となられた主は、神の僕である私たちの主でもあるのです。ですから、私たちは大いに喜び、神の栄光をたたえることができるのですね。ここに、私たちが地上で神様を礼拝している究極的な根拠があるのです。
全能者であり、私たちの神である主が王となられる日は、小羊の婚礼の日でもあります(マタイ22:2、25:1参照)。「小羊の婚礼の日」とあるように、ここでの花婿は、小羊であるイエス・キリストです(マタイ9:15、二コリント11:2参照)。そして、用意を整えた花嫁とは、キリストの教会、キリストの血潮によって贖われた私たちであるのです(エフェソ5:25参照)。この花嫁は大淫婦とは対照的に記されています。大淫婦は紫と赤の衣を着ていましたが、花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられました(黙17:4参照)。純白のウェディングドレスを着せられたのです。そして、この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いであるのです。大淫婦が罪を天にまで積み重ねていたのに対して、花嫁は聖なる者たちの正しい行いを着せられるのです。ここでの「正しい行い」とは、14章12節に記されていた「神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける」ことです。迫害を受けても、神の掟を守り、イエス様に対する信仰を守り続ける。このことは、私たちがなすべき正しいことですが、神様が私たちの内になしてくださることでもあります。8節に、「花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた」とあるように、花嫁は輝く清い衣を神様によって、着せていただいたのです(新改訳「着ることを許された」参照)。使徒パウロが、「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです」と記しているように、私たちに律法を守らせ、イエス・キリストへの信仰を守らせてくださるのは、私たちの内に働いてくださる神様であるのです(フィリピ2:13参照)。
2 小羊の婚宴に招かれている幸い
9節をお読みします。
それから天使はわたしに、「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。
「小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いである」。これが、迫害の中に苦しむ信仰者たちに、神様が伝えたい第一のことです。ヨハネは、大淫婦の滅亡の預言を記しましたが、現実は、大淫婦であるローマが、女王であるかのように繁栄を謳歌していました。ローマ皇帝ドミティアヌスは、すべての国民に、自分の像を神として拝むことを強制していたのです。そして、皇帝の像を拝まないキリスト者たちは、社会的にのけ者にされ、捕らえられ、処刑されるということが起こっていたのです。そのような迫害の中にあるキリスト者たちに、天使は、神の真実な言葉として、「あなたがたは幸いだ。なぜなら、あなたがたは小羊の婚宴に招かれているからだ」と告げるのです。先程、わたしは、「キリストの花嫁とは、キリストの教会である私たちだ」と申しましたが、ここで、私たちは小羊の婚礼の客として描かれています。ここで大切なことは、小羊の婚宴に出席することができるのは、招かれている者だけだということです。小羊であるイエス・キリストから招かれなければ、誰一人として、小羊の婚宴に出席することはできないのです。その小羊の婚宴に、私たちは招かれているわけです。そして、そのことは、本当に幸いなことであるのです。神の真実な言葉として、幸いなことであるのです。そのような確かな幸いを私たちは与えられているのです。その前味として、私たちは礼拝の中で、主の晩餐にあずかっているのです。
3 神を礼拝せよ
10節をお読みします。
わたしは天使を拝もうとしてその足もとにひれ伏した。すると、天使はわたしにこう言った。「やめよ。わたしは、あなたやイエスの証しを守っているあなたの兄弟たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。イエスの証しは預言の霊なのだ。」
ヨハネも、イエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島におりましたから、天使の言葉を聞いて、感動したのでしょう。ヨハネは天使を拝もうとしてその足もとにひれ伏しました。すると、天使は、ヨハネにこう言ったのです。「やめよ、わたしは、あなたやイエスの証しを守っているあなたの兄弟たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ」。ここでは、天使を礼拝することが、天使によって禁じられています。ヨハネの黙示録は、小アジアの七つの教会に書き送られた書物でありますが、小アジアの教会には、天使礼拝にふける者たちがおりました(コロサイ2:18参照)。しかし、ここでは、天使自らが、天使を拝むことを禁じているのです。なぜ、天使は、ヨハネが自分を拝むことを禁じたのでしょうか。それは、天使がヨハネやイエスの証しを守っている兄弟たちと共に、仕える者であるからです。このことは、天上の礼拝のことを考えればすぐに分かります。天上において、天使たちは、神様を礼拝しておりました。そのように天使たちは神様に仕える者であるのです。たとえ、神の言葉を伝える者であるとしても、彼らは神様ではなく、神様に仕える者であるのです。この神様に仕えるという点において、天使も、イエスの証しを守っている私たちも同じであるというのです。私たちが礼拝すべきは、神様だけであるのです。
最後に、「イエスの証しは預言の霊なのだ」とあります。これには幾つかの解釈があるのですが、わたしは、前の文の「イエスの証しを守っているあなたの兄弟たち」という言葉との関係で解釈するのがよいと思います。つまり、天使は、イエスの証しを守っているあなたがたにも預言の霊が与えられているのだと言っているのです。天使は、「神の真実な言葉を、あなたたちも告げることができる者とされているのだ」と言うのです。神の真実な言葉を語るという点においても、私たちは天使たちと共に神様に仕える者であるのです。