荒れ野で叫ぶ声 2019年9月01日(日曜 朝の礼拝)

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荒れ野で叫ぶ声

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
マルコによる福音書 1章1節~8節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:1 神の子イエス・キリストの福音の初め。
1:2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。
1:3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、
1:4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
1:5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
1:6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
1:7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
1:8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」マルコによる福音書 1章1節~8節

原稿のアイコンメッセージ

序 

 週報の「報告」にありますように、9月から主の日の礼拝では、第一主日、第二主日、第五主日は『マルコによる福音書』から、第三主日は『ヤコブの手紙』から、第四主日は『詩編』から説教したいと考えています。

 今朝は、マルコによる福音書の1章1節から8節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

1 マルコによる福音書について

 新約聖書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書があります。マルコによる福音書は、その四つの福音書の中で、最初に記された福音書であると考えられています。マルコによる福音書が70年頃に記されて、そのマルコによる福音書を一つの資料として、80年頃にマタイによる福音書とルカによる福音書が記されたと考えられています。そして、90年頃にヨハネによる福音書が記されたと考えられているのです。

 マルコによる福音書についての最も古い記述(パピアスの書簡)によれば、マルコは使徒ペトロの通訳であり、ペトロの証言をもとにこの福音書を書き記しました(エウセビオス『教会史』3:39:15)。それゆえ、マルコによる福音書は昔から権威ある書物として受け入れられてきたのです。

 新約聖書に記されている、マルコについての記述をいくつか開いて読んでみたいと思います。

 ペトロの手紙一の5章13節をお読みします。新約の435ページです。

 共に選ばれてバビロンにいる人々と、わたしの子マルコが、よろしくと言っています。

 ここでの「バビロン」はローマのことを指しています。ペトロは第一の手紙をローマで書き記しましたが、マルコも一緒にいたのです。しかもマルコは、ペトロから「わたしの子」と呼ばれる愛弟子(まなでし)であったのです。

 マルコのことは使徒言行録にも記されています。使徒言行録の12章に、ヘロデ王によって使徒ヤコブが殺害され、ペトロが捕らえられたことが記されています。そのペトロのために教会では熱心な祈りがささげられていました。その集会所として用いられていた家が、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家であったのです(使徒12:12参照)。ですから、マルコは初代教会の一員であったのです。また、使徒言行録の13章を見ますと、マルコは、パウロとバルナバの第一次宣教旅行に助手として同伴しています(使徒13:5参照)。しかし、マルコはパンフィリア州のペルゲで、エルサレムに帰ってしまいました(使徒13:13参照)。このことが後に、パウロとバルナバとの間に激しい衝突を引き起こします。第二次宣教旅行に出発する際、バルナバはマルコを連れて行きたいと思いましたが、パウロは、前に途中で帰ってしまったマルコを連れて行くべきではないと考えました。それで、パウロとバルナバは別々に宣教旅行に出発したのです(使徒13:36~40参照)。では、パウロとマルコは仲たがいしたままであったのかと言えば、そうではありません。コロサイの信徒への手紙4章10節と11節にこう記されています。新約の373ページです。

 わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼を受けた者では、この三人だけが神の国のために共に働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です。

 パウロがコロサイの信徒への手紙を獄中から記したとき、マルコは一緒にいました。マルコはパウロと共に神の国のために働く者であり、パウロにとって慰めとなった人物であったのです。

 このように、マルコは初代教会の一員であり、バルナバとパウロ、またペトロとも親しい交わりを持つ人物であったのです。

 マルコによる福音書がどこで記されたのかは分かりません。マルコによる福音書にはラテン語的表現が多く記されていることから、ローマ帝国のどこかであると考えられています。伝承によれば、マルコはローマでこの福音書を執筆したと言われています。

 マルコによる福音書についてのお話はこれぐらいにして、今朝の御言葉を読み進めていきたいと思います。新約の61ページです。

2 神の子イエス・キリストの福音のはじめ

 1節に、「神の子イエス・キリストの福音の初め」とあります。この1節の御言葉は、この福音書の表題、タイトルと言えます。マルコは、「神の子イエス・キリストの福音の初め」について、これから書き記すのです。「福音」とは「良き知らせ」のことであります。当時は、「戦争の勝利の知らせ」や「王子の誕生の知らせ」を、福音、良き知らせと呼びました。しかし、マルコがこれから記すのは、神の子イエス・キリストの良き知らせであるのです。「神の子イエス・キリスト」。ここに、当時の教会の信仰が言い表されています。「イエス」とは、「主は救い」という意味の人の名前です。「キリスト」とは「油を注がれた者」という意味で、王や救い主を表す称号です。イエスという男が救い主であり、神の子である。そのような初代教会の信仰が言い表されているのです。「神の子イエス・キリストの福音」とは、どのような良き知らせなのでしょうか。それは、イエスを救い主であり、神の子であると信じるならば、救われるという良き知らせであります。使徒パウロは、そのような神の子イエス・キリストの福音を、すべての人に宣べ伝えたのです。そして、至るところに、キリストの教会が生まれたのです。しかし、そもそも、イエスさまとはどのような御方であるのでしょうか。イエスさまは、どのような生涯を歩まれ、どのようなことを教えられたのでしょうか。イエスさまと一緒に歩んだ使徒たちは、そのことをよく知っていました。しかし、時が流れるにつれて、そのことを書物として書き記す必要が生じたのです。それで、マルコは、使徒ペトロから聞いていた話をもとにして、神の子イエス・キリストの福音について書き記したのです。「神の子イエス・キリストの福音」を初めから物語りとして書き記したのです。

3 荒れ野で叫ぶ者の声

 マルコは、神の子イエス・キリストの福音の初めを洗礼者ヨハネの活動から書き始めます。洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。このことをマルコは、預言者イザヤの書にある御言葉の成就であると記しています。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」。この御言葉は、マラキ書の3章1節とイザヤ書の40章3節からなる複合引用であります。2節がマラキ書からの引用で、3節がイザヤ書からの引用であるのです。ここでは、イザヤ書の御言葉を確認したいと思います。旧約の1123ページです。引用されているのは40章3節ですが、ここでは40章1節から5節までをお読みします。

 慰めよ、わたしの民を慰めよと/あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ/彼女に呼びかけよ/苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを/主の御手から受けた、と。呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。

 小見出しに「帰還の約束」とありますように、ここには、イスラエルの民がバビロン捕囚から解放されて、シオンに帰還することが預言されています。そのイスラエルの民の先頭を歩まれるのが、イスラエルの神、主であるのです。3節は、主が通られる前に、その道を整える伝令の言葉です。この3節の御言葉をマルコは引用して、洗礼者ヨハネとその後から来られる主イエスさまに当てはめているわけです。マルコは、このイザヤ書の預言を引用することによって、洗礼者ヨハネとその後から来られる主イエスさまの出現が、聖書の約束の実現であることを教えているのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の61ページです。

 3節に、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」とありますが、このことは、具体的には、「悔い改める」ことを指しています。悔い改めるとは、「後悔する」ということではありません。心の向きを変えて、神さまに立ち帰ることです。自己中心の生活から神中心の生活へ立ち帰ること、それが悔い改めであるのです。洗礼者ヨハネは、約束の救い主の到来に先立って、神さまに立ち帰ることを求めたのです。そして、そのしるしとして、ヨルダン川で洗礼を授けたのです。洗礼とは水に浸すことです。洗礼者ヨハネは、人々をヨルダン川に沈めるという仕方で、悔い改めの洗礼を授けたのです。

 5節に、「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」とあります。ここで注意したいことは、「ヨハネが神の民であるユダヤ人に洗礼を授けた」ということです。当時は、ユダヤ教に改宗する異邦人に洗礼が授けられました。しかし、ヨハネは、神の民であるユダヤ人に対して、神に立ち帰ることを求め、そのしるしとしての洗礼を授けたのです。そして、多くのユダヤ人がヨハネから洗礼を受けたのです。このことは、ヨハネが預言者エリヤと同じ服装をしていたことと関係があったかも知れません。ヨハネはらくだの毛衣を着て、腰に革の帯を締めていました。この服装は、預言者エリヤとそっくりであったのです(列王下1:8参照)。いずれにしても、多くの人々が、ヨハネは預言者であると考えたのです(マルコ11:32参照)。

 ヨハネは、「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない」と語りました。「わたしよりも優れた方」とは「わたしよりも力のある方」という意味です。当時、履物のひもを解くことは奴隷の仕事でした。しかし、ヨハネは、その奴隷の仕事をするにも価しないほど、後から来られる方は「力ある方だ」と言うのです。後から来られる方がヨハネよりもどれほど力あるお方なのか。そのことは授ける洗礼によって表されます。ヨハネは、水で洗礼を授けました。しかし、ヨハネの後から来られる方は、聖霊で洗礼をお授けになるのです。旧約聖書を読むと、終わりの日に、神さまが御自分の霊である聖霊を与えられることが預言されています(イザヤ44:3、エゼキエル36:25~27、ヨエル3:1参照)。神さまは聖霊を与えることによって、イスラエルの罪を赦し、イスラエルを掟に従って歩ませ、イスラエルを御自分との親しい交わりに生きる者とすることを預言されたのです。例えば、エゼキエル書の36章には次のように記されています。旧約の1356ページ。エゼキエル書の36章25節から28節までをお読みします。

 わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れと偶像から清める。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。

 ヨハネは、このエゼキエルの預言を実現する方が、自分の後から来られると宣べ伝えたのです。つまり、ヨハネは、約束の救い主こそ、聖霊を与える神の子であると宣べ伝えたのです(これはヨハネの新しい教え!イエスさまは、聖霊によって洗礼を授ける人であるゆえに、神の子と言える。ヨハネ1:33、34「わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」参照)。私たちは、この方こそ、イエス・キリストであると知っております。イエス・キリストの名によって聖霊の洗礼を受けた者として知っているのです。では、今朝のヨハネの言葉は、私たちに関係がないのでしょうか。そうではありません。なぜなら、私たちは日々、イエス・キリストを心の王座に迎えねばならないからです。私たちは日々、イエス・キリストを心の王座に迎えるために、罪を告白し、悔い改めねばならないのです(第二の誓約「あなたは、自分が神の御前に罪人であり、神の怒りに値し、神の憐れみによらなければ望みのないことを、認めますか」参照)。私たちは、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」という洗礼者ヨハネの声に、日々、耳を傾けるべきであるのです(主の日の礼拝ごとに罪を告白していることの意味!)。そのようにして、私たちは再び来られる栄光の主イエス・キリストを迎える備えをしたいと願います。

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