これが私の愛する人 2026年5月13日(水曜 聖書と祈りの会)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

これが私の愛する人

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
雅歌 5章9節~16節

聖句のアイコン聖書の言葉

5:9 女たちの中で誰よりも美しい人よ/あなたの愛する人はほかの人より/どこがまさっているのですか。/私たちにそれほどまでに誓わせるとは/あなたの愛する人はほかの人より/どこがまさっているのですか。
5:10 私の愛する人は輝いて、赤銅色。/万人に抜きん出ている。
5:11 その頭は金、純金。/髪は波打ち、烏のように黒い。
5:12 その目は谷川のほとりにいる鳩のよう。/ミルクで洗われ、豊かな水辺に止まっている。
5:13 その頬は香料の花壇のようで、香料を蓄えた塔。/その唇は百合、没薬の滴を滴らす。
5:14 その手はかんらん石をはめた金の円筒。/その胸はラピスラズリが散りばめられた象牙の板。
5:15 その脚は純金の台座に据えられた大理石の柱。/その姿はレバノン山のようで/杉の木のように秀でている。
5:16 その口は甘美で、何もかもが慕わしい。/エルサレムの娘たちよ/これが私の愛する人、これが私の友人。雅歌 5章9節~16節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『雅歌』の第5章9節から16節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。今朝の御言葉は前回(4月22日)の続きとなります。おとめは若者を探しましたが見つかりません。それで、エルサレムの娘たちにこう頼むのです。8節。「エルサレムの娘たちよ/私に誓ってください。私の愛する人を見つけたら/私が愛に病んでいる、と伝えると」。このおとめの言葉を受けて、エルサレムの娘たちは、こう言います。

 9節をお読みします。

 女たちの中で誰よりも美しい人よ/あなたの愛する人はほかの人より/どこがまさっているのですか。私たちにそれほどまでに誓わせるとは/あなたの愛する人はほかの人より/どこがまさっているのですか。

 このおとめたちの言葉は、おとめに対する冷やかしの言葉とも読むことができます。「私が愛に病んでいると伝えてほしい」と願うおとめに対して、おとめたちは「あなたの愛する人はほかの人よりどこがまさっているのか」とからかうのです。このおとめたちの言葉を私たちに引き寄せると、「あなたの愛するイエスはほかの人よりもどこがまさっているのですか」となります。私たちは、「イエスはキリスト(王)であり、主である」と告白しています。そのように私たちに、「イエスという人はほかの人よりどこがまさっているのか」と問われているのです。

 10節から16節までをお読みします。

 私の愛する人は輝いて、赤銅色。万人に抜きんでている。その頭は金、純金。髪は波打ち、烏のように黒い。その目は谷川のほとりにいる鳩のよう。ミルクで洗われ、豊かな水辺に止まっている。その頬は香料の花壇のようで、香料を蓄えた塔。その唇は百合、没薬の滴を滴らす。その手はかんらん石をはめた金の円筒。その胸はラピスラズリが散りばめられた象牙の板。その脚は純金の台座に据えられた大理石の柱。その姿はレバノン山のようで/杉の木のように秀でている。その口は甘美で、何もかもが慕わしい。エルサレムの娘たちよ/これが私の愛する人、これが私の友人。

 ここには、若者の美しさをほめたたえるおとめの言葉が記されています。第4章1節から7節に、花嫁の美しさをほめたたえる花婿の言葉が記されていましたが、ここでは若者の美しさをほめたたえるおとめの言葉が記されています。おとめは、「私の愛する人は輝いて、赤銅色。万人に抜きん出ている」と言います。「赤銅色」とは「血色が良い」ということです(サムエル上16:12参照)。11節に、「その頭は金、純金。髪は波打ち、烏のように黒い」とあります。髪は烏のように黒いのに、「その頭は金、純金」と言います。その背景には、若者の姿が神々の像をモチーフにして記されていることがあるようです。『ダニエル書』の第2章に、バビロンの王ネブカドネツァルが見た夢のお話しが記されています。そこには、王が夢で見た巨大な像の頭は純金であったと記されています(ダニエル2:32参照)。おとめにとって、若者は純金のように輝いている存在であるのです。おとめは若者の目を鳩にたとえます。鳩は、純真と清らかさの象徴です。若者もおとめの目を鳩にたとえましたが、おとめも若者の目を鳩にたとえるのです(4:1参照)。「ミルクで洗われ、豊かな水辺に止まっている」とありますが、ある研究者は、「その歯は」という言葉を補って、ここでは若者の歯のことが言われていると推測しています。また、おとめは若者の髭を蓄えた頬を、「香料の花壇」にたとえます(レビ19:27参照)。おとめは嗅覚、匂いに訴えて、若者の素晴らしさを表すのです。「その唇は百合、没薬の滴を滴らす」は、若者との甘い口づけのことを言っているようです。「その手はかんらん石をはめた金の円筒」とありますから、ここでは腕のことが言われているようです。また、「その胸はラピスラズリを散りばめた象牙の板」とありますが、若者の逞しい胸板が宝石と象牙の板によって表されています。また、「その脚は純金の台座に据えられた大理石の柱」とあるように、おとめは若者を建物になぞらえるのです。若者はおとめを小鹿やガゼルといった動物にたとえましたが、おとめは若者を宝石や大理石の柱にたとえるのです。そのようにして、若者のすばらしさをほめたたえるのです。おとめは「その姿はレバノン山のようで、杉の木のように秀でている」と言います。若者はレバノン山のように堂々としており、杉の木のように美しいのです。「その口は甘美で、何もかもが慕わしい」とあります。ここでは口づけのことではなく、若者が語る言葉が優雅であることが言われているようです。何もかもが慕わしいとあるように、おとめは若者に夢中であるのです。ここに記されていることは、おとめたちのからかいの言葉を受けての、おとめののろけ話とも言えます(「のろける」とは「自分の恋人や配偶者のことを、得意になった話して聞かせる」の意味)。おとめは、「エルサレムの娘たちよ、これが私の愛する人、これが私の友人」と言って、自分の愛する人がほかの人よりもまさっていることを述べるのです。

 私たちは、花婿であるイエス様の姿を見たことがありません。しかし、使徒ヨハネは、栄光のイエス様の姿を見て、私たちに伝えてくれています。新約の440ページです。『ヨハネの黙示録』の第1章12節から16節までを読みます。

 私は、語りかける声の主を見ようと振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、燭台の間には人の子のような方がおり、足元まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めていた。その方の頭髪は白い羊毛に似て雪のように白く、目は燃え上がる炎、足は燃えている炉から注ぎ出される青銅のようであり、声は大水のとどろきのようであった。また、右手には七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が突き出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

 私たちの花婿であるイエス様は、大祭司であり、王であり、神と等しい御方であるのです(ダニエル7:9「わたしが見ていると、やがて、王座が据えられ/日の老いたる者が座した。その衣は雪のように白く/頭髪は羊毛のように清らかである。その王座は燃える炎/車輪は燃える火」参照)。また、教会の運命を握っておられ、その御言葉によって悪魔に勝利される、照り輝く太陽のような御方であるのです。このような栄光の主イエス・キリストこそ、私たちの愛する人であり、私たちの友であるのです(ヨハネ15:15参照)。

関連する説教を探す関連する説教を探す