あなたの慈しみのゆえに 2026年3月08日(日曜 夕方の礼拝)
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あなたの慈しみのゆえに
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- 村田寿和 牧師
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詩編 44編1節~27節
聖書の言葉
44:1 指揮者によって。コラの子の詩。マスキール。
44:2 神よ、この耳で私たちは聞きました/先祖が私たちに語り伝えたことを/先祖の時代、いにしえの日々に/あなたのされた業について。
44:3 あなたはその手をもって国々を追い払い/先祖を植えられました。/諸国の民を災いに落とし、先祖を広がらせました。
44:4 彼らは自分の剣によって土地を得たのでも/自分の腕で勝利を得たのでもありません。/あなたの右の手、あなたの腕/あなたの顔の光によるものでした。/あなたが彼らを望まれたのです。
44:5 神よ、あなたこそわが王。/ヤコブに、勝利するよう命じてください。
44:6 私たちはあなたによって敵を攻め/あなたの名によって/立ち向かう者を踏みにじります。
44:7 私が頼みとするのは自分の弓ではありません。/私の剣が勝利をもたらすこともありません。
44:8 あなたが私たちを苦しめる者から救い/私たちを憎む者を恥に落とします。
44:9 私たちは日夜、神を誇り/あなたの名にとこしえの感謝を献げます。〔セラ
44:10 しかし、あなたは私たちを拒み、辱め/私たちの軍勢と共に出陣されませんでした。
44:11 あなたが私たちを苦しめる者の前から退かせたので/私たちを憎む者は略奪をほしいままにしたのです。
44:12 あなたは私たちを餌食の羊とし/国々の中に散らしました。
44:13 ご自分の民を利益もないままに売り渡し/その値を高めませんでした。
44:14 あなたは私たちを隣人のそしりとし/周囲の民の物笑い、嘲りの的としました。
44:15 私たちを国々の嘲りの歌とし/諸国の民が頭を振って侮るに任せました。
44:16 辱めは日夜、私の前にあり/私の顔は恥に覆われています。
44:17 嘲る声、罵る声がします/報復しようとする敵の前に。
44:18 これらのことがことごとく降りかかりましたが/それでも、私たちはあなたを忘れず/契約に背かず
44:19 私たちの心はたじろぐこともなく/歩みはあなたの道を/踏み外すこともありませんでした。
44:20 しかしそれでもあなたは/ジャッカルの住みかで私たちを打ち砕き/死の陰で覆ってしまいました。
44:21 もし私たちが我らの神の名を忘れ/他の神に向かって両手を広げることがあるならば
44:22 神はそれを探り出さないでしょうか。/心に隠していることを神は知っておられます。
44:23 私たちはあなたのゆえに、日夜、死にさらされ/屠られる羊と見なされています。
44:24 我らの主よ、目覚めてください。/なぜ、眠っておられるのですか。/私たちを永遠に捨て置かず/起き上がってください。
44:25 なぜ、御顔を隠されるのですか。/私たちの苦しみと受けている虐げをお忘れですか。
44:26 私たちの魂は塵に伏し/腹は地に着いています。
44:27 立ち上がり、私たちを助けてください。/あなたの慈しみのゆえに私たちを贖ってください。
詩編 44編1節~27節
メッセージ
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今夕は、『詩編』の第44編より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。第44編は、レビ人で聖歌隊の「コラの子」の教訓の詩です(歴代下20:19、マスキールは教訓の意味)。第44編は、共同体の嘆きの詩編であると言えます。そのことを念頭において読み進めていきます。
2節から9節までをお読みします。
神よ、この耳で私たちは聞きました/先祖が私たちに語り伝えたことを/先祖の時代、いにしえの日々に/あなたのされた業について。あなたはその手をもって国々を追い払い/先祖を植えられました。諸国の民を災いに落とし、先祖を広がらせました。彼らは自分の剣によって土地を得たのでも/自分の腕で勝利を得たのでもありません。あなたの右の手、あなたの腕/あなたの顔の光によるものでした。あなたが彼らを望まれたのです。神よ、あなたこそわが王。ヤコブに勝利するよう命じてください。私たちはあなたによって敵を攻め/あなたの名によって/立ち向かう者を踏みにじります。私が頼みとするのは自分の弓ではありません。私の剣が勝利をもたらすこともありません。あなたが私たちを苦しめる者から救い/私たちを憎む者を恥に落とします。私たちは日夜、神を誇り/あなたの名にとこしえの感謝を献げます。
詩人は、先祖が自分たちに語り伝え、自分たちが耳で聞いたことを語ります。すなわち、神がイスラエルの民を、カナンの地に導き入れてくださり、諸国民を追い払って、定住させてくださったことを語ります。ここで詩人が語っていることは、とても信仰的な言葉です。イスラエルの民は自分の力によって土地を得たのではなく、主の御力によって土地を得ました。主は、先祖アブラハムに、あなたの子孫にカナンの土地を与えると約束してくださいました(創世15:17〜21参照)。その約束の実現として、主はイスラエルの民に勝利を与え、土地を得させてくださったのです。イスラエルの民がカナンの土地を得ることは、主の望まれたこと、主の御意志であったのです。5節に、「神よ、あなたこそわが王」と記されています。イスラエルの神、ヤハウェは、イスラエルの王として、御自分の民に土地を与えてくださいました。そして、イスラエルの王として、諸国の民と戦い、イスラエルに勝利をもたらしたのです。そのことを思い起こして、イスラエルの民は日夜、神を誇りとし、御名にとこしえの感謝をささげていたのです。
10節から17節までをお読みします。
しかし、あなたは私たちを拒み、辱め/私たちの軍勢と共に出陣されませんでした。あなたが私たちを苦しめる者の前から退かせたので/私たちを憎む者は略奪をほしいままにしたのです。あなたは私たちを餌食の羊とし/国々の中に散らされました。御自分の民を利益もないままに売り渡し/その値を高めませんでした。あなたは私たちを隣人のそしりとし/周囲の民の物笑い、嘲りの的としました。私たちを国々の嘲りの歌とし/諸国の民が頭を振って侮るに任せました。辱めは日夜、私の前にあり/私の顔は恥に覆われています。嘲る声、罵る声がします/報復しようとする敵の前に。
ここには、現在の苦境が記されています。主によって先祖たちは勝利したと歌った詩人は、主によって自分たちは敗北したと歌います。イスラエルの民は、主によって諸国の民に敗北し、略奪され、捕囚の憂き目にあったのです。13節に、「御自分の民を利益もないままに売り渡し/その値を高めませんでした」と記されています。かつて主なる神は、シナイ山において、イスラエルの人々にこう言いました。「今もし私の声に聞き従い、私の契約を守るならば、あなたがたはあらゆる民にまさって私の宝の民となる」(出エジプト19:5)。しかし、今や神は、御自分の民であるイスラエルを価値の無い者と見なし、タダ同然で売り渡されたのです。これにより、イスラエルの民は、周囲の民(モアブ人やアンモン人やエドム人)の嘲りの的となりました。イスラエルの民は、「あなたの神はどこにいるのか」と嘲けられる者となったのです(詩42:4)。このような苦境の原因は、どこにあるのでしょうか?私たちは「イスラエルの民が神との契約を守らなかったからに違いない」と考えると思います。ちょうど、ヨブの友人たちが、ヨブの苦しみの原因を、ヨブの罪にあると考えたように。しかし、詩人は、自分たちは、神の契約に背かず、主の道を踏み外すことはなかったと言うのです。
18節から23節までをお読みします。
これらのことがことごとく降りかかりましたが/それでも、私たちはあなたを忘れず/契約に背かず/私たちの心はたじろぐこともなく/歩みはあなたの道を/踏み外すこともありませんでした。しかしそれでもあなたは/ジャッカルの住みかで私たちを打ち砕き/死の陰で覆ってしまいました。もし私たちが我らの神の名を忘れ/他の神に向かって両手を広げることがあるならば/神はそれを探り出さないでしょうか。心に隠していることを神は知っておられます。私たちはあなたのゆえに、日夜、死にさらされ/屠られる羊と見なされています。
詩人は、自分たちが受けている苦境を認めつつも、「それでも、私たちはあなたを忘れず/契約に背かず/私たちの心はたじろぐこともなく/歩みはあなたの道を/踏み外すこともありませんでした」と言います。自分たちは契約を守り、主の道をしっかりと歩んでいたにもかかわらず、主は自分たちを荒廃した土地で打ち砕き、死の陰で覆ってしまったと言うのです。そして、そのような中にあっても、詩人は、自分たちは神の名を忘れ、他の神々に祈りをささげたことはないと言うのです。詩人は、心に隠していることを知っておられる神の御前に、自分たちの潔白を主張するのです。23節に、「私たちはあなたのゆえに、日夜、死にさらされ/屠られる羊と見なされています」とあるように、イスラエルの民が苦難の中にあるのは、自分たちの罪のゆえではなく、主のゆえであるのです。それゆえ、詩人は、主に助けを祈り求めるのです。
24節から27節までをお読みします。
我らの主よ、目覚めてください。なぜ、眠っておられるのですか。私たちを永遠に捨て置かず/起き上がってください。なぜ、御顔を隠されるのですか。私たちの苦しみと受けている虐げをお忘れですか。私たちの魂は塵に伏し/腹は地に着いています。立ち上がり、私たちを助けてください。あなたの慈しみのゆえに私たちを贖ってください。
詩人は、「我らの主よ、目覚めてください」と祈ります。ご自分の民を苦しみの中に放置している神は眠っているようにしか思えないのです。詩人は、主が御顔を向けて、自分たちの苦しみと受けている虐げに目を留めてくださるようにと祈ります。イスラエルの民は、これ以上ないほど低い状態にあるのです。27節に「立ち上がり、私たちを助けてください。あなたの慈しみのゆえに私たちを贖ってください」と記されています。詩人が拠り所とするのは、主なる神の慈しみ(ヘセド)であるのです。ここで注意したいことは、詩人が自分たちの正しさを拠り所としていないことです。詩人は、18節と19節で、自分たちが主を忘れず、契約に背かず、主の道を踏み外すこともなかったと言いました。その自分たちの正しさを根拠にして、「私たちを贖ってください」とは言わなかったのです。詩人は、「あなたの慈しみのゆえに私たちを贖ってください」と言うのです。詩人は、主が先祖をカナンの地に導き入れてくれた昔も、自分たちが苦難に陥っている今も、主の慈しみは変わらないことを信じているのです(出エジプト34:6参照)。
今夕の御言葉から教えられることは、私たちには「主のゆえ」としか言いようのない不条理な苦しみがあるということです(『ヨブ記』ではそれがベヘモットとレビヤタンによって言い表されている)。そして、私たちが苦しみに陥ったとしても、主の慈しみは変わることがないということです。主は御自身の慈しみを、御子イエス・キリストにおいて示してくださいました(ヨハネ1:14「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである」参照)。私たちは、御子イエス・キリストによって、神様を慈しみ深い父として知りました。それゆえ、私たちは不条理な苦しみの中にあっても、主の慈しみに依り頼んで、助けを求めることができるのです。