主に望みを置く人は地を受け継ぐ 2025年9月14日(日曜 夕方の礼拝)
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主に望みを置く人は地を受け継ぐ
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- 村田寿和 牧師
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詩編 37編1節~40節
聖書の言葉
37:1 ダビデの詩。/悪をなす者に怒りを燃やすな。/不正を働く者を妬むな。
37:2 彼らは草のように瞬く間に枯れ/緑の若草のようにしおれる。
37:3 主に信頼し、善を行え。/地に住み、真実を育め。
37:4 主を喜びとせよ。/主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
37:5 あなたの道を主に任せよ。/主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
37:6 主はあなたの正義を光のように/あなたの公正を真昼のように輝かす。
37:7 主の前に沈黙し、主を待ち望め。/成功の道を行く者/謀を遂げる者に怒りを燃やすな。
37:8 怒りを解き、憤りを捨てよ。/怒りを燃やすな。それはただ悪を行うに至る。
37:9 悪をなす者は絶たれ/主に望みを置く人こそが地を受け継ぐ。
37:10 しばらくすれば、悪しき者はいなくなる。/そのいた所を探しても彼はいない。
37:11 苦しむ人が地を受け継ぐ。/彼らは豊かな平和を楽しむ。
37:12 悪しき者は正しき者に向かって策略を練り/歯ぎしりする。
37:13 わが主はそのような者を笑う。/定めの日が来るのを見通しておられるから。
37:14 悪しき者は剣を抜き、弓を絞った。/苦しむ人と貧しい人を倒し/まっすぐな道を歩む人を屠るために。
37:15 その剣はおのが胸元を刺し/弓は折れる。
37:16 正しき者の持つ僅かなものも/多くの悪しき者の富にまさる。
37:17 悪しき者の腕は折られ/主が正しき者を支えてくださる。
37:18 主は全き人の生涯を知っていてくださり/彼らの相続地はとこしえに続く。
37:19 彼らは災いの時にも恥を受けず/飢饉の日にも満ち足りる。
37:20 悪しき者は滅び/主の敵は、牧場の輝きが消え去るように/煙となって消え去る。
37:21 悪しき者は借りても返さないが/正しき者は恵み、施す。
37:22 主に祝福された人は地を受け継ぎ/主に呪われた者は絶たれる。
37:23 人の歩みは主によって確かなものとされ/その人の道を主は喜ばれる。
37:24 彼は倒れても、打ち捨てられることはない。/主がその手を支えてくださる。
37:25 私は若者であったときも、年老いた今も/正しき者が捨てられ/その子孫がパンを乞うのを見たことがない。
37:26 日ごと憐れみ、貸し与える人/その子孫は祝福にあずかる。
37:27 悪を避け、善を行え。/そうすれば、とこしえに住むことができる。
37:28 主は公正を愛する方。/主に忠実な人々を見捨てることはない。/彼らはとこしえに守られるが/悪しき者の子孫は絶たれる。
37:29 正しき者は地を受け継ぎ/いつまでもその地に住む。
37:30 正しき者の口は知恵を述べ/その舌は公正を語る。
37:31 その心には神の律法があり/その歩みが揺らぐことはない。
37:32 悪しき者は正しき者を待ち伏せし/殺そうとする。
37:33 主は彼を悪しき者の手に委ねることはなく/裁きの時も、罪に問うことはない。
37:34 主に望みを置き/その道を守れ。/主はあなたを高く上げて地を受け継がせてくださる。/あなたは悪しき者が絶たれるのを見るであろう。
37:35 私は見た、悪しき者が残忍で/青々とした野生の木のように生い茂るのを。
37:36 しかし、私が通り過ぎると/見よ、彼はいなかった。/捜し求めても、見つからなかった。
37:37 全き人を守り、まっすぐな人を見よ。/後の繁栄は平和の人にある。
37:38 背きの罪のある者はことごとく滅ぼされ/悪しき者の後の繁栄は絶たれる。
37:39 正しき者の救いは主から来る。/主は苦難の時の砦。
37:40 主は彼らを助け、救い出してくださる。/主は悪しき者から助け出し、救ってくださる。/彼らが主に逃れたから。
詩編 37編1節~40節
メッセージ
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月に一度の夕べの礼拝では、『詩編』を読み進めています。今夕は、第37編より御言葉の恵みにあずかりたいと願います。第37編はアルファベットによる詩、いわゆる「いろは歌」で記されています。また、箴言のような文体で記されている知恵の詩編です。
1節に「ダビデの詩」とあるように、第37編は、ダビデが歌った詩編です。そのことを前提にしてお話しします。
1節後半から11節までを読みます。
悪をなす者に怒りを燃やすな。不正を働く者を妬むな。彼らは草のように瞬く間に枯れ/緑の若草のようにしおれる。主に信頼し、善を行え。地に住み、真実を育め。主を喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主に任せよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主はあなたの正義を光のように/あなたの公正を真昼のように輝かす。主の前に沈黙し、主を待ち望め。成功の道を行く者/謀を遂げる者に怒りを燃やすな。怒りを解き、憤りを捨てよ。怒りを燃やすな。それはただ悪を行うに至る。悪をなす者は絶たれ/主に望みを置く人こそが地を受け継ぐ。しばらくすれば、悪しき者はいなくなる。そのいた所を探しても彼はいない。苦しむ人が地を受け継ぐ。彼は豊かな平和を楽しむ。
神の民であるイスラエルの中にも、「悪をなす者」「不正を働く者」がいました。彼らは社会的には成功し、繁栄していたようです(ヨブ21章参照)。そのような彼らを見て、怒りを燃やし、裁こうとする人がいました。また、彼らを妬んで、羨ましがる人がいました。そのような人々に、ダビデは、「悪をなす者に怒りを燃やすな。不正を働く者を妬むな」「主に信頼し、善を行え」と言います。「主」とは、「私はあなたと共にいる」という約束を含む、ヤハウェと発音されたであろう神様のお名前です。また、新約時代に生きる私たちにとって、「主」とはイエス・キリストのことであります。私たちは、悪をなすものに怒りを燃やすことなく、不正を働く者を妬むことなく、主に信頼し、善を行うべきであるのです。ここに記されている御言葉は、心に刻むべき慰めに満ちた御言葉であります。主はあなたの願いをかなえてくださる御方であり、あなたの道を主に任せるならば、主が成し遂げてくださるのです。私たちが主に祈りつつ、最善を尽くして歩むとき、主はその私たちの願いをかなえてくださるのです(摂理の御業における協働の教理)。
8節でダビデは、再び、悪をなす者に対する怒りを解き、憤りを捨てよと言います。なぜなら、そのような怒りは、私たちに悪を行わせるからです(ヤコブ1:20参照)。悪をなす者に対して怒りを燃やし、裁くことによって、私たちは神様のように振る舞う罪を犯してしまうのです(ローマ12:19参照)。また、ダビデが「怒りを燃やすな」と言うのは、神様がふさわしい時に、必ず裁いてくださるからです。主は悪をなす者を絶ち、主に望みを置く人に地を受け継がせてくださいます。11節の「苦しむ人が地を受け継ぐ」という御言葉の背景には、主がアブラハムに誓った「あなたの子孫にカナンの地を与える」という御言葉があります(創世12:7、15:18参照)。アブラハムの約束の祝福にあずかるのは、主に信頼して、善を行う、苦しむ人であるのです。また、「苦しむ人が地を受け継ぐ」という御言葉は、主イエス・キリストの山上の説教を思い起こさせます。イエス様は、「へりくだった人々は、幸いである/その人たちは地を受け継ぐ」と言われました(マタイ5:5)。その源には、「苦しむ人は地を受け継ぐ」というダビデの言葉があるのです(「苦しむ人」のギリシア語訳と「へりくだった人々」のギリシア語は同じ言葉(プラエイス)である)。主は苦しむ人に地を受け継がせてくださり、彼らに豊かな平和を楽しませてくださいます。これも、主に信頼して、善を行う者への約束の御言葉であります。
12節から20節までを読みます。
悪しき者は正しき者に向かって策略を練り/歯ぎしりする。わが主はそのような者を笑う。定めの日が来るのを見通しておられるから。悪しき者は剣を抜き、弓を絞った。苦しむ人と貧しい人を倒し/まっすぐな道を歩む人を屠るために。その剣はおのが胸元を刺し/弓は折れる。正しき者の持つ僅かなものも/多くの悪しき者の富にまさる。悪しき者の腕は折られ/主が正しき者を支えてくださる。主は全き人の生涯を知っていてくださり/彼らの相続地はとこしえに続く。彼らは災いの時にも恥を受けず/飢饉の日にも満ち足りる。悪しき者は滅び/主の敵は、牧場の輝きが消え去るように/煙となって消え去る。
ここには、悪しき者に対する主の裁きが記されています。悪しき者は、正しき者に向かって策略を練り、歯ぎしりします。ここでの「歯ぎしり」は憎しみを表すジェスチャー(身振り)です。しかし、「わが主はそのような者を笑う」のです。それは、定めの日が来るのを見通しておられるからです。悪しき者は、主がいないかのように、主の正しい裁きがないかのように振る舞います。それで、悪しき者は剣を抜き、主に依り頼む貧しい人の命と財産を奪おうとするのですが、その剣によって、自分の胸を刺し貫くことになるのです。主は、悪しき者の腕を折り、正しき者を支えてくださいます。主はご自分に信頼する全き人の生涯を知っていてくださいます。そして、イスラエルの王として、御自分の民に土地を与え、飢饉の日にも養ってくださるのです。ここでダビデが言い表していることは、主ヤハウェこそ、イスラエルの民を正しく裁き、土地を与え、養ってくださるまことの王であるということです。
21節から31節までを読みます。
悪しき者は借りても返さないが/正しき者は恵み、施す。主に祝福された人は地を受け継ぎ/主に呪われた者は絶たれる。人の歩みは主によって確かなものとされ/その人の道を主は喜ばれる。彼は倒れても、打ち捨てられることはない。主がその手をささえてくださる。私は若者であったときも、年老いた今も/正しき者が捨てられ/その子孫がパンを乞うのを見たことがない。日ごと憐れみ、貸し与える人/その子孫は祝福にあずかる。悪を避け、善を行え。そうすれば、とこしえに住むことができる。主は公正を愛する方。主に忠実な人々を見捨てることはない。彼らはとこしえに守られるが/悪しき者の子孫は絶たれる。正しき者は地を受け継ぎ/いつまでもその地に住む。正しき者の口は知恵を述べ/その舌は公正を語る。その心には神の律法があり/その歩みが揺らぐことはない。
ここには、悪しき者とはどのような者か。また、正しき者とはどのような者かが対比して記されています。悪しき者は借りても返しませんが、正しき者は恵み、施します。正しき者の財産はわずかであっても、日ごとに憐れみ、貸し与えるのです。そのことは世代を超えて覚えられ、子孫にもその祝福が及びます。それゆえ、ダビデは、25節でこう言うのです。「私は若者であったときも、年老いた今も/正しき者が捨てられ/その子孫がパンを乞うのを見たことがない」。小さな共同体に生きる人々にとって、施し、貸し与えることは、自分が困ったときに施しを受け、貸し与えてもらうためでもあったのです(新共同訳コヘレト11:1、2「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。七人と、八人とすら、分かち合っておけ/国にどのような災いが起こるか/分かったものではない」参照)。
ダビデは、27節で、「悪を避け、善を行え。そうすれば、とこしえに住むことができる」と言います。それは、イスラエルの民が住んでいるカナンの地が主の土地であり、主が公正を愛する御方であるからです。主はイスラエルの民が御自分の土地に長く住むことができるように、律法を与えられました。正しき人は、心の板に神の律法を刻み込んでいるゆえに、その歩みが揺らぐことはないのです。
32節から40節までを読みます。
悪しき者は正しき者を待ち伏せし/殺そうとする。主は彼を悪しき者の手に委ねることはなく/裁きの時も、罪に問うことはない。主に望みを置き/その道を守れ。主はあなたを高く上げて地を受け継がせてくださる。あなたは悪しき者が絶たれるのを見るだろう。私は見た、悪しき者が残忍で青々とした野生の木のように生い茂るのを。しかし、私が通り過ぎると、見よ、彼はいなかった。捜しても、見つからなかった。全き人を守り、まっすぐな人を見よ。後の繁栄は平和の人にある。背きの罪のある者はことごとく滅ぼされ/悪しき者の救いは主から来る。主は苦難の時の砦。主は彼らを助け、救い出してくださる。主は悪しき者から助け出し、救ってくださる。彼らが主に逃れたから。
主は正しき者を悪しき者の手から守ってくださいます。そして、裁きの時も、罪に問うことはないのです。ここでの「正しき者」は、主イエス・キリストに信頼して歩む私たちのことであります。主イエス・キリストは、私たちを悪しき者から守ってくださり、御自分の十字架の贖いのゆえに、私たちを罪に問われることはありません。主イエス・キリストは、主に望みを置き、従う私たちを高く上げてくださり、義の宿る新しい天と新しい地を受け継がせてくださいます。今夕の第37編には、何度も「地を受け継ぐ」という言葉が記されています(9、11、22、29、34節)。主イエス・キリストに望みを置く私たちが受け継ぐ地とは、義の宿る新しい天と新しい地であります。そのことを確認して終わりたいと思います。『ペトロの手紙二』の第3章8節から14節までを読みます。新約の428ページです。
愛する人たち、この一事を忘れてはなりません。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは遅いと思っていますが、主は約束を遅らせているのではありません。一人も滅びないで、すべての人が悔い改めるように望み、あなたがたのために忍耐しておられるのです。しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音を立てて消え失せ、自然界の諸要素は焼け崩れ、地とそこで造り出されたものも焼けてしまいます。このように、これらのものがみな、崩れ去るのだとすれば、あなたがたはどれほど聖なる敬虔な生活を送らなければならないことでしょう。神の日の来るのを待ち望み、それが来るのを早めなさい。その日には、天は燃え尽き、自然界の諸要素は火で溶け去ってしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、義の宿る新しい天と新しい地とを待ち望んでいます。それゆえ、愛する人たち、これらのことを待ち望みながら、染みも傷もなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。
13節に、「私たちは神の約束に従って、義の宿る新しい天と新しい地とを待ち望んでいます」とあります。この「神の約束」こそ、「主に望みを置く人こそが地を受け継ぐ」という約束であるのです(詩37:9)。私たちは、「主に望みを置く人こそが地を受け継ぐ」という神の約束に従って、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。それゆえ、私たちは、主イエス・キリストに信頼し、善を行い、平和を追い求めているのです。私たちは、一人も滅びないですべての人が悔い改めるようにと祈りつつ、イエス・キリストの福音を宣べ伝えているのです。