確かなことを語ったヨブ 2025年2月19日(水曜 聖書と祈りの会)
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確かなことを語ったヨブ
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- 村田寿和 牧師
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ヨブ記 42章7節~9節
聖書の言葉
42:7 主はこれらの言葉をヨブに語った後、テマン人エリファズに言われた。「私の怒りがあなたとあなたの二人の友人に向かって燃え上がる。あなたがたは、私の僕ヨブのように確かなことを私に語らなかったからだ。
42:8 今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七匹を用意し、私の僕ヨブのところに行き、自分たちのために焼き尽くすいけにえを献げなさい。そうすれば、私の僕ヨブはあなたがたのために祈るだろう。私は彼の願いを聞き入れる。あなたがたが私の僕ヨブのように確かなことを語らなかったという理由で、私があなたがたに恥辱を与えることはない。」
42:9 テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルは行って、主が彼らに語られたとおりにした。そこで、主はヨブの願いを聞き入れた。ヨブ記 42章7節~9節
メッセージ
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今朝は、『ヨブ記』の第42章7節から9節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
主は、共におられる神として、ヨブと三人の友人の議論に耳を傾けていました。その主が、三人の友人の一人であるエリファズにこう言われます。「私の怒りがあなたとあなたの二人の友人に向かって燃え上がる。あなたがたは、私の僕ヨブのように確かなことを語らなかったからだ。」
私たちもヨブと三人の友人の議論を読み進めてきました。そのとき、私たちは、ヨブが正しい人であり、ヨブの苦しみはヨブの罪によるのではないことを前提にして読み進めてきました。それは、私たちが第1章と第2章に記されていた天上での主とサタンとのやりとりを読んでいたからです。しかし、ヨブと三人の友人は、天上での主とサタンとのやりとりを知りません。ですから、ヨブは、「なぜ正しい自分がこれほどの苦しみを受けるのか」分かりませんでした。それでヨブは神に嘆き訴えて、自分の潔白を主張したのです。また、友人たちは、ヨブが被っている大きな苦しみから、ヨブが大きな罪を犯したに違いないと考えました。友人たちは、応報思想を持ち出して、ヨブを罪に定めて、悔い改めを求めたのです。このヨブと三人の友人の議論は、分かり合うことができず、並行線で終わります。そのようなヨブと三人の友人の議論について、主は「私の僕ヨブは私に確かなことを語った。しかし、あなたがた(エリファズとその二人の友人)は私に確かなことを語らなかった」と言うのです。この主の御言葉か教えていることは、「ヨブの苦しみは三人の友人が主張したような罪の報いとしての苦しみではない」ということです。ヨブの苦しみは応報思想とは関係のない苦しみであったということです。苦しみの中で神の正義を問い、神に訴えるヨブの言葉を、主は確かな言葉として、受け入れてくださいました。しかし、ヨブの苦しみの原因をヨブが犯した罪にあるとし、応報思想によって神を規定する三人の友人は、主に対して確かなことを語らなかったのです。もっとはっきり言えば、ヨブは信仰をもって神に対して語りました。しかし、三人の友人は知恵の伝統に基づいて神について語ったのです。そのことを、主は「ヨブは私に確かなことを語ったが、あなたがたは私に確かなことを語らなかった」と言われたのです。
ここで主がヨブのことを「私の僕ヨブ」と言っていることに注意したと思います(7節から9節で4回)。第1章と第2章でも、主はヨブのことを「私の僕ヨブ」と言っていました(1:8、2:3「あなたは私の僕ヨブに心を留めたか」参照)。このことは、ヨブが理由もなく主を畏れる者であったことを示しています。第1章で、サタンは主に、「ヨブが理由もなしに神を畏れるでしょうか」と言いました。サタンは、「ヨブが主を畏れるのは、主が祝福しているからであって、財産を打てば、たちまち主を呪うに違いない」と言ったのです。しかし、ヨブは、多くの家畜とすべての子供を失っても、神を非難しませんでした。ヨブは、「私は裸で母の胎を出た。また裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の名はほめたたえられますように」と言ったのです。第2章に入ると、サタンは主に、ヨブの骨と肉を打つことを提案します。「あなたの手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってごらんなさい。彼は必ずや面と向かってあなたを呪うに違いありません」と言うのです。主は、命を守ることを条件に、ヨブをサタンの手に委ねます。すると、サタンは、ヨブの全身を悪性の腫れ物で打ちました。しかし、ヨブは、「私たちは神から幸いを受けるのだから、災いをも受けようではないか」と言ったのです。第2章10節には、「このような時でも、ヨブはその唇によって罪を犯さなかった」と記されています。この書き方は意味深長ですね。唇によっては罪を犯さなかったのですが、心の中ではどうであったのかということです。そして、その心の中にあったものが、一週間の沈黙を経て、自分の生まれた日を呪うという言葉によって顕わになるのです。主はヨブがご自分に対して確かなことを語ったと言いましたが、ヨブの言葉がすべて正しいとは言っていません。第38章2節で、主はヨブにこう言われました。「知識もないまま言葉を重ね/主の計画を暗くするこの者は誰か」。また、第40章8節で、主はヨブにこう言われました。「あなたは私の裁きを無効にし/私を悪とし、自分を正しい者とするのか」。ですから、ヨブの言葉がすべて正しいということではありません。しかし、ヨブは主に対して確かなことを語ったのです。ヨブは主を信頼して、自分の苦しみを訴え、主の正義を問いました。それは、主の僕であるヨブにとって正しい態度であったのです。また、誤解のないように申しますが、三人の友人の言葉がすべて間違っていたのでもありません。三人の友人は知恵の伝統に基づく正しい言葉を語っています。しかし、三人の友人は、主に対して確かなことを語らなかったのです。そればかりか、彼らは主の僕であるヨブを罪に定めて、辱めたのです。ですから、ヨブの主人である神は、エリファズとその二人の友人に対して怒りを燃え上がらせているのです。
さらに主は、エリファズにこう言われます。「今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七匹を用意し、私の僕ヨブのところに行き、自分たちのために焼き尽くすいけにえを献げなさい。そうすれば、私の僕ヨブはあなたがたのために祈るだろう。私は彼の願いを聞き入れる。あなたがたが私の僕ヨブのように確かなことを語らなかったという理由で、私があなたがたに恥辱を与えることはない。」
主は、エリファズと二人の友人に、私の僕ヨブのところに行き、自分たちのためにいけにえをささげて、祈ってもらうようにと言います。そうすれば、あなたがたに恥辱を与えることはないと言うのです。ヨブと三人の友人は激しい議論の末、喧嘩別れのようになっていました。しかし主は、三人の友人に、ヨブのところに行き、ヨブにいけにえをささげてもらい、祈ってもらうようにと言うのです。このことは主の恵み深い計らいであります。第16章7節で、ヨブは主にこう言っていました。「今や、私は疲れ果て/あなたは私の仲間との友情をことごとく壊しました」。しかし、主は、三人の友人をヨブのもとに遣わし、ヨブが彼らのためにいけにえをささげ、祈ることによって、ヨブと仲間との友情を回復してくださるのです。
テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルは行って、主が彼らに語られたとおりにしました。そして、主はヨブの願いを聞き入れてくださったのです。このようにして、ヨブ自身が神と友人たちとの間に立つ仲裁者となりました。ヨブは、第9章で、神と自分との間には、「二人の上に手を置く仲裁者がいない」と嘆いていました。けれども、ヨブ自身が、神と三人の友人の間に立つ仲裁者となったのです。そして、主はご自分の僕であるヨブの願いを聞き入れてくださいました。私たちにも、神の御子であり、主の僕であるイエス・キリストが仲保者として与えられています。主イエス・キリストは、ご自分をいけにえとして献げてくださり、その贖いの御業に基づいて執り成してくださいます。それゆえ、父なる神は、主イエス・キリストの御名によってささげる私たちの祈りを聞き入れてくださるのです。