主の2回目の弁論③ 2025年2月05日(水曜 聖書と祈りの会)

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主の2回目の弁論③

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨブ記 40章25節~41章26節

聖句のアイコン聖書の言葉

40:25 あなたはレビヤタンを釣り鉤で/引き上げることができるか。/綱でその舌を押さえつけることができるか。
40:26 その鼻に綱を付け/その顎を鉤で貫くことができるか。
40:27 レビヤタンがあなたに嘆願を繰り返し/あなたに優しい言葉で語るだろうか。
40:28 あなたと契約を結び/あなたがいつまでもこれを奴隷にできるだろうか。
40:29 あなたは鳥のようにレビヤタンと戯れ/あなたの娘たちのために/これをつないでおくことができるだろうか。
40:30 仲買人たちがこれを売り物にし/商人たちの間でこれを分けることが/できるだろうか。
40:31 あなたはヤスでその皮を/魚の銛でその頭を貫き通すことができるか。
40:32 手をその上に置いてみよ。/その戦いを思い起こせば/二度と手を出すことはない。
41:1 見よ、レビヤタンに望みをかけても裏切られる。/それを見ただけで圧倒される。
41:2 レビヤタンを目覚めさせるほど冷酷な者はいない。/まして、私の前に誰が立つことができようか。
41:3 誰であろうと、私に対決する者に私は報いる。/天の下にあるものはすべて私のものだ。
41:4 私はレビヤタンの体について/語らないではいられない。/その偉大な力の物語と見事な調和とに。
41:5 誰がその上着を剥ぎ取り/誰がその上下の歯列の間に入り込めるか。
41:6 誰がその顔の扉を開けられるか。/その歯の周りは恐ろしい。
41:7 背中は盾の列/封印され、固く閉ざされている。
41:8 一つ一つ近接して/風もその間を通れない。
41:9 互いに結び付き/絡みついて離れることはない。
41:10 これがくしゃみをすれば光を発し/その目は夜明けのまばたきのようだ。
41:11 その口からは松明が燃え出て/火の粉が飛び散る。
41:12 その鼻の穴からは/煮えたぎる釜や燃える葦のように/煙が吹き出している。
41:13 その息は炭火をおこし/口からは炎が噴き上がる。
41:14 その首には力が宿り/その前では恐怖が踊る。
41:15 その肉の襞はしっかりとつながり/結び合わされて動かない。
41:16 その心臓は石のように硬く/臼の下石のように硬い。
41:17 それが身を起こせば、神々も恐れ/その破壊の力に慌て惑う。
41:18 剣を抜いても歯が立たず/槍も手槍も投げ槍も役に立たない。
41:19 レビヤタンは鉄をわらと見なし/青銅を腐った木と見なす。
41:20 弓矢もそれを追い払うことはできず/石投げの石はもみ殻に変わる。
41:21 棍棒ももみ殻のように見なされる。/レビヤタンは投げ槍のうなりを嘲笑う。
41:22 その下腹は鋭い土器のかけら。/脱穀板のように泥の上に身を広げる。
41:23 レビヤタンは淵を鍋のように沸き立たせ/海を香油のるつぼのようにする。
41:24 それが通った跡に、道は光り輝き/深淵を白髪と思わせる。
41:25 地の上にはこれに肩を並べるものはない。/レビヤタンは恐れを知らぬ被造物だ。
41:26 これはすべての高ぶるものを見下す/誇り高い獣たちすべての王である。ヨブ記 40章25節~41章26節

原稿のアイコンメッセージ

 前回私たちは、ベヘモットについて学びました。ベヘモットは、河馬(かば)をモチーフ(題材)にした混沌を象徴する怪獣です。今朝の御言葉には、レビヤタンが出てきますが、レビヤタン(わに)は、鰐をモチーフにした混沌を象徴する怪獣です。『創世記』の第1章1節と2節に、「初めに神は天と地を創造された。地は混沌として」とありますが、地の混沌を象徴する怪獣がベヘモットであり、レビヤタンであるのです。

 第40章25節から32節までをお読みします。

 あなたはレビヤタンを釣り鉤で/引き上げることができるか。綱でその舌を押さえつけることができるか。その鼻に綱を付け/その顎を鉤で貫くことができるか。レビヤタンがあなたに嘆願を繰り返し/あなたに優しい言葉を語るだろうか。あなたと契約を結び/あなたがいつまでもこれを奴隷にできるだろうか。あなたは鳥のようにレビヤタンと戯れ/あなたの娘たちのために/これをつないでおくことができるだろうか。仲買人たちがこれを売り物にし/商人たちの間でこれを分けることができるだろうか。あなたは簎でその皮を/魚の銛でその頭を貫き通すことができるか。手をその上に置いてみよ。その戦いを思い起こせば/二度と手を出すことはない。

 主はヨブに、「あなたはレビヤタンを釣り鉤で引き上げることができるか」と言われます。レビヤタンは鰐をモチーフ(題材)にした混沌を象徴する怪獣ですから、鰐のことを考えながら、レビヤタンについての記述を読んだらよいと思います。ここに記されている主の問いの答えはいずれも「できない」ですが、特に注目したいのは、28節です。「あなたと契約を結び/あなたがいつまでもこれを奴隷にできるだろうか」。ヨブは、混沌の象徴であるレビヤタンと契約を結ぶことはできない。つまり、ヨブに代表される人間は、レビヤタンを支配することはできないのです。前回、第40章15節の御言葉、「見よ、私があなたと並べて造ったベヘモットを」という御言葉から、人間は混沌と隣り合わせに造られていること。「一寸先は闇」ということわざはそのことを教えていると申しました。そうであれば、ベヘモットやレビヤタンと契約を結んで、人間の意のままに扱うことはできないだろうかと考えるわけですが、それは不可能であるのです。鰐と契約を結んで、従わせることができないように、いやそれ以上にできないことであるのです。32節に、「手をその上に置いてみよ。その戦いを思い起こせば/二度と手を出すことはない」とありますが、鰐の頭に手を置くことなど、恐ろしくて出来ないことですね。レビヤタンとはそのような恐ろしい怪獣なのです。

 第41章1節から3節までをお読みします。

 見よ、レビヤタンに望みをかけても裏切られる。それを見ただけで圧倒される。レビヤタンを目覚めさせるほど冷酷な者はいない。まして、私の前に誰が立つことができようか。誰であろうと、私に対決する者に私は報いる。天の下にあるものはすべて私のものだ。

 2節に、「レビヤタンを目覚めさせるほど冷酷な者はいない」とありますが、これはヨブに対する皮肉です。と言いますのも、ヨブは第3章で、自分の生まれた日を呪って、こう言っていたからです。旧約の764ページです。第3章3節から10節までをお読みします。

 私の生まれた日は消えうせよ。男の子を身ごもったと告げられた夜も。その日は闇となれ。高みにおられる神が顧みず/光もその日を照らすな。その日は闇と死の陰に贖われ/雲に覆われ/日を暗くするものに脅かされよ。その夜は暗闇に捕らえられ/年の日々を楽しまず/月々の数に加えられるな。その夜は不妊となり/喜びの声も上がるな。日を呪う者/レビヤタンを呼び起こすことのできる者が/これを呪え。夕べの星も暗くなれ。その夜は、待ち望んでも光は射さず/夜明けのまばたきも見えないように、それが私を宿した胎の戸を閉ざさず/私の目から労苦を隠さなかったからだ。

 8節に、「日を呪う者/レビヤタンを呼び起こすことのできる者がこれを呪え」とあります。古代オリエントの神話において、レビヤタンは日蝕や月蝕をもたらすと考えられていました。ヨブはそのレビヤタンを呼び起こして、自分が生まれた日を無かったことにしたいと願ったのです。そのようにして、ヨブは神の創造された世界を混沌に引き戻そうとしたのです。そのようなヨブのことを念頭に置きつつ、主は、「レビヤタンを目覚めさせるほど冷酷な者はない」と言われるのです。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の817ページです。

 「人はレビヤタンを見ただけでも圧倒されてしまうのであれば、そのレビヤタンを造った私の前に誰が立つことができようか」と主は言われます。そして、主は「誰であろうと、私に対決する者に私は報いる。天の下にあるものはすべて私のものだ」と言われるのです(41:3)。このところを新共同訳は次のように翻訳しています。「あえてわたしの前に立つ者があれば、その者には褒美を与えよう。天の下にあるすべてのものはわたしのものだ」。このように、主は御自分を非難し、言い争うことを願ったヨブに言われるのです。自分の小ささを実感して、手に口を置いているヨブに主はこう言われるのです。

 4節から26節までをお読みします。

 私はレビヤタンの体について/語らないではいられない。その偉大な力の物語と見事な調和とに。誰がその上着を剥ぎ取り/誰がその上下の歯列の間に入り込めるか。誰がその顔の扉を開けられるか。その歯の周りは恐ろしい。背中の盾の列/封印され、固く閉ざされている。一つ一つ接近して/風もその間を通れない。互いに結び付き/絡みついて離れることはない。これがくしゃみをすれば光を発し/その目は夜明けのまばたきのようだ。その口からは松明が燃え出て/火の粉が飛び散る。その鼻の穴からは/煮えたぎる釜や燃える葦のように/煙が吹き出している。その息は炭火をおこし/口からは炎が吹き上がる。その首には力が宿り/その前では恐怖が踊る。その肉の襞はしっかりとつながり/結び合わされて動かない。その心臓は石のように硬く/臼の下石のように硬い。それが身を起こせば、神々も恐れ/その破壊力の力に慌て惑う。剣を抜いても歯が立たず/槍も手槍も投げ槍も役に立たない。レビヤタンは鉄をわらと見なし/青銅を腐った木と見なす。弓矢もそれを追い払うことはできず/石投げの石はもみ殻のように見なされる。レビヤタンは投げ槍のうなりを嘲笑う。その下腹は鋭い土器のかけら。脱穀板のように泥の上に身を広げる。レビヤタンは淵を鍋のように沸き立たせ/海を香油のるつぼのようにする。それが通った跡に、道は光り輝き/深淵を白髪と思わせる。地の上にはこれに肩に並べるものはない。レビヤタンは恐れを知らぬ被造物だ。これはすべての高ぶるものを見下す/誇り高い獣たちのすべての王である。

 レビヤタンは鰐をモチーフ(題材)としていますので、このところも鰐のことを考えながら読んだらよいと思います。5節に、「誰がその上着を剥ぎ取り/誰がその上下の歯列の間に入り込めるか」とあります。レビヤタンの上着は盾の列が封印され硬く閉ざされている天然の鎧です。その上着を剥ぎ取ることは誰にもできません。また、レビヤタンの上下の歯列の間に入り込むことができる人など誰もいないのです。レビヤタンは鰐をモチーフとして描かれていますが、海の怪物である竜もモチーフとなっています。13節によれば、レビヤタンの口からは炎が噴き上がるのです。また、17節によれば、レビヤタンは身を起こすことができ、その破壊の力に神々も慌て惑うのです。ここでの「神々」は、レビヤタンが神話的な怪獣であることを示しています。レビヤタンは、鰐だけではなく、竜もモチーフとした神話的な怪獣であるのです。レビヤタンは、神が創造された秩序ある世界に混沌をもたらす破壊の力を持っているのです。そのレビヤタンについて、主は25節と26節でこう言います。「地の上にはこれに肩を並べるものはない。レビヤタンは恐れを知らぬ被造物だ。これはすべて高ぶるものを見下す/誇り高い獣たちすべての王である」。人間はレビヤタンを支配することはできません。しかし、レビヤタンも被造物である以上、神の支配のもとにあるのです。混沌であった地が神によって秩序ある世界に整えられていく創造の御業は、レビヤタンが主の支配の下にあることを教えているのです。

 ヨブと三人の友人たちの議論を思い起こしていただきたいのですが、そこで、友人たちは、ヨブが苦しみにあっているのは、ヨブが罪を犯したからだと言いました。そして、ヨブもその友人たちと同じ考え方をして、自分は罪を犯していないと主張してきたわけです。第31章では、自分の潔白を誓いの言葉で言い表し、こう言っていたのです。「ああ、私の言葉を聞いてくれる者が/いればよいのだが。ここに私の署名がある。全能者よ、私に答えてほしい。私を訴える者が書いた告訴状があればよいのだが。それをしかと肩に担い/私の冠として結び付けよう。私の歩みの数を彼に告げ/君主として彼に近づこう」(ヨブ31:35〜37)。このヨブの訴えを受けて、主は嵐の中からヨブに答えてくださったのですが、主はヨブが罪を犯したとか、正しいとか一切言わないのです。主がヨブに言われたことは、この世界には、ベヘモットやレビヤタンに象徴される混沌とも言える不条理な苦しみがあるということです。そして、そのベヘモットやレビヤタンは、人間には支配できなくても、神には支配することができるということです。この世界には不条理な苦しみがある。それを人間はどうしようもできない。しかし、神はその不条理をも支配することができる。それがヨブに与えられた主の答えであり、また、私たちに対する主の答えであるのです。不条理な苦しみにあうとき、私たちは三人の友人たちやヨブのように、自分の罪を結びつけて考えてしまうことがあります。しかし、主はそのようなことは言われませんでした。主が言われたことは、人生は不条理な苦しみがあること。その不条理な苦しみを人間はどうすることもできないこと。しかし、神はその不条理な苦しみを支配することができるということです。私たちは、不条理な苦しみをも支配することができる神を、イエス・キリストにあって父なる神と呼んでいるのです。

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