主の1回目の弁論⑤ 2025年1月15日(水曜 聖書と祈りの会)
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主の1回目の弁論⑤
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- 村田寿和 牧師
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ヨブ記 39章13節~30節
聖書の言葉
39:13 駝鳥は威勢よく翼を羽ばたかせるが/こうのとりの羽と羽毛を持っているだろうか。
39:14 駝鳥は地面にその卵を置き去りにし/土の上で温め
39:15 足がそれを潰すことにも/野の獣がそれを踏みつけることにも/考えが及ばない。
39:16 駝鳥はその子らを/わが子ではないかのようにあしらい/その苦労が無駄になるのも恐れない。
39:17 神がこれに知恵を忘れさせ/分別を分け与えなかったのだ。
39:18 だが駝鳥が高々と翼を広げるときには/馬とその乗り手を嘲笑う。
39:19 あなたは馬に力を与え/その首をたてがみで装わせ
39:20 ばったのように跳びはねさせることができるか。/その鼻息の威力は恐ろしく
39:21 谷間で土を蹴って、喜び勇み/武器に立ち向かおうと出て行く。
39:22 馬は恐怖を嘲笑ってひるまず/剣の前から退かない。
39:23 その上では矢筒が音を立て/槍と投げ槍がきらめく。
39:24 馬は、たけり立って/うなり声が地を呑み込むときも/角笛の音にじっとしていられない。
39:25 角笛が鳴る度にいななき/遠くから戦いの臭いを嗅ぎつけ/将軍の怒号と鬨の声を聞きつける。
39:26 あなたの分別によって、はいたかは羽ばたき/南に向かってその翼を広げるだろうか。
39:27 あなたの命令によって、鷲は舞い上がり/高みにその巣を作るだろうか。
39:28 鷲は岩に宿り/切り立つ岩や砦の上で夜を過ごす。
39:29 そこから獲物を探し/その目は遠くから見定める。
39:30 その雛は血をすすり/死骸のある所にいる。ヨブ記 39章13節~30節
メッセージ
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第38章と第39章には、「主の1回目の弁論」が記されています。主は、ヨブと共におられる神、ヤハウェとして、ヨブの言葉に耳を傾けておられました。その主に対して、ヨブは第31章35節から37節でこう言いました。「ああ、私の言葉を聞いてくれる者がいればよいのだが。ここに私の署名がある。全能者よ、私に答えてほしい。私を訴える者が書いた告訴状があればよいのだが。それをしかと肩に担い/私の冠として結び付けよう。私の歩みの数を彼に告げ/君主のように彼に近づこう」。このヨブの言葉を受けて、主は嵐の中に現れ、こう言われました。第38章2節と3節です。「知識もないまま言葉を重ね/主の計画を暗くするこの者は誰か。あなたは勇者らしく腰に帯を締めよ。あなたに尋ねる、私に答えてみよ」。そして、主は、ご自分の計画(聖定)の実現である創造と摂理の御業について、ヨブに尋ねられるのです。第38章では、大地について、海について、天候について、夜空の星座について尋ねられました。第39章では、野生の生き物について尋ねられます。前回は12節まで学びましたので、今朝は、13節から30節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
13節から18節までをお読みします。
駝鳥は威勢よく翼を羽ばたかせるが/こうのとりの羽と羽毛を持っているだろうか。駝鳥は地面にその卵を置き去りにし/土の上で温め/足がそれを潰すことにも/野の獣がそれを踏みつけることにも/考えが及ばない。駝鳥はその子らを/わが子ではないかのようにあしらい/その苦労が無駄になるのも恐れない。神がこれに知恵を忘れさせ/分別を分け与えなかったのだ。だが駝鳥が高々と翼を広げるときには/馬とその乗り手を嘲笑う。
主は駝鳥についてお語りになります。駝鳥は一番大きい鳥で、身長は2メートル以上、体重は100キログラム以上と言われます。しかし、こうのとりのような羽を持っておらず、空を飛ぶことはできません。また、14節から16節に、こう記されています。「駝鳥は地面を置き去りにし/土の上で温め/足がそれを潰すことも/野の獣がそれを踏みつけることにも/考えが及ばない。駝鳥はその子らを/わが子ではないかのようにあしらい/その苦労が無駄になるのも恐れない」。この記述を読んで、「本当かなぁ」と思い、ユーチューブで、駝鳥の動画を見ました(どうぶつ奇想天外/WAKUWAKU【TBS公式】)。それによると、駝鳥は一日置きに、12個もの卵を生みますが、数が揃うまで、温めようとしないので外敵の脅威にさらされるとのことです。20個ほどになると、昼はメスが卵を暑さから守り、夜はオスが卵を寒さから守るそうです。ここで言われているのは、卵の数が20個ほどになる前のことであるようです。駝鳥は地面にその卵を置き去りにして、野の獣がそれを踏みつけることにも考えがおよばない。それは、神が駝鳥に知恵を忘れさせ、分別を与えなかったからです。しかし、駝鳥は馬とその乗り手を嘲笑うほどのスピードで走ることができます。駝鳥は時速60キロメートルの速さで、一時間ほど走ることができるそうです。主は駝鳥に知恵を与えられませんでしたが、並外れた身体能力を与えられたのです。
19節から25節までをお読みします。
あなたは馬に力を与え/その首をたてがみで装わせ/ばったのように跳びはねさせることができるか。その鼻息の威力は恐ろしく/谷間で土を蹴って、喜び勇み/武器に立ち向かおうと出て行く。馬は恐怖を嘲笑ってひるまず/剣の前から退かない。その上では矢筒が音を立て/槍と投げ槍がきらめく。馬は、たけり立って/うなり声が地を呑み込むときも/角笛の音にじっとしていられない。角笛が鳴る度にいななき/遠くから戦いの臭いをかぎつけ/将軍の怒号と鬨の声を聞きつける。
ここで主は野生の馬ではなく、人間が戦いに用いる軍馬について語ります。馬は、谷間で土を蹴って、喜び勇み、武器に立ち向かおうと出ていきます。馬は恐怖を嘲笑ってひるまず、剣の前から退きません。それは、主が馬をそのように造られたからであるのです。
26節から30節までをお読みします。
あなたの分別によって、はいたかは羽ばたき/南に向かってその翼を広げるだろうか。あなたの命令によって、鷲は舞い上がり/高みにその巣を作るだろうか。鷲は岩に宿り/切り立つ岩や砦の上で夜を過ごす。そこから獲物を探し/その目は遠くから見定める。その雛は血をすすり/死骸のある所にいる。
「はいたか」はタカ化の鳥で、季節に応じて移動しました。冬は温かい所で過ごすために南へ移動します。それはヨブが分別を与えたからではなく、創造主である神が分別を与えられたからであるのです。また、鷲は舞い上がり、高い岸壁に巣を作ります。そして、そこから獲物を探し、その目は遠くから見定めるのです。ちなみに、鷲の視力は人間の8倍から10倍で、双眼鏡で見るのと同じくらいの能力であるそうです。イヌワシの目は1000m離れた獲物を見つけてとらえる優れた視力を持っていると言われます。そのように、主は、さまざまな生き物を、この地上にお造りになったのです。動物と言っても、さまざまな動物がおり、それぞれに特徴があります。また、鳥と言っても、さまざまな鳥がおり、それぞれに特徴があります。私たちは動物や鳥によって、創造主である神の素晴らしさ、その発想の豊かさを知ることができます。けれども、その動物や鳥の世界は、食うか食われるかの過酷な世界であります。30節に「その雛は血をすすり、死骸のある所にいる」とあるように、動物の世界は過酷な世界であるのです。人間は神のかたちに似せて造られた理性的被造物であり、人間の社会は道徳律法によって秩序づけられています。しかし、動物はそのような道徳律法とは無縁の世界に生きているのです。私たちがペットを飼うと気が紛れるのは、人間とは違う世界(本能に閉ざされた世界)に動物や鳥や魚が生きているからではないかと思います。動物や鳥や魚と生きることによって、人間とは別の世界があることを知り、私たちは自分の世界を相対化できるわけです。私たちを造られた神は、駝鳥と馬、鷹と鷲を造られたお方でもあります。この地球には、人間の世界とは違った、野生動物の世界があるのです。