エリフの4回目の弁論② 2024年11月13日(水曜 聖書と祈りの会)

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エリフの4回目の弁論②

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨブ記 36章22節~33節

聖句のアイコン聖書の言葉

36:22 見よ、神は秀でた力を持つ。/神のような教師がいるだろうか。
36:23 誰が神にその道を指し示せるのか。/誰が「あなたは不正を働いた」と言えるだろうか。
36:24 思い起こせ/あなたが神の業をたたえたことを。/それを人々がほめ歌ったことを。
36:25 すべての人はその御業を仰ぎ/はるか遠くから見上げている。
36:26 見よ、神は偉大で、私たちには知りえない。/その年の数も計り知ることはできない。
36:27 神は水の滴りを引き上げ/雨を濾過して霧にする。
36:28 雲は雨を溢れさせ/多くの人の上に降り注ぐ。
36:29 人は雨雲の広がりと/その天幕のとどろきを悟りえようか。
36:30 見よ、神は雨雲の上に光を広げ/海の底を覆う。
36:31 こうして神はもろもろの民を裁き/食物を豊かに与える。
36:32 神は稲妻を両手に包み/それに命じて攻撃させる。
36:33 雷鳴は神について告げ知らせ/神は不法に対して怒りを燃やす。
ヨブ記 36章22節~33節

原稿のアイコンメッセージ

 第32章から第37章には、バラクエルの子エリフの言葉が記されています。今朝は第36章22節から33節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 22節から33節までをお読みします。

 見よ、神は秀でた力を持つ。神のような教師がいるだろうか。誰が神にその道を示せるのか。誰が「あなたは不正を働いた」と言えるだろうか。思い起こせ/あなたが神の業をたたえたことを。それを人々がほめ歌ったことを。すべての人はその御業を仰ぎ/はるか遠くから見上げている。見よ、神は偉大で、私たちには知りえない。その年の数も計り知ることはできない。神は水の滴りを引き上げ/雨を濾過して霧にする。雲は雨を溢れさせ/多くの人の上に降り注ぐ。人は雨雲の広がりと/その天幕のとどろきを悟りえようか。見よ、神は雨雲の上に光を広げ/海の底を覆う。こうして神はもろもろの民を裁き/食物を豊かに与える。神は稲妻を両手に包み/それに命じて攻撃させる。雷鳴は神について告げ知らせ/神は不法に対して怒りを燃やす。

 エリフは、3節で、「私は遠い時代からの知識を携え/私の造り主に義を帰する」と言いました。エリフは、「先祖たちの知恵によって、造り主である神の正しさを示そう」と言うのです。そのように語ったエリフが、22節で、「神は秀でた力を持つ最高の教師である」と言います。なぜなら、「神は苦しむ人をその苦しみによって救い、彼らの耳を虐げによって開く」御方であるからです。神は苦しみを通して、不義から神へと立ち帰るように呼びかけられるのです。そのような教師である神に、その道を指し示せる者はいません。神よりも知恵のある者はいないのです。また、誰も、神に対して「あなたは不正を働いた」と言うことはできません。世界を統治する神は正しい御方であるからです。世界の法則や秩序の根源にあるのは、世界を統治している神の正しさであるのです。しかし、エリフいわく、ヨブは、「神が不正を働いた」と言っていたのです(34:5、6参照)。そのようなヨブに、エリフは、「思い起こせ、あなたが神の業をたたえたことを。神の業を人々がほめ歌ったことを」と言います。神に対して人間のなすべきことは、神の業に不平を言うことではなく、神の業をほめたたえることであるのです。

 26節に、「見よ、神は偉大で、私たちには知りえない。その年の数も計り知ることはできない」とあります。神は、私たち人間が知り尽くすことのできない大きな方であります。「有限は無限を容れない」という言葉がありますが、有限である人間は、神を知り尽くすことはできないのです。また、神は、時間を創造された御方であり、時間を超越している永遠の御方であります。それゆえ、その年の数も計り知ることはできないのです。

 前後しますが、25節で、エリフはこう言っていました。「すべての人はその御業を仰ぎ/はるか遠くから見上げている」。この御業とは、神がすべてのものを無から造られた創造の御業と、神がすべてのものを統治しておられる摂理の御業のことです。人々がほめ歌った神の御業、すべての人が見上げている神の御業とは、創造と摂理の御業であるのです。これは、神の一般啓示であり、一般恩恵と言えます。神は創造と摂理の御業によって、御自身の存在を示しておられます。そして、創造と摂理の御業によって、すべての人に恵みを与えてくださるのです。その創造と摂理の御業が、27節から33節に記されています。神は雨を降り注ぐことによって、食物を豊かに与えてくださいます。それだけではなく、神は雨を降らせないことによって、干ばつをもたらすことによって、もろもろの民を裁かれるのです。ここで興味深いのは、エリフが神の創造と摂理の御業を、神の裁きとも結びつけていることです。稲妻は天からの火であり、それによって神は不法な者を攻撃するのです。雷鳴は、日本でも「神鳴り」と言われるように、神が鳴らしている音、神の怒りの声と考えられてきました。雷鳴は不法に対して怒りを燃やす神がおられることを示しているとエリフ言うのです。エリフによれば、私たちが自然災害と呼ぶものを通しても、神はご自分が不法に対して怒りを燃やし、裁きを下さす神であることを示しているのです。神が造られ、統治されている世界は、神が恵み深いお方であることだけではなく、神が不法に怒りを燃やし、裁きを下す御方であることを示しているのです。

 もちろん、このエリフの言葉は、自然災害にあわれた人が、必ずしも不法な者であることを意味していません。そのことは、『ルカによる福音書』の第13章に記されているイエス様の言葉からも分かります。新約の132ページです。第13章1節から5節までをお読みします。

 ちょうどその時、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことを、イエスに告げる者たちがあった。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのすべてのガリラヤ人とは違って、罪人だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるほかのすべての人々とは違って、負い目のある者だったと思うのか。決してそうではない。あなたがたに言う。あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」

 ここでイエス様は、災害や事故にあった人は、他の人より罪深かったのではないと言われます。けれども、その災害や事故に神の裁きを見て、悔い改めるようにと言われるのです。「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」、こう言われるのです。神は苦しみだけではなく、災害や事故の知らせによっても、私たちに「悔い改めよ」と呼びかけておられるのです。

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