エリフの4回目の弁論① 2024年11月06日(水曜 聖書と祈りの会)
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エリフの4回目の弁論①
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- 村田寿和 牧師
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ヨブ記 36章1節~21節
聖書の言葉
36:1 エリフはさらに言った。
36:2 しばらく待て。あなたに知らせたい。/神についてまだ言うべき言葉があるのだ。
36:3 私は遠い時代からの知識を携え/私の造り主に義を帰する。
36:4 本当に私の言葉に偽りはない。/完全な知識を持つ者があなたと共にいる。
36:5 神は力強く、誰をも退けず/その心の力は強い。
36:6 神は悪しき者を生かしてはおかず/苦しむ人々のために公正を行う。
36:7 神は正しき人から目を離さず/彼らを王たちと共に座に着かせ/永遠に高められる。
36:8 もし、彼らが足枷をはめられ/苦しみの縄に捕らえられるならば
36:9 神は、彼らの行いと彼らの背きの罪を告げる。/彼らが高慢に振る舞っているからだ。
36:10 神はまた、彼らの耳を開いて諭し/不義から立ち帰るように命じる。
36:11 もし、彼らが聞き入れて、神に仕えるならば/その日々は幸いで満たされ/年月は喜びで満たされる。
36:12 もし、聞き入れなければ/彼らは剣で滅び/知識を持たずに息絶える。
36:13 しかし、心で神を敬わない者は怒りを抱き/神に縛られても助けを叫び求めない。
36:14 彼らの魂は若くして死に/その命は神殿男娼のように短い。
36:15 神は苦しむ人をその苦しみによって救い/彼らの耳を虐げによって開く。
36:16 まさしく、神はあなたを苦しみから/束縛のない広々とした場所にいざなう。/あなたの食卓には憩いがあり/豊かな食物で満ちる。
36:17 しかし、あなたは悪しき者が受ける裁きに満ち/裁きと公正があなたを捕らえている。
36:18 憤りがあなたを嘲りに誘い込まないように/身代金が多くあるからといって道を誤らないように。
36:19 苦しみを逃れようとする/あなたの叫びは役に立つだろうか。/どれほど力を尽くした叫びであっても。
36:20 夜をあえぎ求めるな/夜は人々をその立っている所から取り去る。
36:21 不義に向かわないように慎め。/あなたは苦しみよりも不義を選び取っている。ヨブ記 36章1節~21節
メッセージ
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第32章から第37章までには、バラクエルの子エリフの言葉が記されています。今朝は、第36章1節から21節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
1節から4節までをお読みします。
エリフはさらに言った。しばらく待て。あなたに知らせたい。神についてまだ言うべき言葉があるのだ。私は遠い時代からの知識を携え/私の造り主に義を帰する。本当に私の言葉に偽りはない。完全な知識を持つ者があなたと共にいる。
「あなた」とは、ヨブのことです。エリフいわく、ヨブは、第34章5節と6節でこう言っていました。「私は正しいのに/神は私の公正を取り去った。私は公正であるのに、偽り者とされ/私に背きの罪はないのに、矢傷は癒されない」。このように主張するヨブに対して、エリフは、先祖たちの知恵によって、私の造り主が正しいことを示そうと言うのです(新共同訳参照)。エリフは、これから自分が語ることが真実であると言います。エリフは、自分のことを「完全な知識を持つ者」とさえ言うのです。
5節から21節までをお読みします。
神は力強く、誰をも退けず/その心の力は強い。神は悪しき者を生かしてはおかず/苦しむ人々のために公正を行う。神は正しき人から目を離さず/彼らを王たちと共に座に着かせ/永遠に高められる。もし、彼らが足枷をはめられ/苦しみの縄に捕らえられるならば/神は、彼らの行いと彼らの背きの罪を告げる。彼らが高慢に振る舞っているからだ。神はまた、彼らの耳を開いて諭し/不義から立ち帰るように命じる。もし、彼らが聞き入れて、神に仕えるならば/その日々は幸いで満たされ/年月は喜びで満たされる。もし、聞き入れなければ彼らは剣で滅び/知識を持たずに息絶える。しかし、心で神を敬わない者は怒りを抱き/神に縛られても助けを叫び求めない。彼らの魂は若くして死に/その命は神殿男娼のように短い。神はその苦しむ人をその苦しみによって救い/彼らの耳を虐げによって開く。まさしく、神はあなたを苦しみから/束縛のない広々とした場所にいざなう。あなたの食卓には憩いがあり/豊かな食物で満ちる。しかし、あなたは悪しき者が受ける裁きに満ち/裁きと公正があなたを捕らえている。憤りがあなたを嘲りに誘い込まないように/身代金が多くあるからといって道を誤らないように。苦しみを逃れようとする/あなたの叫びは役に立つだろうか。どれほど力を尽くした叫びであっても。夜をあえぎ求めるな/夜は人々をその立っている所から取り去る。不義に向かわないように慎め。あなたは苦しみよりも不義を選び取っている。
力強い神は、すべての人を公正に裁かれます。すなわち、悪しき者を滅ぼし、正しき人を永遠に高められるのです(神は応報思想の神)。しかし、そのことは正しき人が苦しみに遭わないことを意味していません。正しい人も神の祝福に慣れてしまい、それが当然であるかのように高慢に振る舞うことがあるからです。神は高慢な人の耳を開いて、不義から立ち帰らせるために、苦しみに遭わせられるのです。もし、苦しみの中で神に立ち帰るならば、その日々は幸いで満たされ、年月は喜びで満たされます。しかし、神に立ち帰らなければ、剣で滅び、知識を持たずに息絶えることになるのです。
また、心で神を敬わない者は苦しみに遭うと怒りを抱きます。「なぜ、私がこのような苦しみに遭わなければならないのか」と言って怒りを燃やすのです。そして、「神などいない」と言って、神に助けを求めようとしないのです。そのように悪しき者は短い生涯を閉じることになるのです。
15節でエリフはこう言います。「神は苦しむ人をその苦しみによって救い/彼らの耳を虐げによって開く」。ここには、苦しみの意味が語られています。苦しみとは、不義から神へと立ち帰るための、神からの呼びかけであるのです。神は苦しむ人をその苦しみによって救い、彼らの耳を虐げによって開いてくださいます(ダニエル5:18~21参照)。エリフは、ヨブが苦しみを通して語りかける神の声に耳を開いて悔い改めるならば、神はヨブを苦しみから解放してくださり、広々とした場所にいざない、豊かな食卓で憩わせてくださると言うのです。これと同じようなことを、三人の友人の一人であるエリファズも語っていました。第5章17節から27節までをお読みします。旧約の767ページです。
神から懲らしめを受ける人は幸いである。全能者の諭しを退けてはならない。神は傷つけても、また包み/打っても、その手で癒してくださる。六度苦難が襲っても、神はあなたを救い/七度襲っても、災いがあなたを打つことはない。飢饉の時には、あなたを死から救い出し/戦いの時にも、剣から救い出す。舌の鞭からあなたは隠され/滅びが来ても、あなたはそれを恐れない。滅びと飢饉をあなたは笑い/地の獣を恐れない。野の石とあなたは契約を結び/野の獣はあなたと平和に暮らすからである。あなたは自分の天幕が平和であることを知り/牧場を見回っても、あなたに欠けているものはない。あなたの子孫は多くなり/あなたの裔が地の青草のようになるのを知る。あなたは生涯を全うして墓に入る。あたかも麦の束がふさわしい時に収められるように。見よ、これが私たちの究めたところ。これを聞いて、あなた自身も知るがよい。
このように、エリファズも、ヨブの苦しみが神からの懲らしめであり、神からの諭しであると言っていました。そして、その諭しを受け入れて、神へと立ち帰るならば、神はあなたを包み、癒し、救ってくださると語っていたのです(エリファズも苦しみが持つ教育的な意味を語っていた)。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の809ページです。
エリフは、「神は苦しむ人をその苦しみによって救い/彼らの耳を虐げによって開く」と言いました。しかし、ヨブは、苦しみによって語る神の言葉に耳を閉ざし、悔い改めようとはしないと言うのです。17節で、エリフはこう言います。「しかし、あなたは悪しき者が受ける裁きに満ち/裁きと公正があなたを捕らえている」。ヨブは苦しみの中にあっても、神に立ち帰ることなく、悪しき者が受ける裁きを受けているのです。ヨブは、一日で全財産と子供たちを失いました。また、ヨブ自身も、全身を悪性の腫れ物によって打たれていました。そのようなヨブの苦しみは、神の裁きと公正によるものだとエリフは言うのです。そうであれば、ヨブは不義から神へと立ち帰るべきであるのです。自分の不義を認めて、神に立ち帰ることなくして、苦しみを逃れようと力を尽くして叫んでも、神は聞いてくださらないのです。それゆえ、エリフは「不義に向かわないように慎め、不義を選び取るな」と言うのです。エリフは、ヨブに、苦しみを通して語りかける神の声に聞き従って、不義から神へと立ち帰るようにと言うのです。