エリフの3回目の弁論 2024年10月30日(水曜 聖書と祈りの会)

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エリフの3回目の弁論

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨブ記 35章1節~16節

聖句のアイコン聖書の言葉

35:1 そして、エリフはまた言った。
35:2 あなたはこれを公正だと考えるのか。/あなたは「自分の正しさは神にまさる」と言うのか。
35:3 あなたは言っている。/「私が罪から離れたとしても/あなたに何の益があるのか。/私にどんな利益があるのか」と。
35:4 私はあなたに言葉を返したい/あなたと共にいる友人たちに対しても。
35:5 天を仰いで見よ。/あなたよりはるか高くにある雲を眺めよ。
35:6 たとえ、あなたが罪を犯したとしても/神に対して何ができようか。/あなたの背きがいかに多くても/あなたは神に何をなしえようか。
35:7 たとえ、あなたが正しくても/神に何を与えられるだろうか。/神はあなたの手から何を受け取るだろうか。
35:8 あなたの悪はただあなたのような人間に関わり/あなたの正しさはただ人の子に関わるだけだ。
35:9 人々は多くの責め苦の中から叫び/偉大な者の腕に助けを求める。
35:10 しかし、誰も言わない。/「私の造り主である神はどこにおられるのか/夜に歌を与えてくださる方は。
35:11 地の獣よりも私たちに教え/空の鳥よりも私たちに知恵を/授けてくださる方は」と。
35:12 彼らはそこで叫ぶが/悪人の高慢を前にして、神は答えない。
35:13 神は空しい叫びを聞き入れず/全能者はそれを顧みることはない。
35:14 確かに、「あなたはそれを顧みられない」と/あなたは言っている。/しかし訴えは御前にある。/あなたはただ神を待つべきだ。
35:15 今、神は怒りをもって罰せず/愚かさを少しも心に留めないので
35:16 ヨブはその口を空しく開き/知識もないのに言葉を重ねている。ヨブ記 35章1節~16節

原稿のアイコンメッセージ

 第32章から第37章までには、バラクエルの子エリフの言葉が記されています。今朝は、第35章1節から16節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 1節から8節までをお読みします。

 そして、エリフはまた言った。

 あなたはこれを公正だと考えるのか。あなたは「自分の正しさは神にまさる」と言うのか。あなたは言っている。「私が罪から離れたとしても/あなたに何の益があるのか。私にどんな利益があるのか」と。私はあなたに言葉を返したい/あなたと共にいる友人たちに対しても。天を仰いで見よ。あなたよりはるか高くにある雲を眺めよ。たとえ、あなたが罪を犯したとしても/神に対して何ができようか。あなたの背きがいかに多くても/あなたは神に何をなしえようか。たとえ、あなたが正しくても/神に何を与えられるだろうか。神はあなたの手から何を受け取るだろうか。あなたの悪はただあなたのような人間に関わり/あなたの正しさはただ人の子に関わるだけだ。

 第34章の5節と6節で、エリフはこう言っていました。「ヨブはこう言っている。『私は正しいのに/神は私の公正を取り去った。私は公正であるのに、偽り者とされ/私に背きの罪はないのに、矢傷は癒されない』と」。このようなヨブの主張は、エリフにとって、神を悪を行う者、不正を働く者とすることであるのです。そのことを踏まえて、エリフはヨブに、「あなたはこれを公正だと考えるのか。あなたは『自分の正しさは神にまさる』と言うのか」と問うのです。期待される答えは、「公正ではない」「ヨブの正しさは神にまさらない」。つまり、「正しいのはヨブではなく、神である」というものです。

 3節でエリフはこう言います。「あなたは言っている。『私が罪から離れたとしても/あなたに何の益があるのか。私にどんな利益があるのか』と」。このような言葉を、いつヨブは言ったのでしょうか。考えられるのは、第21章15節です。第21章は、ヨブが悪しき者の繁栄について語っている所です。そこでヨブは、悪しき者のセリフとして、次のように語ります。「全能者とは何者なのか/我々が仕えなければならないとは。彼に願ったところで/私たちにどんな利益があるのか」。これは、ヨブが悪しき者のセリフとして語った言葉であります。ヨブ自身は、16節で、「悪しき者の謀は私から遠い」と言って、一線を引いています。しかし、エリフは、そのような文脈を無視して、ヨブの主張であるかのように言うのです。

 エリフは、ヨブと三人の友人たちに対して、神の超越性について語ります。はるか高くにいます神は、ヨブの罪にも正しさにも関わりがなく、それは人間に関わるだけなのだとエリフは言うのです。このようなことは、ヨブの友人であるエリファズが語っていたことです。第22章1節から4節までをお読みします。旧約の790ページです。

 テマン人エリファズは答えた。

 人は神にとって益となるだろうか。悟りある者も自分を益するだけだ。あなたが正しいとしても/それが全能者を喜ばせるだろうか。あなたの道が完全でも/それが神の利益になるだろうか。神を畏れるからといって、神はあなたを弁護し/あなたと共に裁きの場に臨むだろうか。

 このようにエリファズも、神の超越性について語っていたのです。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の808ページです。

 8節で、エリフは、「あなたの悪はただあなたのような人間に関わり/あなたの正しさはただ人の子に関わるだけだ」と言います。このエリフの言葉は、自分の正しさと罪に、神が一喜一憂しているかのように考えるヨブを批判する言葉です。自分の罪や正しさが神を動かすかのように考える自惚れ(高慢)を批判する言葉です(ヨブ18:4参照)。しかし、このエリフの発言は、第1章と第2章に記されている主の言葉と矛盾します。天上において、主はサタンにこう言っていたからです。「あなたは私の僕ヨブに心を留めたか。地上には彼ほど完全で、正しく、神を畏れ、悪を遠ざけている者はいない」。主御自身が僕ヨブの正しさを問題にしているのです。

 9節から16節までをお読みします。

 人々は多くの責め苦の中から叫び/偉大な者の腕に助けを求める。しかし、誰も言わない。「私の造り主である神はどこにおられるのか。夜に歌を与えてくださる方は。地の獣よりも私たちに教え/空の鳥よりも私たちに知恵を授けてくださる方は」と。彼らはそこで叫ぶが/悪人の傲慢を前にして、神は答えない。神は空しい叫びを聞き入れず/全能者はそれを顧みることはない。確かに、「あなたはそれを顧みられない」とあなたは言っている。しかし訴えは御前にある。あなたはただ神を待つべきだ。今、神は怒りをもって罰せず/愚かさを少しも心に留めないので/ヨブはその口を空しく開き/知識もないのに言葉を重ねている。

 ことわざに「苦しい時の神頼み」とあるように、人々は多くの責め苦の中から叫び、偉大な者の腕に助けを求めます。しかし、その人々の心には、創造主である神への畏れはないと言うのです。その人々の心の中にあるのは、神を僕であるかのように考え、「助けてくれたら、信じてやろう」と言った高慢な思いであるのです。そして、エリフはヨブも、そのような高慢な心であるゆえに、神は答えないのだと言うのです。14節に、「確かに、『あなたはそれを顧みられない』と」とあります。確かに、ヨブは第30章20節でこう言っていました。「私があなたに向かって叫び求めても/あなたは答えず/私が立ち尽くしても、あなたは私を顧みない」。その理由をエリフは、ヨブが悪人であり、高慢な心で祈っているからだと言うのです。

 しかし、そのようなヨブの訴えも、神の御前にあるとエリフは言います。それゆえ、「あなたはただ神を待つべきだ」と言うのです。しかし、ヨブは、神が怒りと罰を忍耐していることを知らずに、口を空しく開き、知識もないのに言葉を重ねているとエリフは言うのです。

 このエリフの言葉に、私は賛成できません。ヨブが造り主である神を畏れずに、訴えているならば、第38章以下で、主はヨブに現れなかったでしょう。ヨブは、造り主である神を畏れる者であるからこそ、神の正しさを信じる者であるからこそ、神に何度も訴え、神と自分との間を取り持つ仲介者を求めたのです(ヨブ9:33、16:19、19:25参照)。

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