エリフの1回目の弁論② 2024年10月02日(水曜 聖書と祈りの会)
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エリフの1回目の弁論②
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- 村田寿和 牧師
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ヨブ記 33章1節~33節
聖書の言葉
33:1 そこでヨブよ、私の言葉を聞き/私が語るすべてに耳を傾けてくれ。
33:2 私は口を開き/舌が口の中で語りだす。
33:3 私の言うことは正直な心からだ。/私の唇は清められて、知識を語る。
33:4 神の霊が私を造り/全能者の息が私に命を与える。
33:5 もしできるなら、私に言い返せ。/備えをして、私の前に立て。
33:6 神にとっては、私もあなたと同じ/泥で造られた者だ。
33:7 私の脅しはあなたに恐怖を与えず/私が重しを載せても、あなたの荷は重くならない。
33:8 確かに、あなたの話は私の耳に入り/語る声を私は聞いた。
33:9 「私は清く、背きの罪はない。/私は潔白で、過ちはない。
33:10 それでも、神は私を責める理由を見つけ/私を敵と見なし
33:11 私に足枷をはめ/行く道すべてを見張っている。」
33:12 これについて、「あなたは正しくない」/と私は答える。/神は人より偉大であるからだ。
33:13 なぜ、あなたは神と争うのか/自分の言葉に神が一つも答えないからといって。
33:14 神は一度語り、また再び語るが/人はそれに気付かない。
33:15 夢で、夜の幻で/人々が眠りに陥り/寝床でまどろむとき
33:16 その時、神は人々の耳を開き/諭しをもって彼らを封じ込める。
33:17 こうして人の悪い行いを取り除き/高ぶりを覆い隠す。
33:18 神は人の魂を墓穴から/その命を滅びの剣から救い出す。
33:19 人は寝床で痛みによって懲らしめられ/骨まで侵されて苦痛が絶えない。
33:20 彼の命は食物を拒み/魂は好みの食べ物を拒む。
33:21 その肉は見る影もなく失われ/見えなかった骨があらわになる。
33:22 その魂は穴に近づき/命は自分を殺す者に近づく。
33:23 もし、彼のために天使がおり/千人に一人でも執り成す者がいて/人にその正しさを告げるならば
33:24 また、彼を憐れんで/「この人を救い、穴に落ちないようにせよ。/私が身代金を得た」と言ってくれるなら
33:25 彼の肉体は若者よりも生き生きとし/若い頃に戻るだろう。
33:26 彼は神に祈って受け入れられ/喜びの叫びを上げて御顔を仰ぐだろう。/神はその人の義を回復される。
33:27 その人は人々を見つめて言うだろう。/「私は罪を犯し、正しいことを曲げた。/それは私のすべきことではなかった。
33:28 神は私の魂を贖い、穴に下らせないようにした。/私の命は光を見る」と。
33:29 見よ、神はこれらすべてのことを行う。/人のために、二度でも三度でも。
33:30 神は人の魂を穴から引き戻し/命の光で照らし出す。
33:31 ヨブよ、心して聞け。/沈黙せよ、私が語る。
33:32 もし、言葉があるなら、私に言い返せ。/語れ、私は喜んであなたを正しき者にしよう。
33:33 もし、あなたに言葉がないなら、聞け。/沈黙せよ、私があなたに知恵を教える。
ヨブ記 33章1節~33節
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第32章から第37章までには、エリフの言葉が記されています。今朝は、第33章1節から33節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
1節から7節までをお読みします。
そこでヨブよ、私の言葉を聞き/私が語るすべてに耳を傾けてくれ。私は口を開き/舌が口の中で語りだす。私の言うことは正直な心からだ。私の唇は清められて、知識を語る。神の霊が私を造り/全能者の息が私に命を与える。もしできるなら、私に言い返せ。備えをして、私の前に立て。神にとっては、私もあなたと同じ/泥で造られた者だ。私の脅しはあなたに恐怖を与えず/私が重しを載せても、あなたの荷は重くならない。
エリフは、「ヨブよ」と名前を呼び、「私の言葉を聞き/私が語るすべてに耳を傾けてくれ」と言います。エリフは、全能者の息、知恵の霊を受けた者として、正直な心から知識を語ると言います。そして、エリフは、「もしできるなら、私に言い返せ。備えをして、私の前に立て」とヨブに討論をしようと呼びかけるのです。エリフは、「神にとっては、私もあなたと同じ/泥で造られた者だ」と言って、人間と人間との対話を求めます。それゆえ、エリフは、ヨブに「怯えなくてもよい、緊張しなくてもよい」と言うのです(実際に、ヨブが恐怖を抱き、プレッシャーを感じていたかは定かではない)。
8節から12節までをお読みします。
確かに、あなたの話は私の耳に入り/語る声を私は聞いた。「私は清く、背きの罪はない。私は潔白で、過ちはない。それでも、神は私を責める理由を見つけ/私を敵と見なし/私に足枷をはめ/行く道すべてを見張っている。」これについて、「あなたは正しくない」と私は答える。神は人よりも偉大であるからだ。
エリフは、黙って、ヨブと三人の友人たちの議論を聞いていました。エリフはヨブの言葉に耳を傾けてきたのです。エリフいわく、ヨブは次のように主張しました。「私は清く、背きの罪はない。私は潔白で、過ちはない。それでも、神は私を責める理由を見つけ/私を敵と見なし/私に足枷をはめ/行く道すべてを見張っている」。このようなヨブの主張を受けて、三人の友人たちは、ヨブが過去に犯した罪を問題にしました。しかし、エリフは、このヨブの発言そのものを問題にします。エリフは、ヨブがこのような発言をするゆえに、「あなたは正しくない」と言うのです。そして、その理由を「神は人より偉大であるからだ」と言うのです。「偉大なる神に対して、泥で造られた人が、自分の正しさを主張し、不平を述べること自体が正しくない」とエリフは言うのです。エリフはヨブの主張を吟味することなく、主張すること自体が、造り主である神に対する態度として正しくないと言うのです。このような言い方を、イエス・キリストの使徒パウロも『ローマの信徒への手紙』の第9章20節でしています。新約の281ページです。第9章19節と20節をお読みします。
そこで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのか。神の御心に誰が逆らうことができようか。」ああ、人よ。神に口答えするとは、あなたは何者か。造られたものが造った者に、「どうして私をこのように造ったのか」と言えるでしょうか。
このようにパウロも、造り主である神に口答えすることを戒めているのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の804ページです。
13節から18節までをお読みします。
なぜ、あなたは神と争うのか/自分の言葉に神が一つも答えないからといって。神は一度語り、また再び語るが/人はそれに気付かない。夢で、夜の幻で/人々が眠りに陥り/寝床でまどろむとき/その時、神は人々の耳を開き/諭しをもって彼らを封じ込める。こうして人の悪い行いを取り除き/高ぶりを覆い隠す。神は人の魂を墓穴から/その命を滅びの剣から救い出す。
エリフいわく、ヨブは自分の言葉に神が一つも答えないからといって、神と争っていました。しかし、エリフは、「神は語っているが、人がそれに気付かないだけである」と言うのです。その神の語りかけの一つの形式が、夢によるものです。神は夢で人に語りかけ、人の悪い行いを取り除き、高ぶりを覆い隠して、人の命を滅びから救い出してくださるとエリフは言うのです(ヨブ4:12~21、7:14参照)。ちなみに、啓示の書物である聖書が完結している現在は、神が夢で語りかけるという啓示の方法は停止しています(ウェストミンスター信仰告白1:1参照)。それゆえ、私たちは、夢の中に神の語りかけを求めるのではなく、啓示の書物である聖書に神のかたりかけを求めるべきであるのです。
19節から30節までをお読みします。
人は寝床で痛みによって懲らしめられ/骨まで侵されて苦痛が絶えない。彼の命は食物を拒み/魂は好みの食べ物を拒む。その肉は見る影もなく失われ/見えなかった骨があらわになる。その魂は穴に近づき/命は自分を殺す者に近づく。もし、彼のために天使がおり/千人に一人でも執り成す者がいて/人にその正しさを告げるならば/また、彼を憐れんで/「この人を救い、穴に落ちないようにせよ。私が身代金を得た」と言ってくれるなら/彼の肉体は若者よりも生き生きとし/若い頃に戻るだろう。彼は神に祈って受け入れられ/喜びの叫びを上げて御顔を仰ぐだろう。神はその人の義を回復される。その人は人々を見つめて言うだろう。「私は罪を犯し、正しいことを曲げた。それはわたしのすべきことではなかった。神は私の魂を贖い、穴に下らせないようにした。私の命は光を見る」と。見よ、神はこれらすべてことを行う。人のために、二度でも三度でも。神は人の魂を穴から引き戻し/命の光で照らし出す。
夢によって語る神は、病の苦痛によっても語るとエリフは言います。神は病の痛みによって、人を懲らしめるのです。人は病の苦しみの中で、好みの食べ物さえ拒むようになります。病によって人はやせ細り、骨があらわになり、死を身近に感じるようになるのです。しかし、そのような人のもとに、神は天使を遣わしてくださいます。23節に、「もし、彼のために天使がおり/千人に一人でも執り成す者がいて/人にその正しさを告げるならば」とあります。「その正しさ」とは何でしょうか。それは、「病の痛みを神の懲らしめとして受けとめ、罪から神へと立ち帰ること」です。24節には、執り成す者の執り成しの言葉が記されています。「この人を救い、穴に落ちないようにせよ。私が身代金を得た」。この「身代金」とは、「病の痛みを神の懲らしめとして受けとめる砕かれた心」のことです。神は病の痛みによっても人に語りかけられます。そして、人は病の痛みを神からの懲らしめとして受けとめて、悔い改めるとき、病の痛みから解放されて、若い頃のようになるのです。そのとき、人は喜びの叫びを上げて、神の御顔を仰ぐことができるのです。神はその人の義を回復してくださる、すなわち罪を赦してくださるのです。27節には、病の痛みによって悔い改め、罪を赦していただいた人の言葉が記されています。「私は罪を犯し、正しいことを曲げた。それは私のすべきことではなかった。神は私の魂を贖い、穴に下らせないようにした。私は命の光を見る」。この言葉は第31章に記されていたヨブの潔白の主張とはまったく違います。エリフによれば、ヨブが病の痛みによって悔い改めるならば、このような言葉を語ることができるのです。エリフは、ヨブがこのような言葉を語ることができるように、ヨブを導こうとするのです。エリフは、自分のことを、ヨブのために執り成す者であると考えているのです。
神は病の痛みや苦しみによって、私たちを懲らしめ、私たちを悔い改めへと導かれる。このことは、『ヘブライ人への手紙』が教えていることでもあります。新約の407ページです。第12章4節から6節までをお読みします。
あなたがたはまだ、罪と闘って、血を流すまで抵抗したことがありません。また、子に対するようにあなたがたに語られている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主によって懲らしめられても/弱り果ててはならない。主は愛する者を鍛え/子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」
私たちは病の痛みや苦しみを、父なる神の御手から受け取るのです(ハイデルベルク問27参照)。私たちは、父なる神が、世界のあらゆる営みを保ち、治めておられる摂理の神であると信じています。その私たちのために執り成してくださるお方こそ、主イエス・キリストであるのです。父なる神は病の痛みや苦しみによって、私たちをイエス・キリストのもとへと導き、命の光で照らしてくださるのです。
今朝の御言葉に戻ります。旧約の805ページです。
31節から33節までをお読みします。
ヨブよ、心して聞け。沈黙せよ、私が語る。もし、言葉があるなら、私に言い返せ。語れ、私は喜んであなたを正しき者にしよう。もし、あなたに言葉がないなら、聞け。沈黙せよ、私があなたに知恵を教える。
エリフは、ヨブに知恵を教えて、「自分の正しさを主張して神と争う者」から「自分の罪を認めて、神をほめたたえる者」にしたいと願っているのです。