ヨブの潔白の主張① 2024年8月07日(水曜 聖書と祈りの会)

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ヨブの潔白の主張①

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨブ記 29章1節~25節

聖句のアイコン聖書の言葉

29:1 ヨブはまた言葉を続けた。
29:2 今が昔の日々のようであったらよいのに。/神が私を守ってくれた日々のように。
29:3 あの頃には、神の灯が私の頭上に輝き/私はその光によって暗闇を歩んだ。
29:4 私の人生が盛りであったとき/私の天幕には神との親しい交わりがあった。
29:5 全能者が私と共におられたとき/私の周りには若者たちがいた。
29:6 私の足が凝乳に洗われていたとき/岩も私に油の流れを注ぎ出した。
29:7 私が町の門に出て行き/広場に私の座を設けたとき
29:8 若者たちは私を見て身を潜め/老いた者たちは起立して立ち続けた。
29:9 高官たちは語るのをやめ/口に手を当てた。
29:10 指導者たちは声を潜め/彼らの舌は上顎に張り付いた。
29:11 私のことを聞いた耳は私を幸いな者とたたえ/私を見た目はこれを証しした。
29:12 私が、苦しみ叫び求める人を/寄る辺ないみなしごを救ったからだ。
29:13 死にゆく者さえ私を祝福し/やもめの心を私は喜びで満たした。
29:14 私は正義をまとい、正義は私をまとった。/私の公正は上着であり、またターバンでもあった。
29:15 私は見えない人の目であり/歩けない人の足であった。
29:16 貧しい人の父であり/見知らぬ人の訴えに力を尽くした。
29:17 不法な者の顎を打ち砕き/その歯の間から獲物を取り戻した。
29:18 そして、私は言った。/「私の巣で私は死のう。/砂のように日々を増やそう。
29:19 私の根は汀に広がり/露は私の枝に宿るであろう。
29:20 私の栄光は私と共に新しくなり/私の弓は私の手の中で勢いづく」と。
29:21 人々は私の話に聞き入り、望みを抱きながら/黙って私の助言に従った。
29:22 私が語った後でも言い返さず/私の言葉は彼らの上に滴り落ちた。
29:23 彼らは雨を待つように私を待ち/春の雨を仰ぐように口を開いた。
29:24 彼らが確信を失っているときでも/私は彼らにほほ笑みかけ/彼らのせいで顔の光を曇らせることはなかった。
29:25 私は彼らに道を示し、頭として座した。/私は軍勢の中の王のように住まい/嘆く者を慰める人のようであった。
ヨブ記 29章1節~25節

原稿のアイコンメッセージ

 第27章でヨブと友人たちの論争は終わり、第28章には、幕間(まくあい)として、「知恵の賛歌」が記されていました。第28章の「知恵の賛歌」は、ヨブの言葉ではなく、後の世代の人が書き加えたものと思われます。そうしますと、第29章からヨブの言葉が再び記されていることになります。ヨブの言葉は、第29章、第30章、第31章と続きます。第29章には、神と共に歩んだ昔の日々が記されています。第30章には、神から見捨てられた今の有り様が記されています。第31章には、神に対する潔白の主張が記されています。今朝は、第29章に記されている神と共に歩んだ昔の日々について学びたいと思います。

 1節から6節までをお読みします。

 ヨブはまた言葉を続けた。

 今が昔の日々のようであったらよいのに。神が私を守ってくれた日々のように。あの頃には、神の灯が私の頭上に輝き/私はその光によって暗闇を歩んだ。私の人生が盛りであったとき/私の天幕には神との親しい交わりがあった。全能者が私と共におられたとき、私の周りには若者たちがいた。私の足が凝乳に洗われていたとき/岩も私に油の流れを注ぎ出した。

 ここに記されている「昔の日々」は、第1章1節から5節に記されていた日々のことです。そこにはこう記されていました。旧約の762ページです。

 ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は完全で、正しく、神を畏れ、悪を遠ざけていた。彼には七人の息子と三人の娘があった。また、彼は羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百軛、雌ろば五百頭の家畜を持ち、僕も非常に多かった。この人は東の人々の中で最も大いなる人であった。

 息子たちはそれぞれ自分の日に、その家で祝宴を催し、使いを送って三人の姉妹たちをも呼び寄せ、食事を共にするのが常であった。その祝宴が一巡りする度に、ヨブは使いを送って子供たちを聖別し、朝早く起きて、彼らの数に相当する焼き尽くすいけにえを献げた。「もしかすると子どもたちは罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。

 このような昔の日々のことが、今朝の御言葉、第29章で語られているのです。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の798ページです。

 昔の日々は、神がヨブを守ってくれました。ヨブの天幕には神との親しい交わりがあったのです。第1章では、「主」、ヤハウェという神のお名前が用いられていました。主、ヤハウェとは、「わたしはあなたと共にいる」という約束を含むお名前です(出エジプト3:12参照)。昔の日々において、神はヨブと共におられるヤハウェであられたのです。全能者がヨブと共におられたとき、ヨブの周りには若者たちがいました。この「若者たち」は、ヨブの子供たちと僕たちであるようです。昔の日々において、ヨブの周りには子供たちと僕たちがいたのです。また、昔の日々において、ヨブは地に溢れるほどの家畜を所有していたのです。その豊かさを、ヨブは凝乳で足を洗うことと、岩から油が流れ出ることによって言い表すのです。

 7節から20節までをお読みします。

 私が町の門に出て行き/広場に私の座を設けたとき/若者たちは私を見て身を潜め/老いた者たちは起立して立ち続けた。高官たちは語るのをやめ/口に手を当てた。指導者たちは声を潜め/彼らの舌は上顎に張り付いた。私のことを聞いた耳は私を幸いな者とたたえ/わたしを見た目はこれを証しした。私が、苦しみ叫び求める人を/寄る辺ないみなしごを救ったからだ。死にゆく者さえ私を祝福し/やもめの心を私は喜びで満たした。私は正義をまとい、正義は私をまとった。私の公正は上着であり、またターバンでもあった。私は見えない人の目であり、歩けない人の足であった。貧しい人の父であり/見知らぬ人の訴えに力を尽くした。不法な者の顎を打ち砕き/その歯の間から獲物を取り戻した。そして、私は言った。「私の巣で私は死のう。砂のように日々を増やそう。私の根は汀に広がり/露は私の枝に宿るであろう。私の栄光は私と共に新しくなり/私の弓は私の手の中で勢いづく」と。

 7節に「私が町の門に出て行き/広場に私の座を設けたとき」とあります。町の門の広場は公の場であり、商取引や裁判が行われました。その広場において、ヨブは人々から重んじられていました。『レビ記』の第19章32節に、「白髪の人の前では起立し、年配者を重んじなさい」と記されています。その年配の人たちがヨブが座に着くまで起立したと言うのです。高官たちも、指導者たちも話すのをやめ、ヨブが語るのを待ち望んだのです。

 11節に、「私のことを聞いた耳は私を幸いな者とたたえ/私を見た目はこれを証しした」とあります。それは、ヨブが苦しみ叫ぶ人、寄る辺のないみなしごを救ったからです。ヨブは死にゆく者を助け、やもめの心を喜びで満たしました。かつてエリファズは、第22章5節から9節で、ヨブにこう言いました。「あなたの悪は多く/あなたの過ちは果てしないではないか。あなたは理由もなく同胞から質を取り/裸の者たちの衣を剥ぎ取る。渇いた者に水を飲ませず/飢えた者に食物を与えない。腕力で土地をわが物にする者/そこに住む顔役のように。あなたはやもめを空しく去らせ/みなしごの腕を砕く」。このエリファズの言葉は、とんでもない言いがかりですね。ヨブは、苦しみ叫び求める人、寄る辺のないみなしごとやもめを救いました。ヨブは正義(ツェデク)をまとい、公正(ミシュパート)を上着とする者であったのです。ヨブは、見えない人の目であり、歩けない人の足でありました。貧しい人の父であり、見知らぬ人の訴えにさえ力を尽くしたのです。不法な者の顎を砕き、その歯の間から弱い人を助けたのです。そのようなヨブは、自分の晩年についてこう言っていました。「私の巣で私は死のう」。これは「私は家族に囲まれて死ぬ」という意味です(新共同訳参照)。子供たちに囲まれていたヨブは、子供たちに囲まれて最後の日を迎えると思っていたのです。ヨブは長寿を全うし、川のほとりに植えられた木のように生き生きとした、人々から重んじられる晩年を過ごすと考えていたのです。

 21節から25節までをお読みします。

 人々は私の話に聞き入り、望みを抱きながら/黙って私の助言に従った。私が語った後でも言い返さず/私の言葉は彼らの上に滴り落ちた。彼らは雨を待つように私を待ち/春の雨を仰ぐように口を開いた。彼らが確信を失っているときでも/私は彼らにほほ笑みかけ/彼らのせいで顔の光を曇らせることはなかった。私は彼らに道を示し、頭として座した。私は軍勢の中の王のように住まい/嘆く者を慰める人のようであった。

 21節以下は、話の流れとしては、10節につながっています。ヨブの前に語るのをやめた人々は、ヨブの話に聞き入り、望みを抱きながら、黙ってヨブの助言に従いました。ヨブの言葉は、聞く人々にとって、恵みの雨のようであったのです(4:3、4参照)。人々が確信を失っているとき、ヨブは彼らにほほ笑みかけました。ヨブは彼らに道を示す、頭(かしら)として、広場に座していたのです。ヨブは、かつての自分についてこう言います。「私は軍勢の中の王のように住まい/嘆く者を慰める人のようであった」。ここで思い起こしたいことは、古代の世界において、王とは弱い人、貧しい人を憐れみ、助ける者であったということです。『詩編』の第72編12節に、こう記されています。「王が、叫び声を上げる貧しい人を/助ける者もない人を救い出しますように。弱い人、貧しい人を憐れみ/貧しい人の命を救い/虐げと暴力からその命を贖い/王の目にその人たちの血が貴いものでありますように」。このように、王には、弱い人、貧しい人を憐れみ、その命を助けることが求められていたのです。ヨブが、「私は軍勢の王のように住まい」と言うとき、それはヨブが「嘆く者を慰める人」であったからです。ヨブは、嘆くものを慰め、人々を正しい道へと導く王のような人物でありました。ヨブの正義(ツェデク)と公正(ミシュパート)は、ヨブの周りの人々にも及んでいたのです。

 ここでヨブは、昔は良かったと、ただ懐かしんでいるのではありません。ヨブは、独り言を語っているのではなくて、神に対して語っています。かつて自分がどのような者であり、かつて神が自分をどのように取り扱ってくださったかを、ヨブは神に対して語っているのです。

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