ビルダドの3回目の弁論 2024年7月03日(水曜 聖書と祈りの会)

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ビルダドの3回目の弁論

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨブ記 25章1節~6節

聖句のアイコン聖書の言葉

25:1 シュア人ビルダドは答えた。
25:2 支配と恐れは御もとにあり/神はその高みに平和を作る。
25:3 その軍勢の数ほどのものが他にあるだろうか。/その光に照らされない者がいるだろうか。
25:4 人はどうして神に対し正しくありえようか。/女から生まれた者がどうして清くありえようか。
25:5 見よ、月でさえ輝きを失い/星々も神の目には清くない。
25:6 まして、人は蛆/人の子は虫けらにすぎない。
ヨブ記 25章1節~6節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『ヨブ記』の第25章1節から6節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。今朝の御言葉には、ビルダドの3回目の弁論が記されています。

 今朝の御言葉を読んで、先ず気づくことは、「短い」ということです。それで、ある研究者(並木浩一)は、第26章5節から14節を、ヨブの言葉ではなく、ビルダドの言葉であると理解します。文章が前後いりまじって乱れていると理解します(錯簡)。確かに、第26章5節から14節は、ビルダドの言葉のように読めます。また、他のある研究者(J.G.ジャンセン)は次のように説明しています。ビルダドの話が短いのは、ヨブがビルダドの話を遮ったからであり、第26章5節から14節が、ビルダドの言葉のように読めるのは、ヨブが、ビルダドが語ろうとした言葉を先取りして語ったからであると言います。ヨブは、ビルダドの言葉にうんざりして、ビルダドの話を遮り、ビルダドが語ろうとしたことを自分の口で語ってみせたというのです。

 私も、ヨブがビルダドが語ろうとしたことを先取りして、自分の口で語ってみせたという解釈を取りたいと思います。

 第22章5節で、エリファズはヨブの悪は多く、過ちは果てしないとヨブを断罪しました。それに対して、ヨブは、第23章で、神の裁きの場に出るならば、神は自分を正しいとしてくれるはずだと語りました。第23章7節で、ヨブはこう言いました。「そこでは、正しい人がその方と論じることができ/私は永遠に裁きから解放される」。この「正しい人」とはヨブのことであるようです。また、第23章10節から12節で、ヨブはこう言っていました。「しかし、神は私と共にある道を知っている。その方が私を試せば、私は金のように価値を現す。私の足はその方の歩みをしっかりと捉え/私はその道を守って、それることはない。その唇が与えた戒めから私は離れず/私の掟よりも、その口から出た言葉を心に納める」。このように、ヨブは自分が正しい者であることを主張したのです。そのヨブの主張を受けて、ビルダドは、こう言います。

 第25章1節から3節までをお読みします。

 シュア人ビルダドは答えた。支配と恐れは御もとにあり/神はその高みに平和を作る。その軍勢の数ほどのものが他にあるだろうか。その光に照らされない者がいるだろうか。

 ビルダドは、「神は恐ろしい支配によって、天に平和を作る」と言います。ここでの平和は、「軍勢」に例えられる無数の星々が夜空を秩序正しく運行していることを言っています。「その光に照らされない者がいるだろうか」の「その光」とは、星の光というよりも「光るもの」を造られた神の裁きの栄光を指しています。ヨブは、「神の裁きの場に出ることができれば、自分を正しいとしてくださるはずだ」と言いました(23:3〜7参照)。しかしビルダドは、神は恐るべき支配者であり、その支配は無数の軍勢(星々)を従わせるほどであり、その支配から逃れられる者は誰もいないと言うのです。ビルダドは、ヨブが正しいとされるか、どうかについては答えずに、神の超越的で包括的な支配について語るのです。

 4節から6節までをお読みします。

 人はどうして神に対して正しくありえようか。女から生まれた者がどうして清くありえようか。見よ、月でさえ輝きを失い/星々も神の目には清くない。まして、人は蛆/人の子は虫けらにすぎない。

 ここで、ビルダドが語っていることは、エリファズが第一回の弁論で語ったことの繰り返しです。第4章17節から19節で、エリファズはこう言っていました。旧約の766ページです。

「人は神より正しくありえようか。人は造り主より清くありえようか。見よ、神はその僕たちを信頼せず/御使いにも過ちを認める。まして、泥の家に住む者/塵に土台を据えるものは/虫のように潰される。」

このように、ビルダドは、かつてエリファズが語ったことを繰り返すのです。ビルダドは、神が聖なる清い御方であることを語ることによって、ヨブの「自分は正しい」という主張を否定するのです。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の794ページです。

ビルダドが第4章に記されていたエリファズの言葉を語ったことは、友人たちとの議論が振り出しに戻ったことを示しています。それゆえ、ヨブは、ビルダドが語ろうとする言葉を遮って、「どのようにして、あなたは力のない者を助け/無力な腕を救ったのか」と言うのです(26:2)。ヨブは、「あなたの言葉は、何の助けにもならない」と言うのです。神は恐るべき支配権をもっておられます。そのことは夜空の星々の運行を見るだけでも分かります。また、聖なる神の御前に正しいとされる人間は誰もいません。神からすれば、人間は虫けらに等しい存在です。それほどに、神と人間の隔たりは大きいのです。ここで、ビルダドが言っていることは、確かにそのとおりです。しかし、その言葉が、力のない者を助けるかと言えば、助けないのです。無力な腕を救うかと言えば、救わないのです。救うどころか、絶望に突き落としてしまうのです。ですから、ヨブは、ビルダドの言葉を遮ったのです。ビルダドの言葉は正しくても、力を失った友人を励ます言葉としては間違っているのです。

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