エリファズの3回目の弁論① 2024年5月22日(水曜 聖書と祈りの会)
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エリファズの3回目の弁論①
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- 村田寿和 牧師
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ヨブ記 22章1節~20節
聖書の言葉
22:1 テマン人エリファズは答えた。
22:2 人は神にとって益となるだろうか。/悟りある者も自分を益するだけだ。
22:3 あなたが正しいとしても/それが全能者を喜ばせるだろうか。/あなたの道が完全でも/それが神の利益になるだろうか。
22:4 神を畏れるからといって、神はあなたを弁護し/あなたと共に裁きの場に臨むだろうか。
22:5 あなたの悪は多く/あなたの過ちは果てしないではないか。
22:6 あなたは理由もなく同胞から質を取り/裸の者たちの衣を剥ぎ取る。
22:7 渇いた者に水を飲ませず/飢えた者に食物を与えない。
22:8 腕力で土地をわが物にする者/そこに住む顔役のように。
22:9 あなたはやもめを空しく去らせ/みなしごの腕を砕く。
22:10 それゆえ、あなたの周りを罠の網が囲み/思いがけない恐怖があなたを脅かす。
22:11 あるいは、暗闇であなたは見ることができず/洪水があなたを覆う。
22:12 神は天の高みにおられるではないか。/見よ、星々の頂がいかに高いかを。
22:13 しかし、あなたは言う。/「神は何を知っているのか。/密雲の向こうから裁くことができようか。
22:14 雲が覆いとなって、神は見ることができず/天の周りを歩き回るだけではないか」と。
22:15 あなたは昔からの道を守ろうとするのか/不義の者たちが歩んだ道を。
22:16 彼らは時が来る前に取り去られ/流れがその土台を押し流す。
22:17 神に向かって、彼らは言った。/「私たちから離れてくれ。/全能者が私たちに何ができようか」と。
22:18 神は彼らの家を良いもので満たしていた。/しかし悪しき者の謀は私から遠い。
22:19 正しき人はこれを見て喜び/罪なき人は彼らを嘲り笑う。
22:20 「確かに、私たちの敵は滅ぼされ/彼らが残したものも火が焼き尽くす」と。
ヨブ記 22章1節~20節
メッセージ
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今朝は、『ヨブ記』の第22章1節から20節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。今朝の御言葉には、「エリファズの三回目の弁論」が記されています。
1節から4節までをお読みします。
テマン人エリファズは答えた。
人は神にとって益となるだろうか。悟りある者も自分を益するだけだ。あなたが正しいとしても/それが全能者を喜ばせるだろうか。あなたの道が完全でも/それが神の利益になるだろうか。神を畏れるからといって、神はあなたを弁護し/あなたと共に裁きの場に臨むだろうか。
ここでエリファズは、ヨブの主張、「わたしは正しく、潔白である」という主張を念頭に置いて語っているようです(9:20、11:4参照)。エリファズは、もし仮に、ヨブが正しいとしても、全能者を喜ばせることはできない。もし仮に、ヨブの道が完全でも、神の利益にはならないと言います。第21章15節で、ヨブは悪人の言葉として、次のように言いました。「『全能者とは何者なのか/我々が仕えなければならないとは。彼に願ったところで/私たちにどんな利益があるのか』と」。悪人は、神に仕えることによって得られる自分の利益について語ります。エリファズは、人に仕えられる神の利益について語るのです。エリファズによれば、人は神に何の利益をも与えることはできないのです。ここで、エリファズが語る神は、心を持たない非人格的な神であります。それはエリファズが応報思想を徹底化して、必ずそうなるとする応報原理から神を考えているからです。エリファズにとって神は何よりも全能者であり、人によって益を受けたり、喜ばせられたりすることはないのです。ヨブは神を畏れる者として、神の正しい裁きを求めて共に裁きの場に臨みたいと願うのですが、エリファズの神はそのようなことに無関心であるのです。
5節から11節までをお読みします。
あなたの悪は多く/あなたの過ちは果てしないではないか。あなたは理由もなく同胞から質を取り/裸の者たちの衣を剥ぎ取る。渇いた者に水を飲ませず/飢えた者に食物を与えない。腕力で土地をわが物にする者/そこに住む顔役のように。あなたはやもめを空しく去らせ/みなしごの腕を砕く。それゆえ、あなたの周りを罠の網が囲み/思いがけない恐怖があなたを脅かす。あるいは、暗闇であなたは見ることができず/洪水があなたを覆う。
ここでエリファズは、はっきりと、ヨブを悪人であると言います。「あなたの悪は多く/あなたの過ちは果てしない」と断言するのです。そして、ヨブが犯したであろう過ちとして、貧しい者を虐げたこと、やもめとみなしごを保護しなかったことを語るのです(出エジプト22:20〜26参照)。エリファズは、ヨブがこのような過ちを犯したのを見たわけではありません。エリファズは、ヨブの周りを罠の網が囲み、思いがけない恐怖に脅かされている現状から、ヨブの悪は多く、ヨブの過ちは果てしないと決めつけるのです。ヨブが被っている災いを、暗闇と洪水に象徴される神の裁きと見なして、ヨブは貧しい者を虐げ、やもめとみなしごを保護しなかった悪人であると決めつけるのです。
12節から20節までをお読みします。
神は天の高みにおられるではないか。見よ、星々の頂きがいかに高いかを。しかし、あなたは言う。「神は何を知っているのか。密雲の向こうから裁くことができようか。雲が覆いとなって、神は見ることができず/天の周りを歩き回るだけではないか」と。あなたは昔からの道を守ろうとするのか/不義の者たちが歩んだ道を。彼らは時が来る前に取り去られ/流れがその土台を押し流す。神に向かって、彼らは言った。「私たちから離れてくれ。全能者が私たちに何ができようか」と。神は彼らの家を良いもので満たしていた。しかし悪しき者の謀は私から遠い。正しき人はこれを見て喜び/罪なき人は彼らを嘲り笑う。「確かに、私たちの敵は滅ぼされ/彼らが残したものも火が焼き尽くす」と。
エリファズは、神が天の高みにおられること、神の超越性を語ります。そして、その神に対して、ヨブが「神は何を知っているのか。密雲の向こうから裁くことができようか。雲が覆いとなって、神は見ることができず、天の周りを歩き回るだけではないか」と語ったと言うのです。このエリファズの言葉は、第21章のヨブの言葉を曲解したものです。第21章でヨブは、神が必ずしも悪しき者に災いをくださないことを語りました(21:17「幾たびも」参照)。エリファズは、そのヨブの言葉を曲解して、ヨブが神の裁きそのものを否定しているかのように語るのです。エリファズにとって、ヨブは不義の者たちの道を歩む悪しき者であるのです。17節と18節は、第21章14節と16節を背景にしています。ヨブは、第21章14節で、神に対する悪人の言葉を語りました。「彼らは神に向かって言う。『私たちから離れてくれ。あなたの道など、私たちは知ろうとは思わない』」。また、第21章16節で、ヨブは、悪人が幸いを手にしていること。悪しき者の謀は自分から遠いことを語りました。ヨブは、「悪しき者の謀は私から遠い」と言うことによって、悪しき者と自分との間に一線を引いたわけです。しかし、第22章18節で、エリファズが「しかし悪しき者の謀は私から遠い」と言うとき、その「悪しき者」とはヨブのことであり、「私」とは「エリファズ」のことであるのです。19節に、「正しき人はこれを見て喜び/罪なき人は彼らを嘲り笑う」とありますが、エリファズは、自分のことを「正しき人」、「罪なき人」と言うのです。ヨブは、第21章で、悪しき者が繁栄している現実を語りました。その現実から、友人たちが説く応報原理を否定したわけです。しかし、エリファズは、悪しき者であるヨブが災いを被っている現実から、応報原理が確かであると言うのです。