エリファズの2回目の弁論を受けてのヨブの答え③ 2024年2月21日(水曜 聖書と祈りの会)

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エリファズの2回目の弁論を受けてのヨブの答え③

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨブ記 17章1節~10節

聖句のアイコン聖書の言葉

17:1 私の霊は破れ、私の日々は消え去る。/私にあるのは墓ばかり。
17:2 ただ嘲りが私を取り囲み/私の目は彼らの挑発の中で夜を過ごす。
17:3 どうか、私を保証する者を/あなたの傍らに置いてください。/ほかに誰が私の味方をしてくれるでしょうか。
17:4 彼らが悟ることのないように/あなたが彼らの心を閉ざしたからです。/ですから、あなたが彼らを/高めるはずはありません。
17:5 分け前を得るために友の告げ口をする者/その子らの目は衰える。
17:6 彼は私を民の笑いぐさとし/私は顔に唾を吐かれる者になった。
17:7 私の目は怒りのゆえに衰え/手足はどれも皆、影のようだ。
17:8 正しい人々はこれに驚き/罪のない人は神を敬わない者に憤る。
17:9 正しき人はその道を捉え/手の清い人は強さを増す。
17:10 だが、あなたがたは皆、戻って来るがよい。/私はあなたがたの中に/知恵ある人を見いだせない。ヨブ記 17章1節~10節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『ヨブ記』の第17章1節から10節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。第17章には、第16章に続いて、エリファズの2回目の弁論を受けてのヨブの言葉が記されています。

 1節から10節までをお読みします。

 私の霊は破れ、私の日々は消え去る。私にあるのは墓ばかり。ただ嘲りが私を取り囲み/私の目は彼らの挑発の中で夜を過ごす。どうか、私を保証する者を/あなたの傍らに置いてください。ほかに誰が私の味方をしてくれるでしょうか。彼らが悟ることのないように/あなたが彼らの心を閉ざしたからです。ですから、あなたが彼らを/高めるはずはありません。分け前を得るために友の告げ口をする者/その子らの目は衰える。彼は私を民の笑いぐさとし/私は顔に唾を吐かれる者になった。私の目は怒りのゆえに衰え/手足はどれも皆、影のようだ。正しい人々はこれに驚き/罪のない人は神を敬わない者に憤る。正しき人はその道を捉え/手の清い人は強さを増す。だが、あなたがたは皆、戻って来るがよい。私はあなたがたの中に/知恵ある人を見いだせない。

 ヨブは、直前の第16章22節で、「僅かな年月が過ぎ去れば/私は帰らぬ道を行くだろう」と言っていました。その言葉に続けて、「私の霊は破れ、私の日々は消え去る。私にあるのは墓ばかり」と言うのです。ヨブは、自分が人生を終えて、墓に葬られることを身近に感じているのです。2節に、「ただ嘲りが私を取り囲み/私の目は彼らの挑発の中で夜を過ごす」とあります。ヨブが人々から嘲られていたことは、第30章に記されています。旧約の799ページです。第30章1節から15節で、ヨブはこう言っています。

 しかし今は、私より年若い者が私を笑っている。彼らの父親は、私が退け/群れの番犬と一緒に置いた者だ。その手の力は私に何の役にも立たず/その気力はうせていた。欠乏と飢饉で収穫もなく/廃墟と荒廃の暗闇で乾いた地をかんでいた。やぶの中からあかざを摘み取り/えにしだの根を食物としていた。人々は彼らを世間から追い払い/盗人呼ばわりした。彼らは谷の斜面や土の穴や洞穴に住み/やぶの間でうなり声を上げ/いらくさの下で群れていた。彼らは愚かな者たち、名もない者たち/土地から追い出された者たちであった。しかし今は、私が彼らの嘲りの歌となり/彼らの笑いぐさとなっている。彼らは私を忌み嫌い、私を遠ざけ/容赦なく顔に唾を吐きかける。神が私の綱を解いて苦しめたので/彼らも私の前で慎みを捨てたのだ。悪党どもが右に立ち、私の足を払いのけ/私に向かって災いの道を築き上げる。彼らはわたしの道を壊し/災いへと追いやろうとするが/彼らを止める者はいない。彼らは広い破れ口から/なだれ込むように入って来て/廃墟の中に押し寄せる。恐怖が私に押し寄せ/私の威厳を風のように追い払い/私の繁栄は雲のように過ぎ去った。

 このようにヨブは、人々から嘲られ、人々の挑発の中で夜を過ごしていたのです。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の784ページです。

 3節でヨブは、「どうか、私を保証する者をあなたの傍らに置いてください。ほかに誰がわたしの味方をしてくれるでしょうか」と言います。ヨブは、第16章19節で、「今も天に私の証人がいる。私のために証言してくれる方が高い所にいる」と言いました。そして、第17章3節では、「私を保証する者」について語るのです。ヨブを保証する者とは、ヨブの正しさを保証する者のことです。ヨブは、三人の友人たちに自分の正しさを保証してほしかったのだと思います。しかし、友人たちは、神のために欺きを語り、かえってヨブを罪に定めました(13:7~10参照)。それゆえ、ヨブは、神に対して、「どうか、私を保証する者を/あなたの傍らに置いてください」と願うのです。ヨブの正しさを保証する者とは、誰のことでしょうか。それは、神御自身です。ヨブは、神に対して、神が自分の正しさを保証してくださるようにと願うのです。3節の後半に、「ほかに誰が私の味方をしてくれるでしょうか」とあります。このところを岩波書店の翻訳聖書は、次のように訳しています。「誰が私のために手を打ってくれるだろうか」。「味方をする」と訳されている言葉は、直訳すると「手を打つ」となるのです。手を打つことは、保証人となることを示す行為です。『箴言』の第11章15節に次のように記されています。「他人の保証をすると災難が降りかかり/手を打って誓うことをいとえば安心していられる」。神に対して、ヨブは正しい人ですと保証して、手を打つことができる人間は誰もいません。ただ神だけが神に対して、ヨブの正しさを保証し、手を打つことができるのです。

 ヨブは4節で、「彼らが悟ることのないように/あなたが彼らの心を閉ざしたからです。ですから、あなたが彼らを高めるはずはありません」と言います。ここでの「彼ら」はヨブと議論している三人の友人たちのことです。ヨブは神が友人たちの心を閉ざしたと言います。それゆえ、友人たちがヨブとの論争に勝利することはないと言うのです。5節に、「分け前を得るために友の告げ口をする者/その子らの目は衰える」とあります。この5節の御言葉を、新共同訳聖書は、ヨブに対する格言であると解釈しています。「『利益のために友を裏切れば/子孫の目がつぶれる。』この格言はわたしのことだと人は言う」。人々は、「ヨブの子供たちが大風で倒れた家の下敷きになって死んだのは、ヨブが利益のために友を裏切ったからだ」と言っていたのです。人々は、ヨブが受けている苦しみをヨブの罪の報いであると考えました(応報思想)。ヨブは民の笑いぐさとされ、顔に唾を吐かれる者となりました。このことは、ヨブにとって耐え難い屈辱であります。なぜなら、ヨブは自分が正しく潔白であると確信していたからです。それゆえ、ヨブの目は怒りのゆえに衰え、手足は影のように力を失ってしまったのです。しかし、ヨブは、自分の正しさを認めてくれる正しい人々に心を向けます。そして、8節と9節でこう言うのです。「正しい人々はこれに驚き/罪のない人は神を敬わない者に憤る。正しき人はその道を捉え/手の清い人は強さを増す」。ヨブが友人たちに期待したのは、ヨブの苦しみに驚き、神のなされたことに憤ることでした。しかし、友人たちは、神によって心を閉ざされ、ヨブの正しさを保証するどころか、ヨブを罪に定めたのです。それゆえ、ヨブは10節でこう言います。「だが、あなたがたは皆、戻って来るがよい。私はあなたがたの中に/知恵ある人を見いだせない」。しかし、その友人たちが、ヨブに起こったことを正しく理解するときが来ます。それは、神が現れて、ヨブの正しさを保証してくださるときであるのです。今朝のそのところを読んで終わります。旧約の818ページ。第42章7節から9節までをお読みします。

 主はこれらの言葉をヨブに語った後、テマン人エリファズに言われた。「私の怒りがあなたとあなたの二人の友人に向かって燃え上がる。あなたがたは、私の僕ヨブのように確かなことを語らなかったからだ。今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七匹を用意し、私の僕ヨブのところに行き、自分のために焼き尽くすいけにえを献げなさい。そうすれば、私の僕ヨブはあなたがたのために祈るだろう。私は彼の願いを聞き入れる。あなたがたが私の僕ヨブのように確かなことを語らなかったという理由で、私があなたがたに恥辱を与えることはない。」テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルは行って、主が彼らに語られたとおりにした。そこで、主はヨブの願いを聞き入れた。

 このように神は、ヨブの友人たちに、ヨブの正しさを証言してくださいました。三人の友人たちは、ヨブが献げたいけにえと祈りによって恥辱を免れることができました。そのとき、三人の友人たちは、ヨブに起こったことを正しく理解する知恵を与えられたのです。このことは、イエス・キリストの十字架の出来事を、復活されたイエス・キリストから聖霊を与えられて、正しく理解することができた私たちの先取りであると言えるのです。

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