ツォファルの1回目の弁論 2023年11月15日(水曜 聖書と祈りの会)
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ツォファルの1回目の弁論
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- 村田寿和 牧師
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ヨブ記 11章1節~20節
聖書の言葉
11:1 ナアマ人ツォファルが答えた。
11:2 言葉を多くすれば、反論されずに済むだろうか。/口達者な者が正しいとされるのか。
11:3 あなたの空しい話は人々を沈黙させるだろうか。/あなたに嘲られて、恥をかかずに済むだろうか。
11:4 あなたは言った。/「私の教えは純粋で/あなたの目にも私は清廉だ」と。
11:5 ああ、神が語りかけ/あなたに対して唇を開いてくださるように。
11:6 神はあなたに隠された知恵を告げるだろう。/それは二倍も優れた考えになる。/知るがよい、神はあなたの過ちを忘れてくださる。
11:7 あなたは神を究め、見通すことができるか。/全能者を極みまで見通すことができるか。
11:8 天の高みについて、あなたは何ができるか。/陰府の深さについて、あなたは何を知りうるか。
11:9 それを測れば、地平よりも長く/海よりも広い。
11:10 もし神が通りすがりに人を捕らえ/裁きの場に呼び集めるなら/誰がそれを阻むことができようか。
11:11 神は偽る者を知っておられ/不義を見て、気付かないことはない。
11:12 愚かな者も悟りを得るだろう。/野ろばの子が人間として生まれることができるなら。
11:13 もし、あなたが心を定め/神に向かって両手を広げるとき
11:14 手に不義があれば、それを遠ざけよ。/あなたの天幕に不正を住まわせるな。
11:15 そうすれば、あなたは汚れのない顔を上げ/揺るぎなく立って、恐れるものはない。
11:16 こうしてあなたは労苦を忘れ/それを流れ去った水のように思う。
11:17 人生は真昼よりも光り輝き/たとえ暗くても、朝のようになる。
11:18 あなたは望みがあるので安らぎ/周りを見回して、安らかに眠る。
11:19 あなたが身を横たえても、脅かす者はなく/多くの者があなたの好意を願い求める。
11:20 だが、悪しき者たちの目はかすみ/彼らは逃げ場を失い/その望みは吐息のように消える。
ヨブ記 11章1節~20節
メッセージ
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今朝は、『ヨブ記』の第11章1節から20節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。「聖書協会共同訳」に基づいてお話しいたします。
第11章には、ヨブの言葉を受けてのナアマ人ツォファルの言葉が記されています。ヨブを慰めに来た三人の友人はテマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルですが、ツォファルは、三人の中で一番若かったと考えられています。年長者の順から語っていると考えられるからです。
1節から9節までをお読みします。
ナアマ人ツォファルが答えた。
言葉を多くすれば、反論されずに済むだろうか。口達者な者が正しいとされるのか。あなたの空しい話は人々を沈黙させるだろうか。あなたに嘲られて、恥をかかずに済むだろうか。あなたは言った。「私の教えは純粋で/あなたの目にもわたしは清廉だ」と。ああ、神が語りかけ/あなたに対して唇を開いてくださるように。神はあなたに隠された知恵を告げるだろう。それは二倍も優れた考えになる。知るがよい、神はあなたの過ちを忘れてくださる。あなたは神を究め、見通すことができるか。全能者を極みまで見通すことができるか。天の高みについて、あなたは何ができるか。陰府の深さについて、あなたは何を知りうるか。それを測れば、地平よりも長く/海よりも広い。
ツォファルは、ヨブの苦しみの中から語られた嘆きの言葉を、「空しいおしゃべり」として切り捨てます。ツォファルは、ヨブを同情する心を持ち合わせていません。よって、ツォファルには、ヨブの苦しみ、「なぜ、神は、正しく完全な自分を苦しみに遭わせるのか」という苦しみは分かりません。ツォファルにとって、口数を制することができないことは、ヨブが恥ずかしい愚か者であることの証拠であるのです(箴17:27参照)。
ツォファルは、ヨブの言葉を、4節で次のように要約します。「私の教えは純粋で/あなたの目にも私は清廉だ」。ツォファルは、ヨブの魂からの嘆きの言葉を「教え」と言います。この点からも、ツォファルはヨブの苦しみをまったく共有していないことが分かります。ここでの「あなた」は「神」のことです。ツォファルは、続けてこう言います。「ああ、神が語りかけ/あなたに対して唇を開いてくださるように」。このところを新共同訳は次のように翻訳していました。「しかし、神があなたに対して唇を開き/何と言われるか聞きたいものだ」。ヨブは「神の目にも私は清廉だ」と言うのですが、ツォファルは、「果たして神はそのように言われるかどうか聞きたいものだ」と言うのです。ツォファルは、「神はあなたに隠された知恵を告げるだろう」と言います。神の知恵には人間に表わされている面と、人間から隠されている面があるのです(イザヤ45:15「まことにあなたは御自分を隠される神」参照)。ですから、知恵の隠されている面を知る者は、二倍の優れた考えを持つことになるのです。そして、神の知恵の隠されている面を知るとき、ヨブは、神が自分の過ちを忘れてくださることを知るとツォファルは言うのです。
ツォファルは、7節から9節で、人間は神を究め、見通すことができないと語ります。「有限は無限を容れない」という言葉がありますが、有限である人間は、無限である神を究め、知り尽くすことはできないのです。神は天の高みよりも高く、陰府の深みよりも深く、地平よりも長く、海よりも広いのです。このこと自体は正しいことですが、ツォファルは、このことをヨブの主張に対する反論として語っていることに注意したいと思います。友人たちの言葉の中には真理と言えるものが多くあります。しかし、それがどのような文脈で語られているのかに、私たちは注意して読む必要があるのです。
10節から20節までをお読みします。
もし神が通りすがりに人を捕らえ/裁きの場に呼び集めるなら/誰がそれを阻むことができようか。神は偽る者を知っておられ/不義を見て、気付かないことはない。愚かな者も悟りを得るだろう。野ろばの子が人間として生まれることができるなら。もし、あなたが心を定め/神に向かって両手を広げるとき/手に不義があれば、それを遠ざけよ。あなたの天幕に不正を住まわせるな。そうすれば、あなたは汚れのない顔を上げ/揺るぎなく立って、恐れるものはない。こうしてあなたは労苦を忘れ/それを流れ去った水のように思う。人生は真昼よりも光り輝き/たとえ暗くても、朝のようになる。あなたは望みがあるので安らぎ/周りを見回して、安らかに眠る。あなたが身を横たえても、脅かす者はなく/多くの者があなたの好意を願い求める。だが、悪しき者たちの目はかすみ/彼らは逃げ場を失い/その望みは吐息のように消える。
ヨブは、第9章で神と法廷で争うことを願いました(9:3「人は神と争うことを望んでも/千に一つも答えることはできない」参照)。そのことを踏まえて、ツォファルは、人が神の裁きの場に集められるならば、誰もそれを阻むことはできず、不義に定められると言います。12節に、「愚かな者も悟りを得るだろう。野のばの子が人間として生まれることができるなら」とありますが、「野ろばの子」は「愚か者」を意味しています。そして、その愚か者とはヨブのことであるのです。ヨブは第6章5節で「野ろばは青草の上で鳴くだろうか」と言いました。そのことを踏まえて、ツォファルはヨブのことを野ろばの子、愚か者と言うのです。野ろばの子が人間として生まれることは不可能なことです。それと同じくらい、愚か者であるヨブが悟りを得ることも不可能であるとツォファルは言うのです。
ツォファルは、13節以下で、ヨブに悔い改めるようにと語ります。ツォファルは、ヨブのことを、口数を制することができない愚か者、神の御前に自分の潔白を主張する偽り者、不義を行う者と考えていました。そのヨブに対して、ツォファルは、不義と不正から遠ざかるようにと言うのです。そして、ツォファルは、ヨブが悔い改めるならば、ヨブが願っていたように、顔を上げて、揺るぎなく立ち、恐れるものはなくなると言うのです。不義や不正から離れて悔い改めるならば、ヨブの労苦は過去のものとなり、その人生は真昼よりも光り輝くというのです。この17節は、第10章22節を背景にしています。ヨブは、自分が行こうとしている陰府は、「暗黒が闇を照らすような地」であると言いました。しかし、ツォファルは、あなたが不義と不正から遠ざかれば、あなたの人生は真昼よりも光り輝くというのです。また、ヨブは身を横たえても夢で脅かされて眠れないと語っていました(7:14参照)。しかし、ツォファルは、ヨブが悔い改めるならば、脅かされることなく安らかに眠ることができると言うのです。ヨブが悔い改めならば、再び、多くの人がヨブの好意を得ようとするようになるのです。これは魅力的な言葉です。しかし、問題があります。それは、ヨブが自分は神の御前に正しく、完全であると確信していることです。そのヨブが、かつての祝福を再び手に入れるために、不義を認めて、悔い改めるならば、それこそ、サタンの思う壺であるのです。それでは、ヨブが祝福を得るために、神を畏れることになるからです。
『ヨブ記』において、サタンが出てくるのは、第1章と第2章だけです。しかし、サタンは、ヨブの妻やヨブの三人の友人たちの背後で働いているのです。そして、主がヨブの背後で働いているのです。三人の友人の背後でサタンが働いているように、ヨブの背後で主が働いてくださっている。主がヨブの信仰を支えてくださっているのです(聖徒の堅忍)。私たちは、そのような霊的な視点をもって、ヨブと三人の友人たちの議論を読み進めていきたいと思います。