ビルダドの1回目の弁論を受けてのヨブの答え④ 2023年11月08日(水曜 聖書と祈りの会)
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ビルダドの1回目の弁論を受けてのヨブの答え④
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- 村田寿和 牧師
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ヨブ記 10章8節~22節
聖書の言葉
10:8 あなたの手が私をかたどり、私を造ったのに/あなたは私と私を取り巻くものを/呑み込もうとしています。
10:9 思い出してください/あなたが泥をこねるように私を造ったことを。/あなたは私を塵に返そうとされます。
10:10 あなたは私を乳のように注ぎ出し/チーズのように固まらせたのではありませんか。
10:11 あなたは私に皮膚と肉をまとわせ/骨と筋とで私を編み合わせたのではありませんか。
10:12 あなたは私に命と慈しみを授け/私を顧みて、私の霊を見守りました。
10:13 あなたはこれらのことを/御心の内に隠していましたが/私は、このことが/あなたの内にあると知っています。
10:14 もし、私が罪を犯したとするなら/あなたは私を見張って/私の過ちを赦してくださらなくて/かまいません。
10:15 もし、私が悪しき者であるなら/それは私には災いです。/しかし、私は正しくても/頭を上げることができません。/恥に満たされ、苦しみを見ています。
10:16 私が頭を持ち上げると/あなたは獅子のように私を追い詰め/私に対し、驚くべき業で応えられます。
10:17 あなたは私の前に新たな証人を呼び/私に向かって怒りを募らせ/私に向けて次々に苦役を課せられます。
10:18 どうしてあなたは私を胎から引き出したのですか。/私が息絶えて/誰からも見られなければよかったものを。
10:19 私は存在しなかった者のように/母の胎から墓へと運ばれていたでしょう。
10:20 私の日々は僅かではありませんか。/私から離れてください。/そうすれば、私は僅かでも安らぐでしょう。
10:21 私が闇と死の陰の地に行って/二度と帰れなくなる前に。
10:22 そこは死の陰の暗黒のように真っ暗な地/秩序がなく、暗黒が闇を照らすような地です。」
ヨブ記 10章8節~22節
メッセージ
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今朝は、『ヨブ記』の第10章8節から22節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。「聖書協会共同訳」に基づいてお話しします。今朝の御言葉には、ヨブが魂の苦しみの中から神に対して語った言葉が記されています。
8節から17節までをお読みします。
あなたの手が私をかたどり、私を造ったのに/あなたは私と私を取り巻くものを/呑み込もうとしています。思い出してください/あなたが泥をこねるように私を造ったことを。あなたは私を塵に返そうとされます。あなたは私を乳のように注ぎ出し/チーズのように固まらせたのではありませんか。あなたは私に皮膚と肉をまとわせ/骨と筋とで私を編み合わせたのではありませんか。あなたは私に命と慈しみを授け/私を顧みて、私の霊を見守りました。あなたはこれらのことを/御心の内に隠していましたが/私は、このことが/あなたの内にあると知っています。もし、私が罪を犯したとするなら/あなたは私を見張って/私の過ちを赦してくださらなくてもかまいません。もし、私が悪しき者であるなら/それは私には災いです。しかし、私は正しくても/頭を上げることができません。恥に満たされ、苦しみを見ています。私が頭を持ち上げると/あなたは獅子のように私を追い詰め/私に対し、驚くべき業で応えられます。あなたは私の前に新たな証人を呼び/私に向かって怒りを募らせ/私に向けて次々に苦役を課せられます。
ここでヨブは、神が自分を造ったにもかかわらず、その自分を呑み込もうとしていることを非難しています。ヨブは、神の手によって造られた者として、「あなたは、何のために私を造られたのですか。私を呑み込むために造られたのですか」と神を非難するのです。『創世記』の第2章7節に、「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と記されています。また、第3章19節で、神は罪を犯したアダムに対して、「塵にすぎないお前は塵に返る」と言われました。そのようなはじめの人アダムのことを念頭において、ヨブは、「思い出してください。あなたが泥をこねるように私を造ったことを。あなたは私を塵に返そうとされます」と言うのです(イザヤ64:7「わたしたちは粘土、あなたは陶工/わたしたちは皆、あなたの御手の業」も参照)。
9節は、はじめの人アダムが土の塵から造られたことを背景にしていますが、10節と11節は、母親の胎における、神の創造の御業について記しています。10節に「あなたは私を乳のように注ぎ出し」とありますが、この注ぎ出された乳のようなものは、父親の子種、精液のことです。神は、父親の子種を母親の胎でチーズのように固まらせて、皮膚と肉をまとわせ、骨と筋を編み合わせて、ヨブを造られたのです(詩139編参照)。ヨブだけではなく、神はすべての人を、夫婦の交わりを用いて、その母親の胎において造られたのです。
神はヨブに命と慈しみを授けられました。この「慈しみ」はヘブライ語のヘセドで「契約に誠実な愛」を表します。ヨブに命を与えられた神は、ヨブと契約を結んでくださり、その契約に誠実な御方であるのです。神は契約に誠実な御方として、ヨブを顧みて、ヨブを垣根で囲って祝福してくださったのです。
13節に、「あなたはこれらのことを/御心の内に隠していましたが/私は、このことが/あなたの内にあると知っています」とあります。神が御心の内に隠していた「これらのこと」とは何でしょうか。また、神の内にある「このこと」とは何でしょうか。それは、12節にあるように、「神がヨブに命と慈しみを授け/ヨブを顧みて、ヨブの霊を見守っておられる」ということです。そして、そのことは、苦しみの中にある今も変わることはないのです。だからこそ、ヨブは、神に自分の嘆きを吐き出し、魂の苦しみの中から語りかけるのです。ヨブは神によって造られた者、神の慈しみに生きる主の僕として、こう言います。「もし、私が罪を犯したとするなら/あなたは私を見張って/わたしの過ちを赦してくださらなくて/かまいません。もし、私が悪しき者であるなら/それは私には災いです」。このようにヨブは、自分が神の御前に罪のない正しい者であることを誓うのです。ヨブは自分が正しいことを信じて疑わないのです。では、神の御前に頭をあげられるかと言えば、そのことを神は許されません。なぜなら、ヨブは恥に満たされ、苦しみを見ているからです。伝統的な知恵である応報思想によれば、ヨブは神から悪しき者として扱われているのです。もし、ヨブが頭を上げるようなことがあれば、神はヨブを獅子(ライオン)のように追い詰めて、さらなる苦役を課せられるのです。ヨブには神の慈しみ、契約に誠実な愛をもはや見いだすことができません。それゆえ、ヨブは命の神がおられない領域、死者の領域である陰府に思いを馳せるのです。
18節から22節までをお読みします。
どうしてあなたは私を胎から引き出したのですか。私が息絶えて/誰からも見られなければよかったものを。私は存在しなかった者のように/母の胎から墓へと運ばれていたでしょう。私の日々は僅かではありませんか。私から離れてください。そうすれば、私は僅かでも安らぐでしょう。私が闇と死の陰の地に行って/二度と帰れなくなる前に。そこは死の陰の暗黒のように真っ暗な地/秩序がなく、暗黒が闇を照らすような地です。
ヨブは自分を母の胎において造った神に、「どうしてあなたは私を胎から引き出したのですか」と言います。恥に満たされた、苦しみの多い人生を送るならば、生まれてすぐに息絶えて、墓へと運ばれればよかったのにと嘆くのです。ヨブの願いは、自分を苦しめる神が離れてくださって、僅かでも安らぐことです。ヨブは、二度と帰れない、闇と死の世界に行くまえに、神から離れて安らぎたいと願うのです。ヨブにとって、神はそのような恐ろしい御方であるのです。