ビルダドの1回目の弁論 2023年10月04日(水曜 聖書と祈りの会)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

ビルダドの1回目の弁論

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨブ記 8章1節~22節

聖句のアイコン聖書の言葉

8:1 シュア人ビルダドが答えた。
8:2 いつまであなたはこのようなことを語るのか。/あなたが口にする言葉は激しい風だ。
8:3 神は公正を曲げるだろうか。/全能者は正義を曲げるだろうか。
8:4 もし、あなたの子どもたちが神に罪を犯したならば/神は彼らをその背きの手に引き渡される。
8:5 もし、あなたが神を捜し求め/全能者に憐れみを乞うならば
8:6 もし、あなたが清く正しいならば/今や神はあなたのために目を覚まし/あなたの義の住まいを回復する。
8:7 あなたの始めは小さくても/その終わりは極めて大きくなる。
8:8 先の世代に尋ねてほしい。/先祖たちの究めたことを確かめよ。
8:9 私たちは昨日生まれた者にすぎず、何も知らない。/私たちの地上での日々は影にすぎない。
8:10 先祖たちはあなたに教え、あなたに語り/心からの言葉を伝えるのではないだろうか。
8:11 パピルスが沼地以外で育つだろうか。/葦が水なしに成長するだろうか。
8:12 まだ若草で、刈り取られもしないのに/どの草よりも先に枯れてしまう。
8:13 すべて神を忘れる者の道はこのとおりだ。/神を敬わない者の望みは消えうせる。
8:14 その人の頼みは拒まれ/そのよりどころは蜘蛛の巣のよう。
8:15 自分の家に寄りかかると、家は支えきれず/すがりつくと、持ちこたえない。
8:16 太陽の下ではみずみずしく茂り/若枝は庭に生え出で
8:17 その根は石塚に絡まり/石の間に入り込む。
8:18 たとえ、その場所からその人が取り除かれ/その場所が、「私はあなたを見たことがない」/と言って拒んだとしても
8:19 これが彼が望める人生の喜び。/そして、ほかのものが塵から芽を出すだろう。
8:20 見よ、神は完全な者を退けない。/悪をなす者の手を強くしない。
8:21 ついには、神はあなたの口を笑いで満たし/あなたの唇に歓喜の叫びを溢れさせる。
8:22 あなたを憎む者たちは恥をまとい/悪しき者の天幕はなくなる。
ヨブ記 8章1節~22節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『ヨブ記』の第8章から御言葉の恵みにあずかりたいと願います。お配りした聖書協会共同訳を用いてお話いたします。

 第6章と第7章に記されていたヨブの言葉を受けて、三人の友人の一人であるシュア人ビルダドは次のように答えました。

 第8章2節から7節までをお読みします。

 いつまであなたはこのようなことを語るのか。あなたが口にする言葉は激しい風だ。神は公正を曲げるだろうか。全能者は正義を曲げるだろうか。もし、あなたの子どもたちが神に罪を犯したならば/神は彼らをその背きの手に引き渡される。もし、あなたが神を探し求め/全能者に憐れみを乞うならば/もし、あなたが清く正しいならば/今や神はあなたのために目を覚まし/あなたの義の住まいを回復する。あなたの始めは小さくても/その終わりは極めて大きくなる。

 ヨブは、第6章26節後半で、「絶望した者の言うことを風にすぎないと思うのか」と言って、友人たちを非難しました。そのヨブの言葉を用いて、ビルダドは、「あなたが口にする言葉は激しい風だ」と言います。ここでの風は、「空しいもの」を象徴しています。ビルダドは、ヨブに、「あなたはいつまで空しい言葉を語るのか」とたしなめるのです。2節に「神は公正を曲げるだろうか。全能者は正義を曲げるだろうか」とあります。これは否定の答えを導く修辞的な問いかけです。ビルダドは、「神は公正を曲げることはない。全能者は正義を曲げることはない」と言います。このようにビルダドが言ったのは、ヨブの言葉に、神の公正と神の正義を否定する響きを聞き取ったからです。ヨブは自分の正しさを訴え、その自分に災いをくだす神に呼びかけました。そのヨブの言葉を聞いて、「神は公正を曲げることはない。全能者は正義を曲げることはない」とビルダドは言うのです。このことはヨブも認める真理であります。しかし、ヨブにとって問題は、公正と正義の神が、不正をしていない自分に対して脅迫の陣を敷かれたということであるのです。他方、ビルダドは、「神は公正を曲げることはない。全能者は正義を曲げることはない」という真理から、ヨブの子供たちが家の下敷きになって死んだのは、子供たちが罪を犯したからであると言うのです。「もし、あなたの子どもたちが神に罪を犯したならば/神は彼らをその背きの手に引き渡される」。ここで、「もし何々ならば」と仮定法で記されていますが、言いたいことは、「あなたの子らが、神に対して過ちを犯したからこそ/彼らをその罪の手にゆだねられたのだ」ということです(新共同訳)。ヨブの七人の息子と三人の娘は、大風で倒れた家の下敷きになって死んでしまいました。神は公正と正義を曲げることのない方ですから、ビルダドにとって考えられることは、子どもたちが罪を犯してその報いを受けたということであるのです。ビルダドにとって神は公正と正義を曲げることはないという真理は応報思想の根拠であるのです(応報とは「善悪の行為に応じて受ける報い」の意味)。それにしても、このビルダドの言葉は、ヨブを深く傷つける言葉であったと思います。しかし、このことについてヨブは反論していません。第1章5節によると、子どもたちの祝宴が一巡りする度に、ヨブは彼らの数に相当する焼き尽くすいけにえを献げていました。それは、「もしかすると子どもたちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからです。ヨブの子どもたちが罪を犯して、その報いとして亡くなった。このビルダドの言葉は、ヨブを深く傷つける言葉ですが、そのことを子どもたちのためにいけにえをささげていたヨブは否定しないのです。

 ビルダドは続けてこう言います。「もし、あなたが神を探し求め/全能者に憐れみを乞うならば/もし、あなたが清く正しいならば/今や神はあなたのために目を覚まし/あなたの義の住まいを回復する。あなたの始めは小さくても/その終わりは極めて大きくなる」。「もしあなたが」とあるように、話題は「ヨブの子どもたち」から「ヨブ」に移ります。「ヨブの子どもたち」のことは既に起こった過去のことです。しかし、ヨブに起こっていることは、現在進行形であります。ビルダドは応報思想で物事を考えますから、ヨブについては「罪を犯した」とは言いません。ただヨブの態度に問題があるとは考えています。ヨブは「あなたが捜し求めても/わたしはもういないでしょう」と言いました(7:8、21)。そのヨブに対して、ビルダドは、「もし、あなたが神を探し求め」るならばと言うのです。「神が捜してくださるのを待つのではなく、あなたが神を捜しと求めるならば」とビルダドは言うのです。また、ヨブは「全能者の矢に射抜かれ/わたしの霊は毒を吸う」と不平を言いました(6:4)。そのヨブに対して、「もし、あなたが全能者に憐れみを乞うならば」と言うのです。さらに、ビルダドは、「もし、あなたが清く正しいならば」と言います。ヨブは、神の目から見ても無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていました(1:8参照)。ですから、実際に、ヨブは清く正しい人であるのです。そのヨブに対して、ビルダドは、「もし、あなたが清く正しいならば、今や神はあなたのために目を覚まして、あなたの義の住まいを回復する」と言うのです。「義の住まい」とは、災いに遭う前の祝福された状態のことです。神は以前の祝福された状態を回復してくださるばかりか、さらに大きな祝福を与えてくださるというのです。これも応報思想に基づく発言ですね。公正で正義の神は罪を犯した者に罰をもって報いられる。他方、善を行う者には祝福をもって報いられる。ヨブが清く正しいのであれば、そして、神を探し求め、憐れみを乞うならば、神は今、ヨブを苦しみの中に置かれていても、やがて目を覚まして、以前のような祝福を与えてくださる。いや、以前よりも大きな祝福を与えてくださるとビルダドは言うのです。

 8節から19節までをお読みします。

 先の世代に尋ねてほしい。先祖たちの極めたことを確かめよ。私たちは昨日生まれた者にすぎず、何も知らない。私たちの地上での日々は影にすぎない。先祖たちはあなたに教え、あなたに語り/心からの言葉を伝えるのではないだろうか。パピルスが沼地以外で育つだろうか。葦が水なしに成長するだろうか。まだ若草で、刈り取られもしないのに/どの草よりも先に枯れてしまう。すべて神を忘れる者の道はこのとおりだ。神を敬わない者の望みは消えうせる。その人の頼みは拒まれ/そのよりどころは蜘蛛の巣のよう。自分の家に寄りかかると、家は支えきれず/すがりつくと、持ちこたえない。太陽の下ではみずみずしく茂り/若枝は庭に生え出で/その根は石塚に絡まり/石の間に入り込む。たとえ、その場所からその人が取り除かれ/その場所が、「私はあなたを見たことがない」と言って拒んだとしても/これが彼が望める人生の喜び。そして、ほかのものが塵から芽を出すだろう。

 ビルダドは、先祖たちの極めた知恵の言葉に聞くようにと、ヨブを諭します。そして、知恵の言葉として、神を忘れる者を水がなくて枯れてしまうパピルスや葦に喩えます。また、神を敬わない者の望みがいかに儚いものであるかを、蜘蛛の巣や寄りかかると傾いてしまう家に喩えます。神を敬わない者は太陽の下でみずみずしく茂り、若枝を伸ばし、根を石塚に絡ませていても、やがてはその場所から取り除かれて、忘れられてしまう植物のようであるのです。この知恵の言葉から結論として言えることは何でしょうか。

 20節から22節までをお読みします。

 見よ、神は完全な者を退けない。悪をなす者の手を強くしない。ついには、神はあなたの口を笑いで満たし/あなたの唇に歓喜の叫びを溢れさせる。あなたを憎む者たちは恥をまとい/悪しき者の天幕はなくなる。

 「神は完全な者を退けない。悪をなす者の手を強くしない」。ここには、公正で義なる神が正しい人には祝福をもって報い、悪人には罰を与えられるという応報思想があります。神は完全な者を退けることはない。それゆえ、ヨブが完全で正しいのであれば、神はヨブの口を笑いで満たし、ヨブの唇に歓喜の叫びを溢れさせてくださるのです。そして、神は、ヨブを憎む悪しき者の天幕をなくされるのです。ここで「なくなる」と訳されている言葉(アイーン)は、第7章21節のヨブの言葉、「あなたが捜し求めても、わたしはもういないでしょう」の「いないでしょう」と訳されているのと同じ言葉です。そのことが分かると、ビルダドが手放しで、ヨブのことを完全で正しい人間だと思っていないことが分かります。先祖たちの知恵の言葉によれば、すべての子どもと全財産を失い、ひどい皮膚病を患っているヨブは、むしろ悪しき者のようであるのです。ビルダドは、そのことをほのめかして、第一回の弁論を閉じるのです。

関連する説教を探す関連する説教を探す