ヨブと三人の友人 2023年8月16日(水曜 聖書と祈りの会)

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ヨブと三人の友人

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨブ記 2章11節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:11 さて、ヨブと親しいテマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルの三人は、ヨブにふりかかった災難の一部始終を聞くと、見舞い慰めようと相談して、それぞれの国からやって来た。
2:12 遠くからヨブを見ると、それと見分けられないほどの姿になっていたので、嘆きの声をあげ、衣を裂き、天に向かって塵を振りまき、頭にかぶった。
2:13 彼らは七日七晩、ヨブと共に地面に座っていたが、その激しい苦痛を見ると、話しかけることもできなかった。ヨブ記 2章11節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『ヨブ記』の第2章11節から13節より、「ヨブの三人の友人」という題でお話しします。

 今朝の御言葉には、ヨブの三人の友人であるテマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルが登場します。この三人は、第3章から第31章に渡って、ヨブと議論を繰り広げる人たちです。彼らはいずれも知恵の教師であったようです。簡単に一人一人見ていきます。「テマン人エリファズ」は、三人の中の代表的な人物です(42:7参照)。おそらく三人の中で最年長であったのでしょう。テマンはエドムの地名です。テマンは死海の南に位置します。エリファズもエドム人の名前です(創世36:4、10、12参照)。エドムのテマンは知恵で有名でした(エレミヤ49:7参照)。次に「シュア人ビルダド」ですが、ビルダドはアブラハムとケトラの間に産まれたシュアの子孫です(創世25:2参照)。最後の「ナアマ人ツォファル」についてはよく分かりません。ヨブもウツの地に住むエドム人であり、その三人の友人もエドム人であったのです。このことは、『ヨブ記』が知恵文学であることと関係しています。知恵の特徴の一つは国際的(インターナショナル)であることです。『ヨブ記』は、一民族のために記された書物ではなく、民族の垣根を越えたすべての人のために記された書物であるのです。『ヨブ記』が扱っているテーマは、すべての人に共通する普遍的なテーマであるのです。

 ヨブの三人の友人は、ヨブにふりかかった災難の一部始終を聞きました。同じ日に、ヨブがおびただしい家畜を略奪され、使用人を切り殺され、子供たちを失ったことを聞いたのです。また、ヨブ自身もひどい皮膚病にかかったことを聞いたのです。それで、三人の友人は、ヨブを見舞い慰めようと相談して、それぞれの国からやって来たのです。彼らが遠くからヨブを見ると、ヨブであることが見分けられないほどの姿になっていました。膿の出るひどい皮膚病によって、ヨブの容姿は変わり果てていたのです。『イザヤ書』の第52章に、主の僕の「姿は損なわれ、人とは見えず、もはや人の子の面影はない」と記されていますが、主の僕ヨブの姿も人とは見えないほどに、損なわれていたのです。三人の友人たちは、自分たちが想像もしなかったヨブの変わり果てた姿を見て、嘆きの声をあげ、衣を裂き、天に向かって塵を振りまき、頭にかぶりました。これらはいずれも悲しみと嘆きの表現(ジェスチャー)であります。三人の友人は七日七晩、ヨブと共に地面に座っていました。この「七日七晩」は、死者に哀悼の意を表する喪の期間です(創世50:10参照)。三人の友人は、ヨブの子供たちの死を悼んで、ヨブと共に喪の期間を過ごしたのです。三人の友人たちは、ヨブを見舞い慰めるために来ました。しかし、彼らは七日七晩、ヨブに話しかけることはできませんでした。ヨブの苦しみがあまりにも大きくて、三人の友人は、ヨブに、かける言葉がなかったのです。三人の友人たちは、衣を裂き、塵を頭にかぶって、ヨブの苦しみを自分の苦しみとして、ただ黙って、ヨブと共に地面に座っていたのです。そして、このことが、ヨブにとって大きな慰めとなったのではないかと私は思います。

 このお話しを準備するに当たって、聖学院大学出版会から2011年に出た『被災者と支援者のための心のケア』という冊子を読みました。東日本大震災で被災された方々とその支援をする人々の心のケアについて記されたものです。その冊子を読んで、グリーフワーク(喪の仕事)について、改めて考えました。愛する者との死別は、残された者に悲しみ(グリーフ)をもたらします。その悲しみに対処し、乗り越えていくのがグリーフワーク(喪の仕事)と言えます。愛する人を失って悲しんでいる人に、どう対処したらよいのか。その一つは、悲しみを共にすること。そして、悲しんでいる人と共にいることです。この三人の友人は、見事にそれをしているのです。彼らは、衣を裂き、塵をかぶって、黙って、ヨブと共にいました。このことが、ヨブにとって、大きな慰めとなったのではないかと思います。だからこそ、ヨブは、口を開き、自分の率直な思いを語ることができたのです。第3章のヨブの嘆きに答えるかたちで、第4章以下で、ヨブと三人の友人の議論が始まります。その議論の中で、三人の友人たちは、ヨブを説得しようとしたり、ヨブのことを罪に定めようとします。しかし、私たちが忘れてはならないのは、ヨブと三人の友人の議論の前に、ヨブと友人たちの無言の七日間があったということです。私たちも、友人がひどい災難にあったと聞けば、慰めようとお見舞に訪れると思います。しかし、その友人の悲しみを自分の悲しみとし、七日間、黙って、共にいられるかと言えば、難しいと思います。イエス・キリストの使徒パウロは、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」と言いました(ローマ12:15)。ヨブの三人の友人たちは、まさに、悲しむヨブと一緒になって悲しんだのです。だからこそ、ヨブは、三人の友人に、自分の胸にある思いを率直に語ることができたのです。

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