幸福も不幸も神の御手からいただく 2023年8月09日(水曜 聖書と祈りの会)
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幸福も不幸も神の御手からいただく
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- 村田寿和 牧師
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ヨブ記 2章1節~10節
聖書の言葉
2:1 またある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来て、主の前に進み出た。
2:2 主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。
2:3 主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。お前は理由もなく、わたしを唆して彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ。」
2:4 サタンは答えた。「皮には皮を、と申します。まして命のためには全財産を差し出すものです。
2:5 手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
2:6 主はサタンに言われた。「それでは、彼をお前のいいようにするがよい。ただし、命だけは奪うな。」
2:7 サタンは主の前から出て行った。サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。
2:8 ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。
2:9 彼の妻は、/「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言ったが、
2:10 ヨブは答えた。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。ヨブ記 2章1節~10節
メッセージ
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今朝は、『ヨブ記』の第2章1節から10節より、「幸福も不幸も神の御手からいただく」という題でお話しします。
また、ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来て、主の前に進み出ました。主はサタンにこう言われます。「お前はどこから来た」。サタンはこう答えました。「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩き回っていました」。主はサタンにこう言われます。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。お前は理由もなく、わたしを唆して彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ」。ここで「理由もなく」と訳されている言葉は、第1章9節で「利益もないのに」と訳されていたのと同じ言葉です。「ヨブが理由もないのに神を敬うでしょうか」というサタンの言葉を受けて、主は、「お前は理由もなく、わたしを唆して彼を破滅させようとした」と言われるのです。イエス様によれば、悪魔は最初から人殺しであり、悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っています(ヨハネ8:44参照)。つまり、サタンがヨブを破滅させようとするのに何か特別な理由はいらないのです。
一回目の天上の会合において、サタンは、「ヨブが主を畏れ敬うのは、多くの財産を与えられているからであって、全財産を失えば、神を呪うに違いない」と言いました。しかし、ヨブは、全財産を失っても、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名をほめたたえられよ」と言って、主を礼拝したのです。ヨブは全財産を失っても、完全であり続けたのです。
しかし、サタンはこう答えました。「皮には皮を、と申します。まして命のためには全財産を差し出すものです。手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません」。「皮には皮を」という言葉は、昔のことわざで、意味はよく分かりません。しかし、サタンがヨブの完全さを疑っていることは分かります。「人は命のためなら全財産を差し出す。人にとって最も大切なものは財産ではなく、自分の命である。その命を、あなたが守っているかぎり、ヨブが理由もなくあなたを畏れ敬っているとは言えない。手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。今度こそ、ヨブはあなたを呪うにちがいありません」とサタンは言うのです。主はサタンにこう言われます。「それでは、彼をお前のいいようにするがよい。ただし、命だけは奪うな」。一回目の天上での会合のとき、主はサタンに、「ただし彼には、手を出すな」と言われました。そして、二回目の天上の会合では、「ただし、命だけは奪うな」と主は言われるのです。今回も、サタンは、主の御許しのもとで、ヨブを自分のいいようにするのです。
主の前から出て行ったサタンは、ヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせました。『出エジプト記』の第9章に、エジプト人に膿の出るはれ物が生じたことが記されています(第六の災い)。そのような膿の出るはれ物がヨブの全身に生じたのです。「ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった」とあります。ここでヨブは、村の外にあるゴミ捨て場の灰の中に座っていたようです。ヨブはひどい皮膚病のために、人々から忌み嫌われて、社会から疎外されていたのです。ヨブはゴミ捨て場にある素焼きのかけらで体中をかきむしりました。体中がひどく痒かったのでしょう。
そのようなヨブに、彼の妻はこう言います。「どこまで無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」。この前半の言葉は主の言葉、「彼はどこまでも無垢だ」を思い起こさせます。しかし、大きく違う点は、ヨブの妻が「どこまで無垢でいるのですか」と問うていることです。また、後半の言葉はサタンの言葉、「面と向かってあなたを呪うに違いありません」を思い起こさせます。しかし、ここでも大きく違う点は、ヨブの妻が「神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と神を呪うように勧めている点です。ヨブの妻も、つらかったのだと思います。子供を失い、全財産を失ってしまった。夫であるヨブはひどい皮膚病にかかって苦しんでいる。ヨブの妻は、そのような夫を見るに耐えられなかったのでしょう。しかし、ヨブはこう答えます。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」。「お前まで愚かなことを言うのか」。この言葉を新改訳2017は、次のように翻訳しています。「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている」。ここでヨブは自分を妻を「愚かな女」とは言いません。「あなたも愚かな女と同じようなことを言っている」と、婉曲的に言うのです。そして、「私たち夫婦は、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と言うのです。ヨブは、幸福も不幸も神様の御手からいただこうと妻を諭すのです。
10節の後半に、「このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった」とあります。ここで「唇をもって」と言われていることは意味深長であります。と言いますのも、「心の中ではどうか」という問いが残るからです。ヨブは唇をもって罪を犯すことをしませんでした。しかし、その心には暗い思いが渦巻いていたのです。