主は与え、主は奪う 2023年8月02日(水曜 聖書と祈りの会)
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主は与え、主は奪う
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- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
ヨブ記 1章13節~22節
聖書の言葉
1:13 ヨブの息子、娘が、長兄の家で宴会を開いていた日のことである。
1:14 -15ヨブのもとに、一人の召使いが報告に来た。「御報告いたします。わたしどもが、牛に畑を耕させ、その傍らでろばに草を食べさせておりますと、シェバ人が襲いかかり、略奪していきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
1:16 彼が話し終らないうちに、また一人が来て言った。「御報告いたします。天から神の火が降って、羊も羊飼いも焼け死んでしまいました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
1:17 彼が話し終らないうちに、また一人来て言った。「御報告いたします。カルデア人が三部隊に分かれてらくだの群れを襲い、奪っていきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
1:18 彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。「御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。
1:19 すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
1:20 ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。
1:21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
1:22 このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。ヨブ記 1章13節~22節
メッセージ
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今朝は、『ヨブ記』の第1章13節から22節より、「主は与え、主は奪う」という題でお話しします。
13節に、「ヨブの息子、娘が、長兄の家で宴会を開いていた日のことである」とあります。この「長兄の家での宴会」は、長兄の誕生日の祝いの宴のことです。そのめでたい日に、ヨブのもとに、一人の召し使いが来てこう言いました。「御報告いたします。わたしどもが、牛に畑を耕させ、その傍らでろばに草を食べさせておりますと、シェバ人が襲いかかり、略奪していきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました」。3節によれば、ヨブは、「牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産」を持っていました。その牛と雌ろばがシェバ人によって略奪されてしまったのです。また、牧童たちも切り殺されてしまったのです。
話が終わらないうちに、また一人が来てこう言いました。「御報告いたします。天から神の火が降って、羊も羊飼いも焼け死んでしまいました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました」。3節によれば、ヨブは「羊七千匹」の財産を持っていました。その羊と羊飼いが天から降って来た神の火によって焼け死んでしまいました。「天から降って来た神の火」とは「稲妻」のことであると考えられます。しかし、ここで「稲妻が落ちて」とは言われずに、「天から神の火が降って」と言われていることが大切であると思います。羊と羊飼いは神の火によって焼け死んでしまったのです。
彼が話し終わらないうちに、また一人が来てこう言いました。「御報告いたします。カルデア人が三部隊に分かれてらくだの群れを襲い、奪っていきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました」。3節によれば、ヨブは「らくだ三千頭」の財産を持っていました。そのらくだの群れがカルデア人に奪われてしまったのです。また、牧童たちもカルデア人によって切り殺されてしまったのです。
彼が話し終わらないうちに、更にもう一人が来てこう言いました。「御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました」。2節によれば、ヨブは「七人の息子と三人の娘」を持っていました。その子供たちが、竜巻によって、家の下敷きになり、死んでしまったのです。このようにして、ヨブは、七人の息子と三人の娘、羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百軛、雌ろば五百頭、多くの使用人(生き残ったのは報告に来た四人だけ)を、一日の内に、失ってしまったのです。
私たちは、天上での主とサタンのやりとりを知っていますから、この背後には、サタンの働きがあったことを知っています。9節から11節で、サタンは主にこう言いました。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません」。そして、主はサタンにこう言われたのです。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな」。このように、主に許しを得たサタンの働きによって、ヨブは、すべての子供たちと全財産を失うことになるのです。しかし、ヨブはそのことを知りません。ヨブは天上での主とサタンとのやりとりを知らないのです。それゆえ、ヨブは、立ち上がり、衣を引き裂き、髪をそり落として、地にひれ伏してこう言うのです。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」。衣を引き裂き、髪をそり落とすことは、悲しみの表現です。ヨブは悲しみを表しつつ、地にひれ伏して、神様に絶対服従の姿勢をとります。そして、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」と言って、神様をほめたたえるのです。ヨブが「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう」と言うとき、「そこ」とは「母なる大地」のことです。土の塵から創られた人間は、土の塵へと帰るのです(創世3:19参照)。『コヘレトの言葉』の第5章14節に、「人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。来た時の姿で、行くのだ。労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない」と記されています。ヨブは、子供たちと財産を失って、コヘレトと同じようなことを言うのです。しかし、ヨブはコヘレトのように「これまた、大いに不幸なことだ」とは言いません。ヨブは、「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」と言うのです。ヨブは、「子供も財産も主から与えられたものであり、主はそれらを奪う自由を持っておられる」と言うのです。そして、主の御名をほめたたえるのです。サタンは、「ヨブが神を敬うのは、神が財産を与え、守っておられるからだ」と言いました。「ヨブの信仰は、御利益信仰だ」と言ったのです。しかし、そうではないことが証明されました。ヨブは神を呪うことはしませんでした。「主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」と神様を賛美したのです。では、なぜ、ヨブは主をほめたたえることができたのでしょうか。それは、主がすべてのものを造られた全能者であることをヨブが知っていたからです。ヨブは主に生かされている被造物として、創造主である神を畏れ敬い礼拝していたのです。ヨブは神が神であるゆえに礼拝していたのです。ここで大切なことは、被造物である人間には、創造主である神を畏れ敬い礼拝する義務があるということです(ウ告白7章1節参照)。ですから、ヨブは、子供たちと財産を失っても、「主の御名をほめたたえられよ」と神様を賛美したのです。