神を敬う理由 2023年7月19日(水曜 聖書と祈りの会)

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神を敬う理由

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨブ記 1章6節~12節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:6 ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。
1:7 主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。
1:8 主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」
1:9 サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。
1:10 あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。
1:11 ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
1:12 主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。ヨブ記 1章6節~12節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『ヨブ記』の第1章6節から12節より、「神を敬う理由」という題でお話しします。

 6節と7節をお読みします。

 ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼう歩き回っていました」とサタンは答えた。

主とは、その昔、モーセに、ホレブの山で示された神様の御名前であります(出エジプト3:14参照)。主は、「わたしはある」という意味で、「ヤハウェ」と発音されたであろうと考えられています。ある日、主の前に、神の使いたちが集まり、サタンも来ました。神の使いである天使は、主の御言葉を成し遂げ、御旨を果たす者と考えられていました(詩103:20「御使いたちよ、主をたたえよ/主の語られる声を聞き/御言葉を成し遂げる者よ」参照)。サタンは「敵」という意味ですが、ここではほうぼうを歩きまわって、人間の罪を告発する者として描かれています(ゼカリヤ3:1「主は、主の御使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、その右に立って彼を訴えようとしているサタンをわたしに示された」参照)。天上の集会には、主の御前に天使たちだけではなく、サタンもいたのです。

 8節から12節までをお読みします。

 主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地にあふれるほどです。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には手を出すな。」

 「地上を巡回して、ほうぼうを歩き回っていた」と言うサタンに、主は、「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか」と言われます。主は、ヨブを「わたしの僕」と言われるのです。これは名誉ある称号であります。主は、モーセを「わたしの僕」と呼ばれたように、ヨブを「わたしの僕」と呼ばれるのです(民数12:7参照)。ヨブは、主から「地上に彼ほどの者はいまい」と言われるほどの人物であるのです。ヨブは主の目から見ても、無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きているのです。これは、1節に記されていたヨブの人となりですが、そのことが主の口から語られています。ヨブは確かに無垢(完全)な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていたのです。

 それに対して、サタンはこう言いました。「ヨブが利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです」。サタンは、ヨブが主を敬っているのは、何か理由があると言います(聖書協会共同訳「ヨブが理由なしに神を畏れるでしょうか」参照)。主がヨブとその家と所有物のために垣根を巡らして守っているので、また、彼の手の業を祝福して財産を豊かにしているので、ヨブは主を敬っているのだと言うのです。分かりやすく言うと、サタンは「ヨブの信仰は御利益信仰だ」と言ったのです。このことは、ヨブの主人である主に対する挑戦でもあります。主の僕であるヨブが理由もなしに主を畏れ敬うかどうかに神の栄誉がかかっているのです(イザヤ49:3「あなたはわたしの僕、イスラエル。あなたによってわたしの輝きは現れる」参照)。

 サタンは、ヨブの信仰が御利益信仰であるかどうかを確かめるために、主にこう言います。「ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません」。主は、サタンにこう言われます。「ヨブのものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな」。ここで教えられることは、サタンは主の御許しの中で活動しているということです(ルカ22:31「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた」参照)。また、主が直接、ヨブの家畜を略奪させたり、ヨブの子供を死なせていないということです。主は、ヨブのものを一切、サタンの手にゆだねられたのです。主は、ヨブの家族と所有物の周りに垣根を巡らして守っておられました。その垣根を取り払って、サタンの手に委ねたのです。しかし、主は、一つの条件をつけられました。「ただし彼には、手を出すな」と言われたのです。そして、サタンは主のもとから出て行ったのです。サタンはヨブの一切のものを、自分のいいようにするために、主のもとから出て行ったのです。

 先程、私は、主の僕であるヨブが理由もなしに主を畏れ敬うかどうかに神の栄誉がかかっていると言いました。このことは、主の僕であるイエスにおいても当てはまります。主の僕イエスは理由もなしに主を畏れ敬い、十字架の死によって、主の御栄光をあらわされました。それゆえ、神様はイエス・キリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名、主という名を与えられたのです。その主イエス・キリストの僕として、私たちにも、理由もなしに、主を畏れ敬うことが求められているのです。主イエス・キリストを通してまことの神を知った私たちは、神が神であるゆえに、神を畏れ敬うことが求められているのです。  

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