義人ヨブ 2023年7月05日(水曜 聖書と祈りの会)

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義人ヨブ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨブ記 1章1節~5節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:1 ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。
1:2 七人の息子と三人の娘を持ち、
1:3 羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の富豪であった。
1:4 息子たちはそれぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、三人の姉妹も招いて食事をすることにしていた。
1:5 この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。ヨブ記 1章1節~5節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は『ヨブ記』の第1章1節から5節より、「義人ヨブ」という題でお話しします。

 聖書には様々な種類(ジャンル)の書物があります。歴史書や預言書、詩や格言など、様々な種類の書物があります。では、『ヨブ記』の種類は何かと言いますと、「知恵文学」であります。『ヨブ記』の背後には、正しい人が受ける苦難という現実の問題がありますが、史実というよりも文学作品であるのです。しかし、そのことは「ヨブ」という人が存在しなかったことを意味しません。『エゼキエル書』の第14章14節に、ノアとダニエルに並んでヨブの名前が記されています(14:20にも)。旧約の1314ページです。『エゼキエル書』の第14章12節から14節までをお読みします。

 主の言葉がわたしに望んだ。「人の子よ、もし、ある国がわたしに対して不信を重ね、罪を犯すなら、わたしは手をその上に伸ばし、パンをつるして蓄える棒を折り、その地に飢饉を送って、そこから人も家畜も断ち滅ぼす。たとえ、その中に、かの三人の人物、ノア、ダニエル、ヨブがいたとしても、彼はその正しさによって自分自身の命を救いうるだけだ、と主なる神は言われる。

 このように、エゼキエルの時代、ヨブはノアとダニエルと並ぶ義人(正しい人)として知られていたのです。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の775ページです。

 『ヨブ記』は、ヨブの伝承をもとにして編集されたと考えられますが、いつ頃、今のかたちに編集されたのかについては諸説があります。私は、バビロン捕囚後の時代(紀元前4世紀頃)ではないかと考えています。そのように考える一つの理由は、ヨブが受けた苦難とイスラエルの民が受けたバビロン捕囚という苦難が重ねて記されていると読むことができるからです。

 1節から3節までをお読みします。

 ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。七人の息子と三人の娘を持ち、羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の富豪であった。

 「ウツの地」は、死海の南東方向のエドム人の住む地方と考えられています(『哀歌』4:21「娘エドムよ、喜び祝うがよい/ウツの地に住む女よ。お前にもこの杯は廻って来るのだ。そのときは、酔いしれて裸になるがよい」参照)。ヨブはパレスチナの東にあるウツの地に住んでいたのです。ヨブは、無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていました。ヨブはまさしく義人であったのです。ヨブには七人の息子と三人の娘がおりました。旧約において、子どもは主からいただく祝福であります(詩127:3参照)。また、ヨブは羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、多くの使用人を所有していました。この記述からも分かるように、ヨブは遊牧民であり、時代設定としてはアブラハムの時代であるようです。ここでの数字は象徴的な意味を持っています。七人の息子と三人の娘、七と三を足すと10になります。また、羊七千匹とラクダ三千頭の七と三を足すと10になります。牛五百軛と雌ろば五百頭の五と五を足すと10になります。10は完全数ですから、この記述は、ヨブが完全に祝福された状態にあることを示しているのです。彼は東の国一番の富豪(大いなる者)であったのです。

 4節と5節をお読みします。

 息子たちはそれぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、三人の姉妹も招いて食事をすることにしていた。この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。

 新共同訳は「息子たちはそれぞれ順番に」と翻訳していますが、聖書協会共同訳は「息子たちはそれぞれ自分の日に」と翻訳しています(口語訳、新改訳も)。「自分の日」とは「自分が生まれた日」「誕生日」のことです(3:1の「自分の生まれた日」も原文では「彼の日」)。息子たちは自分の生まれた日に、自分の家に兄弟姉妹を招いて、祝宴を開いたのです。誕生日は神さまの恵みを覚える日でありますね。新共同訳は「宴会」と訳しているので、神様抜きで食べたり飲んだりしている印象を与えます。けれども、この宴会が自分の生まれた日の祝宴であれば、当然、神様に感謝をささげたと思います。ヨブは、息子たちの誕生を祝う宴会が一巡りするごとに、息子たちを呼び寄せて聖別しました。「聖別する」とは「神様のものとして取り分けること」です。ヨブは、息子たちの数に相当するいけにえをささげることによって、息子たちの罪を贖い、彼らを神様のものとして聖別したのです。父親であるヨブは、言葉や行いだけではなく、心の中の罪をも心配して、息子たちのために、いけにえをささげました。私たちに引き寄せて言えば、子供たちと一緒に礼拝をささげ、子供たちが罪を犯したのではないかと心配して、罪の赦しを祈り求めたのです。

 神様は、御自分を畏れる、正しい人ヨブに子供たちと財産を与えて、祝福してくださいました。そして、ヨブはそのような祝福をいただきながら、悪を避けて生きていました。神様は、御自分を畏れる、正しい人を祝福してくださる御方であります。その神様の祝福がヨブとその家族のうえに実現していたのです。

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