主よ、王に勝利を与えたまえ 2023年6月28日(水曜 聖書と祈りの会)

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主よ、王に勝利を与えたまえ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
詩編 20編1節~10節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】
20:2 苦難の日に主があなたに答え/ヤコブの神の御名があなたを高く上げ
20:3 聖所から助けを遣わし/シオンからあなたを支えてくださるように。
20:4 あなたの供え物をことごとく心に留め/あなたのささげるいけにえを快く受け入れ〔セラ
20:5 あなたの心の願いをかなえ/あなたの計らいを実現させてくださるように。
20:6 我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ/我らの神の御名によって/旗を掲げることができるように。主が、あなたの求めるところを/すべて実現させてくださるように。
20:7 今、わたしは知った/主は油注がれた方に勝利を授け/聖なる天から彼に答えて/右の御手による救いの力を示されることを。
20:8 戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが/我らは、我らの神、主の御名を唱える。
20:9 彼らは力を失って倒れるが/我らは力に満ちて立ち上がる。
20:10 主よ、王に勝利を与え/呼び求める我らに答えてください。

詩編 20編1節~10節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『詩編』の第20編より、「主よ、王に勝利を与えたまえ」という題でお話します。

 1節に、「指揮者によって。賛歌。ダビデの詩」とあるように、この詩編はダビデによって記されました。私たちは、この詩編をダビデによって記された詩編として、読み進めていきたいと思います。

 2節から6節までをお読みします。

 苦難の日に主があなたに答え/ヤコブの神の御名があなたを高く上げ/聖所から助けを遣わし/シオンからあなたを支えてくださるように。あなたの供え物をことごとく心に留め/あなたのいけにえを快く受け入れ/あなたの心の願いをかなえ/あなたの計らいを実現させてくださるように。我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ/我らの神の御名によって/旗を掲げることができるように。主が、あなたの求めるところを/すべて実現させてくださるように。

 ここでの「あなた」は、7節の「油注がれた方」であり、10節の「王」のことです。ダビデが王と呼んだのはサウルだけですから、ここでの「あなた」はサウル王のことを指しています。『サムエル記上』の第16章に、悪霊に悩まされるサウル王の気分を良くするために、竪琴の名手であるダビデが見出されたことが記されています。悪霊がサウル王を襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウル王は心が安らかになり、気分が良くなりました。ダビデは、竪琴を奏でて、王のための詩編を歌ったのだと思います。「苦難の日に主があなたに答え/ヤコブの神の御名があなたを高く上げ/聖所から助けを遣わし/シオンからあなたを支えてくださるように」。このような執り成しの祈りとも呼べる歌を聞いて、サウル王の心は安らかになり、気分が良くなったのです。

 また、この詩編は、戦いの前に歌われた戦勝祈願の詩編であるとも言われています。ダビデはサウル王の家臣として、サウル王と一緒に何度もペリシテ人と戦いました。その出陣の前に、主にいけにえをささげて勝利を祈願したのです(サムエル上7章、13章参照)。そのような状況を背景にして、2節から6節を読むと、すんなり心に入ってくると思います。ダビデはサウル王に仕える家臣として、「あなたの供え物をことごとく心に留め/あなたのいけにえを快く受け入れ/あなたの心の願いをかなえ/あなたの計らいを実現させてくださるように。我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ/我らの神の御名によって/旗を掲げることができるように。主が、あなたの求めるところをすべて実現させてくださるように」と祈るのです。このように、ダビデは、主がいけにえを快く受け入れて、王と自分たちに、勝利を賜るようにと祈っているのです。

 7節をお読みします。

 今、わたしは知った/主は油を注がれた方に勝利を授け/聖なる天から彼に答えて/右の御手による救いの力を示されたことを。

 7節は、ペリシテ人との戦いに勝利したダビデの言葉であるようです。サウル王の家臣として、サウル王と一緒に戦い、ペリシテ人に勝利したダビデは、「主は油を注がれた方に勝利を授け/聖なる天から彼に答えて/右の御手による救いの力を示されたことを」今、知ったと言うのです。サウルがサムエルによって油を注がれたことは、『サムエル記上』の第10章1節に記されていますが、その前日に、主はサムエルにこう告げておられました。「明日の今ごろ、わたしは一人の男をベニヤミンの地からあなたのもとに遣わす。あなたは彼に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの指導者とせよ。この男がわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びはわたしに届いたので、わたしは民を顧みる」(サムエル上9:16)。このようにサウル王は、イスラエルの民をペリシテ人の手から救うために、主によって立てられた指導者であったのです。その印として、サムエルは、サウルの頭に油を注いで、神様の特別な働きをする者として聖別したのです。そして、主は、油を注がれた者であるサウルに勝利を与えてくださいました。そのようにして、主は、ダビデの祈りに応えてくださったのです。

 8節と9節をお読みします。

 戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが/我らは、我らの神、主の御名を唱える。彼らは力を失って倒れるが/我らは力に満ちて立ち上がる。

 ここでの「誇る」は「拠り所とする」という意味です。ペリシテ人は、戦車や馬の数を拠り所としていました。戦車や馬に代表される軍事力を誇っていたのです。しかし、神の民であるイスラエルは、主の御名を唱える。自分たちと共にいてくださる神である主を拠り所とするのです。この言葉は、ダビデらしい言葉であると思います。と言いますのも、ダビデは、ペリシテ人の代表戦士であるゴリアトと戦ったとき、こう言ったからです。「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前たちに立ち向かう。今日、主はお前をわたしの手に引き渡される。わたしは、お前を討ち、お前の首をはね、今日、ペリシテ軍のしかばねを空の鳥と地の獣に与えよう。主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される」(サムエル上17:45~47)。このように語ったダビデが、「我らは、我らの神、主の御名を唱える」と歌うのです。戦いの勝利は戦車や馬によってもたらされるのではなく、万軍の主であるイスラエルの神によってもたらされるのです(出エジプト14章の「葦の海の奇跡」を参照)。主の御名を唱えて、主に依り頼む者は、力に満ちて立ち上がることができるのです。

 10節をお読みします。

 主よ、王に勝利を与え/呼び求める我らに答えてください。

 ペリシテ人との戦いは、これからも続きます。それゆえ、ダビデは、「主よ、王に勝利を与え/呼び求める我らに答えてください」と祈ります。このようにダビデが祈るのは、主こそが勝利を与えてくださる御方であると信じているからです。主はサウルに油を注いで、イスラエルの王としてくださいました。その王に、勝利を与えてください。その王のために祈る私たちの祈りに答えてくださいとダビデは祈るのです。

 さて、私たちにとっての油を注がれた方、王とは、どなたでしょうか。それは、イエス・キリストです。イエス・キリストは、十字架の死によって悪魔に勝利し、復活して、天に昇り、父なる神の右に座しておられます。神様は、十字架の死に至るまで従順であられたイエス・キリストを高く上げて、主という名をお与えになりました。私たちは、主イエス・キリストの名を唱えて、救われ、力を与えられているのです。では、私たちは、主イエス・キリストのために祈っているでしょうか。そもそも私たちは、主イエス・キリストのために、どのようなことを祈ればよいのでしょうか。その答えは、主イエス・キリストが弟子たちに教えてくださった主の祈りにあります。「あなたの御名があがめられますように。あなたの御国が来ますように。あなたの御心が天で行われるように、地でも行われますように」。この祈りは、父なる神様のためだけではなく、主イエス・キリストのための祈りでもあるのです。

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